第27話 ドラゴンチェイス
ドラゴンチェイスという言葉がある。
その原型は言わずもがな、カーチェイス。逃走する車とそれを追跡する車とで繰り広げられる、デッドヒートさながらの熾烈な逃走・追跡劇。一歩間違えば大事故に繋がりかねない、危険度マックスの道交法ガン無視レースだ。
そしてドラゴンチェイスは、読んで字のごとく、乗り物が車からドラゴンに置き換わったもの。
ドラゴンが交通手段として広がった昨今、その飛行能力を悪用して逃走手段とする犯罪者は、しばしばニュースなどでも目にしていた。中でもとりわけ、『飛竜』と称され、制空能力に秀でたワイバーンが犯罪の片棒を担ぐケースが多いらしい。
まあ、普通の高校生である俺には、ドラゴンチェイスなんて自分とは縁のない状況だろう。ほんの数分前まで、俺はそう思っていた。
しかし今、まさに俺はその最中にあった。
「見つけた。いたわよ、あのゲス男!」
ドラゴンの姿に変身したルキアの背中に乗り、落合を追い始めてから一分ほど経った頃だと思う。
前方に、ドラゴンの姿が見えた。
距離が開いていたから、俺の目でははっきりと見えない。しかしルキアの発言からして、あれが標的――つまり落合で間違いなさそうだ。
制空能力に優れるワイバーンだったことに加え、あいつらが逃走してから数分が経過していた。追いつくのは容易ではないと思っていたが、そうでもなかったようだ。
翼を一層に強く羽ばたかせ、ルキアが距離を詰めていく。
すると向こうもこちらに気づいたらしく、ワイバーンと、その背中に乗る落合が振り向いた。
「しつこい奴が……!」
忌々しそうに発せられたワイバーンの言葉が、俺の耳にも届いた。
すると突然、ワイバーンがこちらに向かって急接近してきた。
「来るわよ!」
ルキアに言われるまでもなく、分かっていた。
ワイバーンと落合は、追跡してきた俺達の排撃に打って出るつもりなのだ。
滞空したまま、ルキアが直立の姿勢に移行する。
「うおっ!」
彼女が不意に姿勢を変えたことで驚いたが、俺はルキアの角を掴み続けていた。
その直後、ワイバーンがその尻尾を振りかざし、襲い掛かってきた。
「毒棘だ!」
ワイバーンの尻尾には、槍のように発達した突起が生えていて、その先から透明な液体が滴っていた。
少し傷つけられただけでも致命傷に繋がりかねない、近接戦闘を得意とするワイバーンにはうってつけの武器。思い返せば、あの放火犯のドラゴン達も使っていた。
しかし、ルキアはだじろぐ様子も見せない。
「あんなもの、当たらなければ何の意味もないわよ。しっかり掴まってて!」
ルキアが俺に命じた直後、ワイバーンが襲い掛かってくる。
射程内にまで距離を詰めたのとほぼ同時に、ワイバーンはルキア目掛けてその尻尾を突き出した。
しかし、その毒棘がルキアに触れることはない。前方から突き刺すような攻撃も、横から切り付けるような攻撃も、ルキアはその腕を振って打ち払った。
その様子を、俺はただ見ていることしかできない。
ワイバーンの攻撃は、その一撃がすべて人間には致命傷になりかねない威力だ。ドラゴンに対抗できるのはドラゴンだけ……俺が介入する余地はなかった。
「何手間取ってるんだ、さっさとやっちまえ!」
ワイバーンの背中から、落合が急かした。
ルキアに攻撃をことごとくあしらわれ、すでに表情に苛立ちを浮かべていたワイバーンが、一層力任せに尻尾を振り抜く。それはこれまで以上の威力を伴った攻撃だったが、同時にこれまで以上に単純な軌道の攻撃で、人間の俺にも見切れるようなものだった。
ルキアは片手でワイバーンの尻尾、毒棘の付け根あたりを掴み、威力を殺した。
「これがあんたのとっておきってわけ? 大したことないわね。もうそんな攻撃、こっちはとっくの昔に見飽きてるのよ!」
ワイバーンの尻尾を放したと思った瞬間、ルキアはその毒棘目掛けて力の限りに拳を振り下ろした。
毒棘が鋭利な形状になっている角度を避け、平坦な部分を狙ったその一撃は、生え揃った毒棘を粉々に打ち砕き、無力化した。
「俺の毒棘が……!」
最大の武器を失ったワイバーンが、目を見開きながら言った。
切り札を早々に打ち砕かれて、だじろいでいるのが目に見えた。これでもうあいつは、空を飛ぶのが少し得意なだけにすぎないドラゴンだろう。
「終わりね!」
攻撃に転じようと、ルキアが突如その身を前方へと動かした。
急な動きを伴っての移動だったので、ガクンとした振動が伝わってくる。
「おわっ!」
思わず、俺は掴んでいたルキアの角を放してしまい、バランスを崩した。
落ちる――!
しかし、反射的に伸ばした手が運よくルキアの角を掴み直し、間一髪のところで落下を回避することができた。
「ちょっと、大丈夫なの!?」
攻撃動作を中断し、ルキアが声を掛けてくる。
「ああ、何とか……!」
戦闘に見入っていたせいで、不意の振動に対応できなかった。
前方に向き直った時、ワイバーンは遠くまで飛び去っていた。さっきと同様、排撃を断念して撤退を決断したようだ。
「そのドラゴンはかなり強いようだが、お前が足を引っ張っているな、松野!」
嫌みったらしい落合の言葉に、はらわたが煮えくり返る。
悔しくはあったが、あいつの言う通りだった。
ドラゴンに騎乗した経験に乏しい俺は、ライダーとしては半人前にも及ばない。俺が未熟なせいで、ルキアがワイバーンと戦う様子をただ傍観して、気を抜いていたせいで……あいつらが逃走する隙を与えてしまったのだ。
自分が恥ずかしくなる。
「もう、しっかり掴まってろって言ったでしょ……!」
「悪い……」
謝罪の言葉が口をつく。それ以外に、何も言えなかった。
「ま、いいわ。さあ、あいつらを追うわよ!」
ルキアの言葉に、俺は彼女の角を掴み直した。