第19話 七瀬とベルナール
「ゆっくり降りなさいよ」
校門前の道路で、俺は促されるままにルキアの背中から降りた。
ルキアは寝そべるように姿勢を低めてくれたので、俺はさほど高い位置から飛び降りることなく、安全に着地することができた。人を乗せて飛ぶ経験を積んでいる彼女だからこそ、俺が降りやすいように配慮してくれたらしい。
周囲を見渡すと、俺と同じようにドラゴンに送ってもらっている生徒が見受けられた。
今の時代、ドラゴンは交通手段のひとつとして、車と並び立つ地位を確立している。
「早く着いたな……」
スマホを確認して、遅刻どころか余裕のある時刻に到着できたことを知る。
ドラゴンは信号にも捕まらないし、渋滞にも引っ掛からない。一応『乗り物』としての定義に当てはまるため、航空法が適用されるのだが、そういった点は間違いなく車よりも優れている点だ。
遅刻の危機を脱したことだし、せっかくだから誰か友達を見つけて一緒に教室に行こうか。
そう思った俺が、周囲を見渡した時だった。
「あっ、智!」
頭上からの呼び声に、俺は空を見上げた。
陽の光を遮るようにして、一体のドラゴンが舞い降りてくる。
鈍銀色の外殻を有する、ドラゴンゾンビだった。刃のように突き出た棘が身体のあちこちに生えており、紺色の翼膜は、先端部分が裂けてボロボロになっていた。
その姿は恐ろしくもどこか知的な感じがあり、あえて表現するならば、『闇の男爵』たる雰囲気を醸すそのドラゴン。さっきの呼び声の主である少女は、その背中に乗っていた。
その翼が巻き起こす風圧を受けつつ、俺はドラゴンゾンビが着陸するのを見届ける。
七瀬が背中に乗っていた時点で、俺はある予感を抱いていた。そして次の瞬間には、その予感が確信に変わった。
「お嬢様、足元に気をつけて」
ドラゴンゾンビが、そう言いながら自らの片手を差し出す。
夢に出てきそうなほどの恐ろしい外見からは想像できないほど、その口調は丁寧で、穏やかで……そして、大いに聴き慣れた声だった。やっぱり、あのドラゴンゾンビは……。
「ベル、ありがとう」
差し出された手の平を踏み台にするようにして、さっき俺を呼んだ少女が道路へと降り立った。
「おはよう、今日は早いね」
俺に歩み寄りながら、少女が言った。
彼女の名は、雪村七瀬。幼馴染で、同い年の女の子だ。
小学校、中学校、そして現在の高校に至るまでずっと一緒で、その茶髪をポニーテールに結んでいる赤いリボンは、小さい頃から変わらない彼女のトレードマークだった。
七瀬を乗せてきたドラゴンゾンビの身体が、淡い光に包まれる。
光の中から、ひとりの少年が姿を現した。
紺色の執事服を着こなし、端正な顔立ちをした少年。美少年と言って差し支えないのだが、その目つきは正直、あまり良いとは言えなかった。
「お嬢様、鞄です」
執事服の少年が通学用鞄を差し出し、七瀬がまた「ありがとう」と言って受け取った。
彼の名は、ベルナール。七瀬の家にドラゴンステイしているドラゴンゾンビだ。
七瀬と友達である関係上、俺は彼と顔を合わせる機会が幾度かあった。しかしながら、真の姿を見るのは初めてだったのだ。
「ちょっと理由があって早く着いただけさ。七瀬こそ、ドラゴンに乗ってくるなんて初めてじゃないか? いつもは徒歩か、車だっただろ」
「そうだけど、騎乗免許を取ったんだし、たまには空を飛びたくなったの。だから、ベルに頼んで乗せてもらっちゃった」
草木のにおいを内包した風が吹き、七瀬の茶髪が揺らぐ。
七瀬の親父さんは社長さんで、つまり彼女は社長令嬢……分かりやすく言えば、お嬢様だ。彼女の家に遊びに行ったことは幾度かあったが、もう見上げるほどにでっかい家、というか屋敷で……どこぞの博物館かとすら思っちまったのを覚えてる。
家柄は申し分なく、すれ違う男性が皆振り返りそうなほどの美貌も備えている。運動神経もよくて所属しているテニス部では期待の星と称され、さらに成績も学年トップクラスで性格まで良い……七瀬はもう絵に描いたようなスーパーガールで、はっきり言って友達でいることにすら引け目を感じてしまう。しかし彼女は小さい頃に知り合って以降、ずっと俺と変わらず仲良くしてくれていた。
ベルナールが、前に歩み出る。
「おはようございます、智君」
人間換算で、年齢は俺とそう変わらないはずだった。
しかしベルナールの口調はいつも通り、穏やかで紳士的で、そして大人びていた。
「おおベルナール、もしやと思ったけど、あれがお前の真の姿だったんだな」
さっきまでの彼の姿を思い出しながら、俺は言った。
ドラゴンゾンビだということは知っていたが、目の前にいる美少年とは似ても似つかないあの姿に、正直驚きは隠せない。
「ああ、そういえば僕の本当の姿、智君にはまだ見せたことがありませんでしたね」
陽の光を受けて、ベルナールの胸元の鎖(懐中時計を肌身離さず持ち歩いているらしい)が煌めいた。
「ちょっと意外だったよ。ドラゴンゾンビって、何かこう……全身ドロドロで、グロい見た目をしたドラゴンだと思ってたからさ」
俺が言うと、ベルナールは笑みを浮かべた。
「はは、まあ、そういうのもいますけどね。それに厳密に細分化すると、僕はドラゴンゾンビというよりはスカルドラゴンですし」
どう違うのだろう? と思った矢先だった。
「ねえ、ところで智……」
「ん?」
何かに気づいたように声を発した七瀬、俺は彼女を向いた。
「気になってたんだけど、その子は……?」
七瀬が手で指したほうには、ルキアがいた。
いつの間にか、彼女はもう人の姿になっていた。
「ああ、ルキアっていうんだ。うちに寄宿しているドラゴンなんだよ」
七瀬とベルナールと話しているうちに、ルキアを蚊帳の外にしてしまっていた。
「えっ、智の家にドラゴンステイしているってこと?」
目を丸くしながら、七瀬が言った。
「はじめまして、ルキアです」
七瀬とベルナールに交互に視線を合わせつつ、ルキアがふたりに挨拶をした。
「あ、えっと……はじめまして、雪村七瀬です」
「ベルナールです、以後よろしくお願いいたします」
七瀬は驚いた様子で、ベルナールはいつも通りの落ち着いた感じで、ルキアに応じた。
俺は、七瀬の様子が気になった。
一体、どうしてそんなに驚いた様子なのだろうか?
問いかけようとした時、ベルナールが胸ポケットから懐中時計を取り出し、時刻を確認した。
「ところでお嬢様、智君、そろそろ教室に向かったほうが……」
「おっと、そんな時間か……それじゃあルキア、行ってくるわ。送ってくれてありがとな」
会話に気が傾いていて、時間を気にしていなかった。
ルキアが、ぴらぴらと手を振ってくる。
「またあとで」