第122話 それぞれの心情
その後、ザンティはベルナールに事情を詳しく説明してくれた。
少し前に人間界で展覧会があったのだが、彼女はそこにあえて完成度を低め、またエニジアを混ぜ込むのに適した形状の作品を出展していたらしい。それは、見る人が見れば粗さが一目瞭然なほどに出来の悪い彫刻で、そんなものを気に入って制作の依頼をしてくるなど、おそらくまともな目の持ち主ではない。
完璧主義でこだわりの強い気質のザンティにとって、粗悪品に等しい作品を展覧会に出すのは非常に不本意だった。とはいえ成果がなかったわけではなく、狙いどおり連中は罠だとは思いもせずに、彼女の撒いた餌にまんまと群がってきたのだ。
あんな作品を気に入ったと言って、しかも大口の注文を出してくるなど、他意があるに違いない。
そう踏んだザンティは注文主のところにシドを潜入させ、証拠集めをさせた。結果として、読みは当たっていたわけである。
友人をエニジア密輸の容疑者にさせて廃業に追い込み、今ものうのうと逃げ回っている犯罪者集団。ザンティは、その汚い尻尾を引きずり出すことに成功したのだ。
「姉さんは天才だよ」
「そうよ、今頃気づいたの?」
説明を終えたザンティは、煙草を取り出して火を付ける。弟からの褒め言葉が、まんざらでもない様子だ。
「で、姉さん……これから人間界に来るつもり?」
ザンティは咥えた煙草を一旦口から離し、目を閉じながらふーっと煙を吹いた。
再び弟と視線を重ね、彼女は小さく頷く。
「まあね。証拠も手に入ったことだし、私が人間界に降りる時の手続きは煩雑らしいから、すぐにとはいかないと思うけど」
面倒で手間のかかる手続きを踏んでまで(とはいえ、シドに任せるのだと思うが)、ザンティが人間界に向かおうとする理由は明白だった。故意かそうではないかは分からないが、友人に犯罪者のレッテルを貼り付けた者に、引導を渡すつもりだろう。
たとえ因縁の相手であるとはいえ、命を奪ってはならない――ベルナールはそう忠告しようと思った。しかし、それは胸の中に留めた。
人間だろうとドラゴンだろうと、殺害するのは道理に反する。自分が念を押さなくとも、姉はちゃんとそれを理解していると信じることにしたのだ。
たとえザンティが、人間界への立ち入りを制限させるほどに殺傷能力が高く、危険なドラゴンゾンビであるとしても。
「ほら、これを見て」
ザンティは、さっきシドから受け取った紙を広げ、皺を伸ばしてベルナールに見せた。
シドが、あの廃工場から持ち出してきたメモだった。そこには長々とした説明や、成分表のようなものがびっしりと書き込まれていた。
「水晶にエニジアを溶け込ませる手順を書き込んだメモよ。今までは改造した彫刻の内部にエニジアを仕込んで隠匿する方法が主流だったみたいだけど、検閲が厳しくなるにつれ、手口もより巧妙化してきてるみたいね」
ベルナールは、目を凝らしてメモを見てみた。
そこには熱して液体にしたエニジアを水晶に溶け込ませる方法や、検閲の目をすり抜けたあとで、エニジアを取り出す方法も記されていた。その説明は長く詳細で、幾度もこの方法でエニジアを密輸した者が書いたと思われた。
もしかしたら、このメモをマニュアル化して売り捌いていた者でもいたのかもしれない。もしそうであるのなら、その者は立派な教唆犯だろう。
「エニジアって、そこまでして持ち込みたいものなのかな?」
「そりゃもう、もちろんよ」
ベルナールの質問に、ザンティは即答した。
「禁止薬物といえど、需要があるところにはあるみたいだからね。結構な金額で取引されているらしいわよ。欲しい連中にとってはまさしく現金が実る木、金の卵を産む鳥ってわけね」
まともな思考の持ち主であれば、密売がバレた時のことを考えそうなものだとベルナールは思った。
とにかくエニジアの密売に関わっているような連中ならば、早急に拘束する必要があると感じた。そうしなければ、翔子にも火の粉が飛びかねない……あくまで推測だが、下手をしようものなら、彼女まで密売人の容疑をかけられる事態に発展しかねないのではとベルナールは思った。
煙草を取り上げた時にも、ビルから身を投げた翔子を救った時にも、ベルナールは彼女から手厳しく拒絶されていた。それでも、翔子に危害が及びかねない状況をこのまま放置しようとは思わなかった。
翔子にもしものことがあれば、七瀬だって悲しむだろう。
「とはいえ、このメモだけで警察が動いてくれるかどうかは怪しいところなのよね……シドの話から、容疑はほぼ決定的なんだけど、エニジアの現物を押さえたってわけでもないし」
煙草を片手に、ザンティはため息をついた。
このメモ以上に決定的で、犯行を暴くことに繋がるさらなる証拠が必要だった。
それを押さえるために、ザンティは人間界へ向かおうとしているらしい。彼女の口ぶりからして、自分が自由に人間界へ出入りできる身であるのなら、今すぐにでも向かいたいと思っていることだろう。
「まあ、警察に動いてもらう必要もないとは思うんだけどね」
「姉さんだったら、そうだろうね。必要になったら、僕も力を貸すよ」
多くは語らず、ベルナールは協力を申し出た。
それはつまり、ザンティが密売人の拘束に乗り出すならば、自らも加勢してもいいということだった。
「じゃあ、その時はお言葉に甘えて……お願いしようかしら」
短くなった煙草をいつものように素手で握り潰しながら、ザンティは応じた。
◇ ◇ ◇
昼休みの時間、七瀬は廊下の談話スペースに設置された椅子に腰かけて、スマートフォンを操作していた。いつもなら昼食の時間で、周囲は多くの生徒が行き交っている。弁当を用意していないのか、はたまたそれだけでは物足りないと感じている生徒達が購買部に殺到する、まさに『購買戦争』が巻き起こっていた。
画面を見つめる七瀬の面持ちは、神妙なものだった。
午前中から、ずっと翔子のことが気にかかっていたのだ。
飛び降り自殺未遂の件はもちろん、彼女が見せた凶暴な一面、それにベルナールから聞いた話が、どうしても頭を離れなかったのだ。
メッセージアプリを使って連絡を入れてみたが、翔子からの返信は一切なかった。いつもならすぐに返信してくれるのだが、状況を考えると、無視されているとしか思えない。
「翔子先輩……」
力なく呟く七瀬に、ひとりの少女が歩み寄ってきた。
「七瀬さん?」
顔を上げると、いつの間にそこにいたのか、ルキアと視線が重なった。
彼女の片腕には、ドラゴンガードの腕章が着けられたままだ。職務中に偶然七瀬の姿を見かけ、声をかけてきたらしい。
「ルキアさん、どうかした?」
スマートフォンをポケットにしまい、平静を装いつつ七瀬は応じた。
「いや、ちょっとね……お礼が言いたくて」
「えっ、お礼? 私に?」
これといって感謝される心当たりもなく、七瀬は問い返した。
「実は今日、サンドラとシェアトさんが私の歓迎会を開いてくれるって言ってさ。場所がル・ソレイユになったんだ。ほら、七瀬さんが前に教えてくれたあのお店」
学校から徒歩数分ほどの場所にあり、前々から七瀬が気に入っていた喫茶店だ。
以前ルキアがマスカットが好物だと聞いた際、七瀬はこの店に行かないかと提案した。ル・ソレイユのマスカットタルトはとても美味しく、ルキアならきっと気に入ると思ったのだ。
歓迎会……とはいっても貸切ったりするわけではなく、ただルキア達でこの店に行くということなのだろう。
「へえ、あのお店でやるんだね」
自分が教えた店が会場に選ばれたということが、七瀬には嬉しく感じられた。
「あの時はありがとね、いいお店を教えてくれて」
「それくらい大丈夫だよ。ルキアさんなら、ドラゴンサイズのマスカットタルトもひとりで完食できそうだね」
ドラゴンサイズというのは、それまで最大だったXLサイズを超えるビッグサイズのマスカットタルトだ。つい先月あたりから新設されたサイズで、ネットの口コミでは『まるで特大のピザのよう』と称されるほどに大きく、数人がかりでやっと完食したらしい。
甘党やマスカット好きであったとしても、注文するには勇気がいる一品だそうだ。
「あ、あはは……まあ、あれを注文するかどうかは分からないけどね」
指先で頬をぽりぽりと掻きながら、ルキアは笑みを浮かべた。
「まあ、困りごとでもあったら言ってね? 私でよければ力になるから」
ルキアはどうやら、思い悩んでいた七瀬を見ていたらしい。
お礼を言いたい、というのが話しかけてきたきっかけだったものの、七瀬のことを案じてくれたのかもしれなかった。
「そうする。ありがとう、ルキアさん」
七瀬が応じると、ルキアは手を振りつつ歩き去っていった。
生徒達の流れに彼女の背中が消えていくのを見送って、七瀬はポケットから再度スマートフォンを取り出した。
メッセージアプリを立ち上げて、再度翔子に『困ったことでもあったら言ってくださいね、私でよければ力になりますから』と綴った。翔子がそれを読んでくれるかどうかは分からない。ただ七瀬は、少しでも彼女の力になりたかった。
このあと、まもなくして事件が起きる――もちろんこの時の七瀬には、そんなことが分かるはずはなかった。




