第126話 強酸のバジリスク
七瀬と翔子を救うため、この場に赴いたベルナール。
考えるまでもなく、状況は彼に不利だった。というのも、向こうには十人ほども集まっており、多勢に無勢を完全に押さえられてしまっているからだ。加えて、七瀬と翔子はドラゴンではなく、彼女達に戦力はないと考えて間違いない。ふたりを逃がせないことは、ベルナールの敗北と同義だった。
相手をすべて制圧するより、優先すべきは七瀬と翔子を逃がすこと。
幸い、ベルナールの能力はそれを可能とするものだった。
「逃げてください、お嬢様」
背後を振り返りつつ、ベルナールは促した。
「う、うん!」
翔子を連れて、七瀬が廃工場の奥へと走り去っていく。
その姿が見えなくなったのを確認して、ベルナールは再度男達へと向き直る。彼らはニマニマと気味悪く笑みを浮かべつつ、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「なんだお前、この人数相手に何ができると思ってやがるんだ?」
集団でいる彼らが、ひとりしかいない相手に強気になるのも無理はない。
しかし、ベルナールは怯まなかった。
真の姿が恐ろしい見た目であるがゆえ、必要以上に怖がられたり、危険で無暗に振るえない自分の能力を時として疎ましく思う。しかし今は、ベルナールは自分がドラゴンゾンビであることに感謝していた。
集団を相手取る際にこそ、自身の能力は有用である。ベルナールはかねてより、そう自負している。
まるで明かりに群がる蛾のごとく、目の前に集まっている下賤な連中を、まとめて黙らせる力があるのだから。
「そうですね。たとえば……こんなことができますよ」
息を吸い込んだベルナールは、直後に白色のブレスを吐き出した。
煙とも霧とも思えるそのブレスは、ものの一瞬で男達を覆っていく。逃げる間もなく、彼らは噎せ返る。
「ゴホッ、くそ……ッ……!」
腕で口を覆ったりと、悪あがきはしていた。しかしブレスを吸い込んだ男達は、バタバタとその場に倒れ込んでいく。
強力な催眠作用を備えたベルナールのブレスによって、ものの数秒で昏倒させられたのだ。濃度を最大にはしていないが、少なく見積もっても一時間以上は目を覚まさないはずだった。揺すっても叩いても目を覚まさない、深い睡眠状態に追い込まれたということは、実質的に戦闘不能と同義だ。
敵戦力を大きく減退させた――しかし、ゼロにはなっていない。
男達の中の三人が、充満するブレスの中で昏倒せず、健常のまま立ち続けていた。
自分のブレスを吸い込んでいるはずなのに、どうして平気でいられる? ベルナールは疑問を抱いた。しかし、その答えはすぐに分かった。
男達が、何かを口元に当てていた。見たところ、どうやら防毒マスクの類らしい。
「フン、さすがはエックスブレイン製の防毒マスクだな。がめつい値段に見合う性能は備えてる、ってわけか」
男の言葉で、ベルナールの思ったとおり防毒マスクだったことが判明する。
なぜそんな物を持ち歩いているのかと思ったが、シドを救出した時のことを思い出した。正体を危うく見破られかけ、窮地に陥った彼を回収した時、ベルナールは煙幕によるブレスで男達の視界を塞ぐ手段を選んだ。
もしもあれが煙幕ではなく、毒のブレスだったなら……男達はそう考えて、対策を講じたのだ。
頭の周りが良い連中とは思わなかったが、その程度の思考は働かせられるらしい。
「さすがに、同じ手に二度も引っ掛かってはくれませんか」
再度ブレスを吹き出そうとはしなかった。そんなことをしても、またマスクによって無効化されてしまうだろう。
人とドラゴンを結ぶ企業、エックスブレインの技術力は素晴らしいものがある。しかし今のベルナールには、それが逆に恨めしく思えた。エックスブレインの商品は便利である反面、悪どい連中の手に渡ると非常に厄介だ。
「ガドック、ドルーガ、あのメスガキ達を追うんだ、ここから逃がすなよ!」
ベルナールは息をのんだ。
七瀬と翔子に追手を差し向けられるのは、現状ではもっとも好ましくないことだったからだ。
「奴らを捕まえたら、俺の前に引きずり出せ。半殺しまでは許してやる」
命まで奪おうとは考えていないようだが、安心などできるはずがない。
「へへっ、了解だ!」
「ああ。あんな小娘どもをとっ捕まえるなんざ、造作もねえ!」
男達が大きく跳躍し、ベルナールの頭上を軽々と跳び越えて、七瀬と翔子が去った方向に向かっていく。
行かせるわけにはいかなかった。ドラゴンでもない七瀬と翔子が、男達から逃げ切れる望みは薄い。
「くっ!」
まずい、足止めしなければ!
そう思ったベルナールは、ガドックとドルーガを追おうとする。しかし、それはできなかった。
ここにはもうひとり、彼の敵がいるのだ。
「おっと、よそ見なんかしてる暇があんのか?」
マーヴィンの言葉に振り返った次の瞬間、巨大な影がベルナールの頭上に迫っていた。
危険を察知したベルナールは、すぐさま横へと飛び退く。一瞬と呼べる時を挟んで、轟音とともに砂埃が大きく巻き上がった。
数秒前までベルナールが立っていた場所を、巨大な何かが直撃したのだ。
横に飛び退いた勢いそのままに側転し、ベルナールは着地して体勢を立て直した。すぐに前方に目を向ける。
――砂埃の中から、一体のドラゴンが姿を現した。
「あんなメスガキ達のことより、自分の身を心配するんだな……!」
そう発した時、すでにマーヴィンは人間の姿ではなくなっていた。
暗緑色の身体に、縦横無尽に走る黄色い線模様。数本の角が生えた頭部にはドラゴンの意標が感じ取れるが、四肢が存在しないその姿はまさしく、恐るべき大蛇だった。
ドラゴンとしての区分は、考えるまでもなかった。
「バジリスク……!」
さっきの一撃は、マーヴィンがその尻尾をベルナール目掛けて叩きつけたのだ。
寸前で回避に成功したものの、もう少し反応が遅れれば、直撃していたに違いない。
「跡形もなく、溶かし尽くしてやる」
首をもたげたと思った次の瞬間、マーヴィンが大きく息を吸い込む動作を見せた。
彼が何をしようとしているのかを察したベルナールは、もう一度横に飛び退いて駆け出した。
マーヴィンが黄緑色の液体を吐き出す――かなりの勢いを伴ったそれを、ベルナールは紙一重でかわした。標的を失った液体はベルナールではなく、彼の後方に放置されていた金属片の山に降りかかった。
――まだ銀色の光沢を帯びていた金属片が、みるみる茶色に変じていく。煙と音を立ててながら腐食し、わずか数秒後には原型を留めなくなって崩れ去った。
「強酸性の毒液、やはり……!」
これが、バジリスクたるマーヴィンが有する能力だった。
金属すらものの数秒で腐食させる強酸液、彼はそれを体内で生成し、吐き出すことができるのだ。
毒液の一種だと考えられたが、ベルナール以上に標的の殺傷に特化した能力だと思われた。まともに浴びせられれば人間は当然のこと、ドラゴンでも無傷ではいられないはずだ。ドラゴンゾンビであるベルナールは、ある程度毒への耐性を備えている。しかし、喰らえばただでは済まないだろう。
ベルナールは、マーヴィンに向き直った。
マーヴィンは床を這うようにして、距離を詰めてきた。翼が無いので空は飛べないが、その動きは非常に機敏で、攻撃力と機動力を兼ね備えたドラゴンであることが見て取れる。
その巨体がうねるたびに、身に刻まれた黄色い模様がぐねぐねと気味悪く蠢くのが見えた。
スズメバチ、ヤドクガエル、アカハライモリ……他にも派手な体色を有する生き物は、毒を保有している場合が多いと聞いたことがある。もしかしたら、マーヴィンのあの体色も自身の毒性と攻撃性を周囲に知らしめるための警告色なのかもしれない。
「存分に浴びせてやる、毒のシャワーをな!」
何よりも先に、七瀬と翔子をこの場から逃がしたのは正解だった。
直接浴びさせられなくても、気化した酸の液を吸引するだけでも危険であり、人間である彼女達では致命傷に繋がりかねないからだ。
ベルナールは平気だが、安心はできない。
目の前にいるバジリスクを倒す方法を、これから探る必要がある。
「さて、どう戦ったものでしょうか……!」




