第21話 ドラゴンガード
「ぷっ、あはははは……!」
職員室へ行き、シルヴィア先生の机に英語のワークを置いた俺達。
教室に戻る最中、七瀬ととりとめのない会話を交わしていたのだが、彼女はいきなり笑い出した。その理由は、ルキアが俺の家にドラゴンステイすることになった経緯だ。
騎乗免許を取得して、紹介所に赴いたまでは順調だったが、俺がトイレに行ってる間に母さんが勝手にルキアをうちに寄宿させることに決めてしまった。それを七瀬に話したのだが、どうも彼女の笑いを誘ってしまったらしい。
「そんな笑うようなことかよ?」
「ごめんごめん。まあ、それだったら確かに智が口を出す暇もないよね」
ルキアと対面し、彼女がうちに寄宿しているドラゴンだと知った時、七瀬は驚いていた。それもそのはず、俺が語っていた理想のドラゴンとは、ルキアがことごとくかけ離れていたからだ。
何となく訊かれるだろうとは思っていたのだが、予想通り七瀬から、希望にそぐわないのにどうして彼女をドラゴンステイさせることに決めたのか? という質問を受けた。
俺は、正直に答えるしかなかったのだ。
「でも、私も生まれた時からベルがうちにいたから、もちろんドラゴンを選ぶことなんかできなかったし……ちっちゃかった頃は私、ドラゴンの姿になったベルがもう怖くて怖くて、わんわん泣いてたな」
俺はふと、今朝目にしたベルナールの真の姿を思い出した。
彼がドラゴンの姿になっているのは初めて見たが、グロさこそないけれど、ドラゴンゾンビだけあって中々に恐ろしい見た目をしていたな。男爵といった雰囲気を醸していて、どことなく気品があるようにも感じられたが、幼い子供には恐怖の対象でしかないだろう。
やだあ、こんな怖いドラゴンやだあ!
って感じで泣き叫ぶ幼い七瀬の姿が頭に浮かぶ。もちろん、俺の勝手な想像だけど。
「喉渇いたな」
俺はふと、廊下に設置された自動販売機に歩み寄った。
ポケットから財布を取り出しながら、七瀬を振り返る。
「手伝ってくれたお礼に飲み物奢るよ、何がいい?」
俺は、七瀬にそう提案した。
ワークを運ぶだけの簡単な作業とはいえ、手伝ってもらった恩は返さなければと思ったのだ。
「えっ、いいの? ありがとう!」
七瀬が、嬉々として駆け寄ってくる。
彼女は太ることを気にしていて、自動販売機を使う時は基本的に水やお茶を買っていた。別に太ってるわけでもないしスタイルも悪くないから、そこまで気を遣う必要もないのではと思うが、七瀬はそう思っていないようだ。
多分、今日も水かお茶か。それともレアケースでジュースか……そう思いつつ、俺は財布から五百円玉を取り出して、自動販売機の投入口に放り込もうとした。
その時だった。
「あっ!」
思わず声を上げた。
手元が狂って五百円玉を入れ損ね、落としてしまったのだ。
「いけね……!」
転がりゆく五百円玉に手を伸ばしたその時だった、俺に先んじて、誰かがそれを拾い上げたのだ。
拾ってくれたのは、ルキアだった。
「ほら、お金は大事にしないと」
「ああ、悪い……」
差し出された五百円玉を、俺は受け取った。
「それじゃ、私は用があるから」
「そっか、じゃあな」
背を向けて歩を進めていくルキアの背中を見送って、俺は今一度自動販売機に向き直った。
再び、投入口に五百円玉を近づけていく。今度は落とさないようにしないとな。
…
……
………。
いや、ちょっと待て!?
そこで、俺は気づいた。
どうしてルキアがこの学校にいるんだ!?
「ちょっ、ちょっ、ちょっと!」
飲み物を買うという行動を放棄し、俺は廊下を行き交う生徒達の隙間を縫うようにして駆け出した。
ルキアの後ろ姿はすぐに見つかった、というか彼女は私服姿、それも真っ白なワンピースという出で立ちのままなので、制服姿の少年少女達の中ではよく目立つ。
追ってきた俺に気づいたルキアが振り返る、何かを言う間も与えずに、俺は彼女の手首を掴んで人気のない廊下の片隅へと駆け込んだ。
「ちょっと、いきなり何なのよ!?」
「いや、何なのよじゃないっての!」
憤慨した様子のルキアに、俺はすかさず反論した。
「お前、ここで何してるんだ、何で学校の中に……!」
「何してるって……あんた、これが見えないの?」
ルキアはそう言うと、自身の左腕を掲げて見せてきた。
気づくと、彼女の二の腕のところに腕章が着けられていた。青色の地に、白で『DRAGON GUARD』と記され、盾のようなマークもプリントされていた。
それが何を意味する腕章なのかは、俺はもちろん、全校生徒が知っているはずだった。
「ド、ドラゴンガード……お前が?」
ドラゴンガードとは、『警備業務に従事するドラゴン』のことだ。
ドラゴンによる犯罪が問題として取り沙汰される昨今、その対策の一環としてドラゴンガードという存在は広く知れ渡っている。
俺達人間の力では、ドラゴンに対抗するのは難しい。万が一に備え、ドラゴンガードを置いておくというのはもはや常例だ。学校のみならず、会社やコンビニや商業施設、病院でも、この腕章を着けているドラゴンはよく見かける。
ちなみに、ドラゴンステイしているドラゴンが、そのままドラゴンガードの役割も兼ねて、その家の用心棒的存在となっているのも通例だ。
「そうよ。私、この学校でドラゴンガードをすることになったの。採用されるのが決まったのは、あんたの家にドラゴンステイすることが決まってからまもなくだったわ」
正直、頭が追いつかなかった。
ふと、俺は今朝のルキアと母さんのやり取りを思い出した。母さんはルキアに、『もうすぐ時間でしょ?』と言っていた。あの時は気にも留めなかったが、あの言葉はつまり、『もうすぐ出勤する時間でしょ?』という意味合いだったようだ。
うちにドラゴンステイしているルキアが、今度は俺が通う学校でドラゴンガードとして働くことになった……唐突で偶然が重なりすぎていて、頭が追いつかない。
とはいえルキアが着けている腕章こそが、彼女の話が真実であることの証明だった。
「ていうかあんた、忘れたの? さっき私、『またあとで』って言ったじゃない」
「いや、言ってたけど……まさかこんな形で会うだなんて、予想できるわけないだろ……!」
と、その時だった。
「智、どうしたの? ってあれ、ルキアさん?」
追いかけてきた七瀬が、曲がり角からひょっこりと顔を出したのだ。
「あ、えっと……雪村さん、で合ってたっけ?」
七瀬は笑みを浮かべ、頷いた。
「そうそう、覚えててくれたんだね」
いきいきとした様子で、七瀬は言う。
ルキアが名前を憶えてくれていたことが嬉しいのだろう。
「っと、そろそろ行かなきゃ」
壁の時計を瞥見しつつ、ルキアが言った。
それは、俺達も同じだった。授業が始まるまではあと十数分、教室に戻って準備をしなくてはならない。
ルキアは今一度俺を振り返り、ピースサインのように人差し指と中指を立てた。
「あ、そうだ。今朝の送迎料金、マスカット二房ね。長野県産のやつ」
「は!?」
いきなり送迎料金を請求されて、俺は思わず目を丸くした。
葡萄の王様たる長野県産マスカットなんて、数千円もする高級な果物だ。しかもそれを二房となれば、俺の財布に甚大な被害が及ぶのは間違いない。
「いや、ちょっと待てよ、そんなのアリかよ……!」
その時、隣にいた七瀬が歩み出た。
「ルキアさんって、マスカットが好きなの?」
「え、そうだけど……」
不意に七瀬が会話に加わってきて驚いたのか、ルキアは面食らったようだった。
すると、七瀬は上体をルキアのほうへと乗り出すような仕草をした。
「私ね、美味しいマスカットタルトが食べられるお店知ってるんだ。よかったらさ、今日の放課後にお茶しない?」
七瀬は、俺を振り返った。
「智もさ、一緒に行こうよ。数学の課題、そこで一緒にやろう?」
俺の天敵といえる科目は数学で、とても俺には処理できない課題が出された時は、七瀬に助けてもらうのが常となっていた。
といっても、答えを直接教えてもらえるわけじゃない。あくまで七瀬は、俺が自力で答えを出す手助けをしてくれるだけであり、決して甘やかすタイプじゃなかった。
七瀬の助けがなかったら、今頃はもう母さんに俺の数学のボロクソな成績を報告されていただろう。
その点は間違いなく、七瀬には感謝しなければならなかった。
「マスカットタルト?」
ルキアが、首を傾げつつ問い返した。
すると七瀬は頷いた。
「うん。半分に切ったマスカットがたくさん乗っててね、緑色の宝石箱みたいで……とっても美味しいの」
「へえ……食べてみたいな」
笑みを浮かべ、いかにも興味を引かれた様子でルキアが言った。
と、その時だった。
「おや? 騎乗免許の試験に二度も落ちた松野君じゃないか」
嫌味ったらしい声に、俺は振り返った。
数人の取り巻きを引き連れて現れたそいつ……いつも通りの、人を小馬鹿にしたような目つきだった。
落合卿介――俺の『関わり合いたくない同級生ランキング』、堂々の第一位に君臨する、とにかく嫌な奴だ。
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、落合は歩み寄ってきた。
「どうだい今度、俺とドラゴンレースでも。ああ悪かった、お前んちにはドラゴンがいないんだったな」
自販機にその身を寄りかからせ、腕組みをして、いかにも楽しそうに落合は言ってきた。
こいつは取り巻きの連中とは仲良くやっているようだが、そうじゃない人間に対してはとても粘着質で、横柄な奴だった。俺自身を含め、落合を嫌っている人間は数多い。
俺の家には数日前からルキアがドラゴンステイしているが、こいつはそのことを知らない。無論、教えたくもなかった。
「何言ってんのよあんた、私が……」
そう言いかけたルキアの口を、俺は慌てて押さえた。
「むぐっ!?」
俺は落合に向き直り、
「いたとしても、俺じゃ落合には勝てないだろ」
「ふっ、そうだな……お前、ドラゴンに乗るのを怖がるような臆病者だもんな。分かってるじゃないか」
取り巻きの連中が笑い出す。
湧き上がる感情を無理やりに押さえ込んで、俺は表情を取り繕った。
「さて、そろそろ授業の時間だな。あばよ、臆病者」
わざわざ『臆病者』と繰り返し、俺の肩をポンと叩いて、落合と取り巻きの連中が去っていく。
そこで俺は、ルキアの口から手を放した。
「ぷほっ……ちょっとあんた、どうして何も言い返さないのよ? あんなムカつく奴……!」
「仕方ないんだよ……!」
ルキアの言葉を遮るように、俺は言った。
「落合の親は、暴力団関係者なんだよ。目を付けられて、リンチに遭った奴もいるんだ。下手に機嫌を損ねたりしたら、何をされるかなんて分かったもんじゃないんだよ」
ルキアは、返事をしなかった。
彼女は何も言わず、不機嫌そうな眼差しで落合が歩き去って行った方向を見つめていた。