第131話 増援と決着
「えっ!?」
七瀬は驚きの声を発した。
ほんの数秒前まで、彼女は死を覚悟していた。それもそのはず、瓦礫を投げつけられようものなら彼女は、いや生身の人間であればひとたまりもない。しかし今の彼女は命を失ってはいないし、傷のひとつすら負ってはいない。
男が瓦礫を持つ手を振りかぶったまさにその瞬間、彼の横に位置していた壁が突如、轟音とともに爆発した。いや、爆発したのではない。何者かが外側から、力任せに壁を破壊したのだ。
その衝撃によって無数の瓦礫と、視界を遮るほどの砂埃が飛散し、男へと降り注ぐ。男は驚きのあまり、手にしていた瓦礫を取り落とし、「うわっ!」と声を上げながら後退した。
「誰だ!」
もうひとり、あとから現れて七瀬と翔子の逃げ道を塞いだほうの男が、壁に空いた大穴を睨んで叫んだ。七瀬と翔子もまた、彼の視線を追うように同じ方向を見つめた。
舞い上がった砂埃の中から、まずはその脚が覗き、ドズンと地鳴りを響かせながら工場内に踏み入ってくる。
続いて、砂埃の中に翼や尻尾――ドラゴンの影が浮かんだと思うと、金色の角を有する白いドラゴンがその姿を現した。
バラバラと降ってくる瓦礫の破片を、首を左右に振るようにして払うと、ドラゴンは男達を視界に捉えた。
青い瞳が彼らの姿を映した直後、ドラゴンは凄まじい咆哮を上げた。
工場内に届き渡るほどの声量と、迫力を帯びた咆哮――男達は目に見えてだじろぎ、翔子も地面に座り込んだまま、思わず後ずさりした。
「ひっ、な、何なのよあの白いドラゴン……!」
「いえ、大丈夫ですよ翔子先輩!」
何も知らない翔子からすれば、あのドラゴンも恐怖の対象としか見えなかっただろう。
しかし、七瀬は違った。ここにいる者の中で、唯一彼女だけがあのドラゴンの登場に怯まず、むしろ安堵の笑みを浮かべていた。
翔子の肩に手を添えながら、
「安心してください、彼女は……ルキアさんは、私の友達です」
「彼女? え、女の子なの?」
七瀬は頷いた。
男性か女性か、外見には性別の区別が難しいドラゴンも少なくはない。
「もう大丈夫ですよ、きっと……!」
七瀬の言葉は間違ってはいなかった。
ドラゴンの咆哮は、宣戦布告の合図だ。男達もまたドラゴンの姿に変身してルキアに襲い掛かったが、たちまち二体とも打ち負かされ、尻尾の強烈な一撃を喰らって吹き飛ばされた。
その時を見計らって、ルキアは七瀬と翔子の前に移動し、彼女達を守るように位置取った。
「ルキアさん、来てくれたんだね」
「ええ、ドラゴンサイズのマスカットタルトを二十秒で平らげてね。マスターによると、最速記録だったそうよ」
この場を乗り切ることに必死で忘れていた。そう、七瀬が智を経由してルキアに助けを求めた時、彼女は歓迎会の真っ只中だったのだ。
特大のピザのごときマスカットタルトを注文するかどうか、ルキアは学校で考え込んでいた。しかし結局、注文したらしい。注文するのに勇気がいるであろうあのマスカットタルトを、二十秒で完食する――人間はおろか、ドラゴンでも簡単に成しえる業ではないだろう。
「それにしても七瀬さん、こんな事情があるんだったら、もっと早く教えてほしかったわね」
ルキアは男達のほうを見つめた。
その後すぐに、ルキアが開けた壁の大穴から、さらにふたりが工場内へと踏み入ってきた。
「ルッキィ!」
「大丈夫ですか……?」
どちらも、七瀬が見知ったドラゴン少女だった。
サンドラとシェアトだ。ルキアの歓迎会の最中だったと思しき彼女達だが、ルキアとともにこの場に駆けつけてくれたらしい。
安堵の気持ちが、より大きくなるのを七瀬は感じた。
向こうはふたりだが、こちらにはこれで三人だ。単純な数でも勝っているうえに、駆けつけたドラゴン少女達は皆現役のドラゴンガードだ。このような場においては、非常に頼りになる存在だろう。
「サンドラさん、シェアトさんも……!」
ルキアのみならず、彼女達まで来てくれたのは予想外だった。
智から連絡があった際、サンドラとシェアトもその場に居合わせ、来てくれたのだと七瀬は思った。
「畜生、よくもやりやがったな! お前もぶっ潰してやる!」
ルキアの尻尾で打ち払われたドラゴンが、逆上して彼女に襲い掛かった。
しかし結果は同様だ。彼が繰り出した打撃は簡単に受け止められて無効化され、反撃によって怯んだところを再び尻尾で撥ね飛ばされる。
「ぐがっ!」
力の差は歴然だった。
尻尾の一撃を受けたドラゴンは、工場の壁にふたつめの穴を開けて、外へと吹き飛ばされていった。
もちろんルキアには、見逃すつもりは微塵もない。
「あのドラゴンは私がやるわ。サンドラさん、シェアトさん、もう一体のほうをお願い」
ルキアは進言した。
ここにはもう一体、彼女達の敵となるドラゴンがいるのだ。
サンドラとシェアトを残す選択をしたのは、ここには七瀬と翔子がいるからだろう。彼女達を守ることを考えれば、この場に戦力を割くべきだとルキアは判断したのだ。
「分かった。じゃあルッキィ、そっちは頼むね」
「こちらは、わたし達にお任せください……」
ルキアは仲間達に頷き、翼を広げて敵を追いかけた。
◇ ◇ ◇
「うがはっ!」
喰らいつこうと迫ってくるマーヴィンを、ベルナールは回し蹴りで迎え撃った。
バジリスクの凶眼を見ることになったマーヴィン、そのダメージは軽くなかっただろう。彼の動きは目に見えて鈍くなり、ベルナールが容易に見切れるほどになっていた。
対するベルナールは、さっき膝をついたことが嘘であるかのように、俊敏な動きを取り戻していた。
その秘密はキュラスだった。
ベルナールはキュラスに腕を噛ませ、バジリスクの凶眼によって注入された毒を吸い出させた。隠密行動のみならず、キュラスには毒抜きをする能力もあるのだ。
「観念するべきでは? そうすれば、もうここまでで済ませてあげますよ」
大ダメージを受け、まともに戦えないマーヴィン。対して、キュラスによって無傷の状態に回復したベルナール。どちらが優位に立っているかなど、もはや考えるまでもない。
まあ、こんな言葉に従うような相手ではないだろう――ベルナールはそう思ったが、反応は案の定だった。
「だっ、黙れ! ぶっ殺してやる!」
マーヴィンは往生際悪く、再びベルナールへと襲いかかってきた。
「やれやれだ」
仮に降参を宣言するならば、ベルナールはそれ以上危害を加えようとは考えていなかった。
しかし、マーヴィンにその意思がないことは一目瞭然だ。ならば、制圧するしかない。
とはいえ、ベルナールはそれが面倒だったり、気が進まないわけではなかった。紳士的な物腰を崩していないが、悪辣なこのドラゴンを叩きのめしたい気持ちは、彼には十二分にある。
「ふっ!」
さっきと同じように、ベルナールはマーヴィンに向けて回し蹴りを繰り出した。
もう手加減する必要はない。そう判断した彼の一撃は再びマーヴィンの顔を打ち、牙の数本がへし折れて弾け飛んだ。
「あなたは、三つの過ちを犯しました」
穏やかに語りかけながらも、ベルナールの反撃は止まらない。
追撃にもう一度蹴りが繰り出され、それも直撃し、数本の牙がまた折れて飛散する。
「がはっ……!」
マーヴィンにはもはや、反撃の猶予は与えられない。
「まずは、自分の能力を過信して欠点があるとは微塵も考えなかったこと」
たぶん、これまでのマーヴィンはバジリスクの凶眼によって、いとも簡単に相手を制圧してきたのだろう。戦わずに、目を合わせるだけで相手を倒す――そんなことを繰り返していれば、有頂天になるあまり欠点のことを忘れるのも無理はない。
鏡などで自分の眼を見てしまえば、自爆を招く。自分自身の毒に耐性がないというのは、皮肉めいているとベルナールには思えた。
マーヴィンがそれを知っていたかどうかは分からないが、いずれにせよベルナールの言うとおり、彼は自分の能力を過信しすぎたのだ。
「ふたつめ、慢心するあまり、わざわざ自分の能力の種明かしを僕にしてくれたこと」
ベルナールの執事服の袖から、ドラゴンゾンビの棘が伸ばされる。
彼が腕を振り抜くと、数本の棘が放たれて一直線にマーヴィンへと向かい、彼の身を地面へと打ち込んだ。
「ぐっ、抜けねえ……!」
棘自体が致命傷に繋がるものではなかった。
しかし、杭のように深く打ちつけられたそれは容易には抜けず、マーヴィンの動きを封じ込めた。
「そして三つめは……僕のお嬢様を危険な目に遭わせたことです」
マーヴィンは息をのんだ。
ベルナールの言葉と表情に、明確な怒りが滲んでいたからだ。
「犯した罪は、償っていただきますよ」
その宣告とともに、ベルナールの身が光に包まれる。
毒液の的になることを警戒して変身しなかったが、もはやその必要はない。今度は、彼がドラゴンゾンビとしての本気の力を見せつける番だ。
鈍銀色の外殻を有する、恐ろしくもどことなく気品のあるドラゴンゾンビ。真の姿に変身したベルナールは、身動きが取れずにいるマーヴィンに毒霧を放った。
動けない状況にされたマーヴィンには、逃げる術はない。自分の毒を受けた影響で、人間の姿に戻って防毒マスクを使うこともできないようだ。
「うっ、がっ……!」
ベルナールが吐いたのは、催眠作用を伴う白い毒霧だった。
単純に命を奪う毒霧を浴びせることもできたのだが、手心を加えて、あえてそうはしなかった。
これで十分だろう。そう判断したベルナールは、人間の姿へと戻った。もう、戦闘態勢を取り続けている必要はなかった。
「毒のシャワーを浴びるのは、あなたのほうでしたね。お味はいかがですか?」
去り際に、ベルナールは倒れ伏したマーヴィンを瞥見して言い放った。
それが、気を失う前にマーヴィンが聞いた最後の言葉になったようだ。ドラゴンの姿になって放たれたベルナールの毒霧は、人間の姿でいる時以上に濃度が濃く、強く作用する。
しばらくは目を覚まさないだろう。少なくとも、これで七瀬と翔子を助けに向かうにあたり、邪魔をされることはないはずだった。




