第127話 ナイストラップ
「せいぜい楽しませろ!」
ベルナールに向けて、マーヴィンは毒液を放ち続けた。
ドラゴンゾンビであるベルナールは、毒に対してはある程度の耐性を持ち合わせている。一度や二度喰らったところで即座に致命傷には至らないと思えたが、それでも無傷ではいられないだろう。
強酸性の毒液が撒き散らされるたびに、ベルナールは飛び退いたり身を翻してそれを回避した。吐く直前には、マーヴィンは必ず頭部を後方へ下げる動作をした。そのおかげで、かわすのはさほど難しくはない。
とはいえ、このままでは防戦一方だった。
(そう簡単には、近づけそうにありませんね)
バジリスクたるマーヴィンは、長大で太い尻尾と鋭利に尖った牙を備えていた。
それらは到底ただの飾りなどではなく、強酸性の毒液と並び立つであろう彼の強力な武器であると思えた。毒液をかわしつつ接近したとしても尻尾で振り払われるか、あの牙の餌食となる可能性が高いように思えた。
翼を出現させて、空中から攻めることも考えた。
しかしここは廃工場の中で、支柱などの障害物があちこちに点在していた。特別制空能力が高いわけでもないベルナールは、この場で飛び上がるのは悪手であると判断する。
ならばドラゴンに変身して、本来の力を発揮して一気に攻める?
それも考えたが、早々に却下した。
毒を扱う以上、マーヴィンもまた毒に対して耐性を持つドラゴンであるはずだった。ベルナールが毒による攻撃を仕掛けても効果は薄いか、さっきと同じようにエックスブレイン製のマスクで中和されてしまうかもしれない。
(姉さんほどの強い毒を扱えればマスクなど関係ないかもしれませんが、僕では仕留め損ねてしまうかもしれませんね……!)
一応、手立ては思い浮かんでいる。
バジリスクの耐性を貫通するほどの毒を喰らわせれば、倒せるかもしれなかった。
しかし、それも容易ではない。毒が効き始めるまで継続して喰らわせる必要がある他、少なくとも、マスクの使用を封じなければならないだろう。
逃げ道も防御手段も断ち、確実に仕留める。
それが、このドラゴンバトルを制する手段である――ベルナールは、そう結論を見出した。
「表情から余裕が薄れてるぞ、もうゲームオーバーか?」
猛獣が獲物たる小動物をいびるかのように、マーヴィンの様子は楽しげだった。
彼の言うように、ベルナールの表情から余裕は消えつつある。しかし、わずかたりとも、戦意を喪失したわけではなかった。
「とんでもない、まだ始まったばかりではありませんか」
目の前にいるのは、相性の良い相手ではなかった。
それでもベルナールは負けることなど微塵も考えてはいない。
「とはいえ、僕は忙しいもので。長引かせるつもりはありませんが」
◇ ◇ ◇
「見つけたぞ、待ちやがれ!」
廃工場を飛び出したガドックとドルーガは、すぐにふたりの姿を見つけた。
短時間で遠くまで逃げることはできず、彼女達の姿を捉えるのは容易だった。ひとたび見つけてしまえば、捕まえたも同じだと考えていた。それもそのはず、人間の足でドラゴンから逃げ切るなど不可能。言うなれば、自動車から逃げようとするようなものだ。
どんなに必死に逃げようが、もはや悪あがきにもならない。彼女達もそれを承知のはずだったのだが、ふたりは往生際悪く逃げ続けた。
その最中、少女のうちの片方――翔子を助けるために、捨て身でこの場に赴いたであろう彼女が、超音波ボールを投げつけてきた。
「そんなもの、二度と喰らうか!」
ガドックとドルーガは、ともに耳を塞いだ。
さっきは不意打ちに近い状況だったので、まともに喰らう羽目になった。しかし、手の内が読めた今では、防ぐのは造作もない。
超音波を完全に遮断できなくとも、全力で耳を塞げば防ぐことができる。何個投げてこようとも、もう一時しのぎにすらならないだろう。
「いけない、もうなくなった……!」
超音波ボールを切らしたらしく、完全に丸腰となったようだ。
彼女達は手近にあった建物へと駆け込んだ。廃工場の敷地内には、同じような工場や倉庫のような建物がいくつも並んでいた。しかし人の手が入っていないのは一目瞭然で、建物はどれも老朽化が目立ち、雑草がそこかしこに繁茂していた。
逃げの一手になったようだが、建物に入れば追い詰めやすくなる。
もはや袋のネズミだと考えたのは、ガドックもドルーガも一緒だった。彼らは迷うことなく、ふたりを追って同じ建物へと踏み入った。
――ボロボロになった棚に置かれた超音波ボールに気づいたのは、すぐのことだった。
「いっ!?」
耳を塞ぐ暇も与えられず、ボールは即座に炸裂して超音波を周囲に撒き散らした。
それは不可視の刃となり、ガドックとドルーガの鼓膜を直撃する。
「があああああっ!」
「くそっ、耳が……!」
ボールがなくなった、と少女は言っていたが、あれはブラフ……つまりハッタリだった。彼女はまだ、超音波ボールをストックしていたのだ。
ただ投げるだけでは防がれてしまうと思い、少女はガドックとドルーガの油断を誘ったうえで逃げ道にボールを設置し、時間差で超音波を喰らわせることにしたのだ。
合理的かもしれないが、単純とも思える策……だったのだが、ガドックとドルーガはもの見事に罠に掛かったわけである。
◇ ◇ ◇
男達が発する苦悶の声が、七瀬と翔子がいる場所にまで届いていた。
一刻も早く遠くへ逃げる必要がある状況だったが、七瀬は思わず足を止めて振り返り、呆れたような眼差しを向けた。
「え、嘘……もしかして、あんな手に引っ掛かった?」
我ながら単純な策だと思っていたが、男達はもの見事に罠に掛かってくれたらしい。
この建物に踏み入る際、七瀬は『こんな小細工は通用しない』と割り切って超音波ボールを仕掛けた。とにもかくにも、何もしないよりはマシだろう……程度に考えていたのだが、嬉しい誤算だった。結果として、ナイストラップだったのだ。
お陰で、翔子とともにより離れた場所へ逃げる猶予を得られた。
足音がまだ聞こえてこないことから、男達はまだ悶えているようだ。二度目となれば、ダメージもより大きくなるのかもしれない。
「行きましょう先輩、こっちです」
翔子はまだ、男達に暴行された時の怪我が痛むようだった。
ひとりで走るのは辛そうだったので、七瀬が肩を貸してここまで来ていた。
「うっ……!」
翔子はしきりに痛みに身を強張らせ、苦悶の声を漏らした。
酷だとは思ったが、七瀬は休ませるという選択は取らない。足止めできる時間はわずかで、とにかく今は一刻も早く、できるだけあのドラゴン達から少しでも離れた場所へ向かわなくてはならなかったのだ。
「すみません翔子先輩、今は逃げないと……!」
追いつかれれば、怪我どころか命を奪われることだって考えられる。
座らせて休ませてあげたい気持ちは、山々だった。しかし状況を考えて、どうしてもそれはできなかったのだ。
その後、七瀬は翔子を連れて階段を下り、地下一階の連絡通路に向かった。
そこは別の建物と繋がっており、通路を通って別の建物に向かえば、きっと簡単には気づかれないだろうと考えたのだ。
「こんな場所を、どうして知っているの?」
逃げる最中、翔子が尋ねてくる。
もっともな質問だった。七瀬は迷うこともなく、この連絡通路に辿り着いたのだ。
「この工場、昔はうちの会社と取引していたことがあって……それなりに昔だったけど、私も来たことがあるんです。だから、その時に覚えていたんですよ」
七瀬が理由を説明すると、翔子は納得したように頷いた。
内部構造を知っている七瀬と、まったく知らないドラゴン達。どちらに地の利があるかは、明白だった。
地下の連絡通路を抜けて、別の建物へと辿り着いた。
七瀬は周囲を見渡し、男達の気配がないことを確認した。そこで翔子を柱に背中に預ける形で、座らせる。
「大丈夫ですか、先輩……!」
痛みで身体が思うように動かない中、ずいぶんと歩かせてしまった。それが申し訳なかった。
「どうしてこんなところに来たの? 下手をすれば七瀬だって私と同じ……ううん、もっとひどい目に遭わされていたかもしれないのに……!」
腹部を押さえながら、翔子は問いかけてきた。
その疑問は、至極当然だと思った。超音波ボールを持ち込んだとはいえ、七瀬はほぼ丸腰の状態で翔子を助けに駆けつけた。無謀な行為に他ならないのは、自分でも分かっていた。
行動力がある、というだけでは説明がつかないだろう。
七瀬は小さくため息をついて、翔子の隣へと腰を下ろした。
「翔子先輩が危ない目に遭ってると思った時、ちょっと昔のことを思い出しちゃって……いても立ってもいられなくなったんです」
「昔のこと……?」
翔子のほうを向かず、七瀬は頷いた。
廃工場のどこかを見つめながら、彼女は口を開く。
「私、小さかった頃……誘拐されたことがあるんですよ」




