第121話 ザンティの真意
「なあマーヴィン、この置物……さっきこんな場所に置かなかったよな?」
隙を見て逃げ出すか、あるいはこのまま置物のフリを続けて機会を待つか。
考えるかぎり、選択肢はそのふたつくらいしか思いつかなかった。しかし、シドにはどちらが最善の行動なのか分からない。
「置いてねえと思うが……こいつがひとりでに動いたとでも言うのか?」
まさしく、そのとおりだった。
ボーンドラゴンであるシドは首が胴体から離れても平気なうえ、転がって移動したり、ジャンプすることもできる。とはいえ、ここにいる三人はまだ、シドが置物に偽装されたボーンドラゴンだとは夢にも思っていないだろう。
しかし、疑惑の目を向けられているのは間違いない。詳しく調べられてインクを剥がされたりでもすれば、正体に感づかれる事態に発展するのは必至だ。
「いや、そうじゃねえけど……怪しいと思わねえか?」
男のひとりが、シドを乱暴に掴んで持ち上げ、マーヴィンに向けてかざした。
それがガドックなのかドルーガなのかは分からないが、どちらだろうとそれほど変わらない。
ザンティは、シドの隅々にまでインクを塗りつけて完璧に水晶の置物に偽装した。外側はもちろん、内側にも隙間なく塗ってくれたので、少なくとも目視で見破られる心配はない。見た目も質感も完璧なのは、シド自身が金属片に映った自らの姿を見て確認している。
このまま黙り込んで、置物になりきっていれば……とも思ったのだが、
「なら、調べてみろ」
マーヴィンが手下に投げ渡したのは、ナイフだった。
シドは焦る。
(やや、ヤバい……一部でもインクを剥がされれば、あっしがボーンドラゴンだってことがバレて……!)
不死身とも称されるボーンドラゴンは、ナイフ程度で致命傷を負いはしない。
しかし問題なのは、正体が露見することだった。
覚えのない場所にシド……つまり、ドラゴンの頭部を象った水晶の置物が移動しているのを、『気のせい』で済ませてくれればよかった。自分達が行っている犯罪行為に関わることを、ペラペラと喋る迂闊さが目立つ連中だったし、それも期待できると思っていた。しかし、そうもいかなそうだ。
マーヴィンから受け取ったナイフを、男はシドに近づけていく。
鈍い輝きを放つ、鋭利な切っ先が近づいてくる中、シドは強行的な逃亡に打って出ようと考え始めた。
(もも、もうダメでやんすな。こうなったらもう、無理やりにでもここから逃げ出して……!)
頭部だけの状態でも、シドは転がって移動することができる。しかしながら、決して素早くはない。強引に逃亡を図っても、それは一時しのぎにしかならない可能性が高かった。
とはいえ、状況が状況だけにやむを得ないのも事実だ。連中はまさか、シドが転がって移動できるとは思ってもいない。不意を突いて逃げ出し、どこか狭い隙間にでも潜り込めば――算段を立てていた、その時だった。
突如、廃工場内に黒い煙が充満した。
「ん? おい、何だこの煙は?」
「分からねえ、何か燃えてんのか?」
男達が、訝しそうに周囲を見渡す。
ナイフを手放しはしなかったが、彼らの注意はすでにシドから逸らされていた。
(ん? この煙……)
どこから発せられているのかも分からない黒煙は、たちまち工場内に充満していく。
次第に男達はむせ返り、咳き込みだした。
「ゴホッ、何だってんだ……おい、離れようぜ!」
「あ、ああ!」
ナイフとシドを取り落とし、男は仲間とともに逃げ出していく。
黒煙はすでに、視界がほとんど遮断されるほどの濃度になっていた。男達はたまらず逃げ出したが、シドは平気だった。
発生源は分からないが、タイミングよく黒煙という助け舟が発せられたのは幸運だった。さらに彼が取り落とされたのはさっきの机の上だったので、証拠となるあの書類の目の前だった。
形勢再逆転、まさにそれを絵に描いたような状況だったのだ。
「こいつはありがてえ、まさに逆転のジャックポット! 証拠はきっちり頂きやすぜ!」
廃工場に潜入して、シドは初めて口に出して言葉を発した。それは、ここぞとばかりの勝利宣言だ。
証拠となる書類をむしゃむしゃと口に入れ、口腔内へと隠す。彼は唾液も分泌しないので、書類が濡れる心配はない。くしゃくしゃに丸まった状態にはなってしまうものの、内容さえ判読できれば問題はなかった。
証拠を確保したので、もはや長居は無用だった。
「さてと、出口は……」
退避しようとするが、黒煙に視界が遮られているので方向が分からない。
とはいえこの黒煙はシドの身に影響があるわけではない。焦らず出口を探せばいいか……そう考えた時だった。
――何者かが突如、シドの頭を掴んだ。
「いっ!?」
◇ ◇ ◇
「で、姉さん……これは、いったいどういうこと?」
いつものごとく、巨大水晶に腰を下ろして彫刻に勤しんでいる姉に、ベルナールは問いかける。
彼が右脇に抱え込んでいるそれに、ザンティは見覚えがあっただろう。というか、見覚えがないはずがない。シドの頭部をもぎ取ったのは彼女、特殊インクで水晶製の置物に偽装したのも彼女。
そして、ベルナールに彼の回収、というより救助を頼んだのも、他ならぬザンティなのだ。
「姉御、ただ今戻りやした!」
ベルナールに抱えられたまま、シドが威勢のいい声でザンティに帰還を申し伝える。
「お疲れ様、シド。とりあえず元に戻ったら?」
「おっと、そうしやすか。ベルナールの旦那、ここらで大丈夫でやんす」
ベルナールは、シドの頭部を暗澹の洞窟の地面に置いた。
するとシドは転がって移動していき、その先に待機していた彼の身体部分のもとへと向かう。シドの身体部分は、まるで出迎えるように自らの頭部を拾い上げた。ザンティに頭部をもぎ取られ、潜入ミッションに送り出された時以来に、シドの頭部と胴体が再会した。
頭部のみでも動き回り、言葉を発することも可能なシド。そして彼の身体もまた、頭部を失っていても動くことが可能だった。厳密にはシドの意志で遠隔操作ができる、と説明したほうが適切だろう。
とはいえ、身体だけでは周囲の状況把握ができないので、基本的には動かさずにじっとさせていることが多い。
「懐かしや、我が身体!」
頭部を首のところに押し当てると、たちまち接合されて元通りになった。
首が曲がっていないかを気にしているのか、シドは数度側頭部をコンコンと叩く。ちなみに特殊インクはまだ落とされていないので、頭部だけが水晶製に見える奇怪な有様だった。
「姉さん、説明してくれない?」
「ええ。でもその前に、少しシドと話させてくれない?」
ベルナールは『分かったよ』と言いたげに頷いた。
ザンティの手招きに応じて、シドが彼女のところへ駆け寄っていく。
「報告して」
シドは「へい!」と応じると、自分の口の中に右手を突っ込んだ。
出てきたその手には、くしゃくしゃになった何かの紙切れが握られていた。
「姉御が睨んでたとおりでやんした。連中がエニジアの密売で小遣い稼ぎをしているのは間違いありやせん、これが決定的な証拠でやんす」
シドから紙切れを受け取ったザンティは、目を細めてじっとそれに視線を向けた。
「なるほど……よく手に入れたわね」
「逃げる時のドサクサに紛れて、掠め取って来たんでやんすよ」
なんの話をしているのだろうか?
気にはなったが、口を挟んだりはせず、ベルナールはふたりの会話を見守っていた。
「ご苦労様。それじゃあシド、もうひとつ頼んでもいいかしら?」
「えっ……いやでも姉御、あっしゃたった今戻ってきたばかりで、しかもそれなりに危ない目にも遭ったりも……」
ベルナールが駆けつけた時、シドは男達に迫られて窮地に陥っていた。ベルナールが慌てて黒煙を吐き出して男達を退散させ、その隙に助け出すことに成功したのだが、少し到着が遅ければどうなっていたか分からない。ボーンドラゴンである以上、殺害されることはなかっただろうが、尋問されて秘密を白状させられる事態に陥ったかもしれない。
難色を示すシドだが、彼の言葉はそこで止まることになった。
――ザンティの右拳が、彼の口の中に突っ込まれたからだ。
「んがっ、もごっ!?」
ザンティは拳をすぐに引き抜き、
「追加の手間賃として、報酬は上乗せしてあげる。必要ないなら、潜入の分だけ残して返してもらうけど?」
「え? んっと……」
証拠となる紙を取り出した時と同じように、シドは自分の口の中を探った。
「お……おおお、三万円も!?」
彼が取り出したのは、三枚の一万円札だった。
拳を彼の口腔内に突っ込んだ時に、ザンティが入れたのだろう。とてもエキセントリックな『手渡し』だ。
「ありがたやありがたや! で、今度は何を?」
ついさっきまで、追加の仕事を頼まれることに難色を示していたのが嘘のように、シドは揉み手でザンティに問う。
提示されていた以上の報酬によって、完全に尻尾を振っているようだ。
「私が人間界に降りるための、許可証を申請してきてほしいの」
「ん、姉御、そりゃつまり……」
ザンティはベルナールと同様のドラゴンゾンビだが、その殺傷能力は彼の比ではない。彼女の能力は危険視されており、龍界に届け出て許可証を得なければ、ザンティは人間界の地を踏めないのだ。
ザンティが許可証の申請を望むということは、彼女が自ら人間界に向かう気があるということになる。
シドは彼女の意向を察したのか、それ以上何も訊こうとはしなかった。
「それじゃさっそく、ひとっ走り行って来やす!」
小さく頷いたと思うと、特殊インクを落としもせずに、シドは走って行ってしまった。
彼の背中を見送ると、ザンティはベルナールに向き直った。今日は、煙草を吸おうとする様子がない。
「暗澹の洞窟の水晶でできた作品が、改造を施されてエニジアの密輸に利用されたことがあるの、知ってる?」
「えっ?」
姉から切り出された話に、ベルナールは思わず目を丸くした。
ザンティは、自らが腰掛けている巨大水晶に手の平を触れさせる。
「この水晶も、エニジアも青くて半透明……紛れ込ませてしまえば見破るのは非常に難しくなるし、メカニズムは解明されてないみたいだけど、水晶には人間界のエックス線や、犬の嗅覚も誤魔化す作用があるのよ。だから、密輸を行う犯罪者にはうってつけの隠匿グッズってわけね」
ベルナールは、何も言わなかった。
アクセサリーや彫刻の素材に使われるだけだと思っていたが、いつも見ているこの水晶にそのような使用用途があったとは知らなかったのだ。
「少し前のことだけど、私の創作仲間の作品がエニジアの隠匿グッズとして悪用されたの。その子が密輸とは無関係だったことは証明されたけれど、嫌疑をかけられた影響でその子は犯罪者のレッテルを貼られてしまった。結局彼女は、創作から手を引いてしまったわ」
「そんなことが……!」
心血を注ぎ込んで生み出した作品を悪用された挙句、いわれのない疑いの視線を浴びせられ、廃業にまで追い込まれる。
ザンティと違って、ベルナールは何かを作る仕事をしているわけではない。それでも、理不尽な話だということは十二分に理解できた。
仮面のせいで、ザンティの顔は半分ほどが見えなくなっている。しかしベルナールには、姉の表情にどことなく悲しい色が浮かんだように感じられた。
「私はただ、その子の仇を討ちたいだけよ」




