第119話 渾身の一作
「ほらよ、分け前だガドック」
「へへ、サンキュー」
数枚の一万円札を差し出すと、『ガドック』と呼ばれた男は嬉々としながらそれを受け取る。
続いてもうひとり、傍にいた別の男にも、同じ金額の現金を手渡した。
「ほらドルーガ、今回は豊作だから、いつもより増額してるぜ」
「ありがとよ、頂戴するぜマーヴィン」
現金を手渡している男も、それを受け取っている男も、全身にいくつものアクセサリーを光らせ、腕にはタトゥーまで入れた柄の悪そうな男達だ。
彼らの様子を見れば、たった今やり取りされた金が真っ当な方法で得られたものではないことは想像に難くない。今動いたのは、金額にして十数万円ほど――それらはすべて、不正な手段で手に入れた薄汚れた金だった。
犯罪者の山分けの会場となっているのは、もちろん人目につくような場所ではなかった。
つい数年前に閉鎖となり、使われなくなった廃工場だった。機材などはすでに残らず運び出されているものの、費用の都合で取り壊しが見送られ、滅多に人も寄りつかないこの場所は、違法行為にはうってつけだったのだ。
遠くない場所に線路があり、列車が走行する独特な音が鳴り渡る。それを聞きながら、ガドックとドルーガは受け取ったばかりの一万円札数枚をポケットに押し込んだ。
「へへ、これでしばらくは遊び放題だな。ギャンブルに酒……人間界には面白いもんがわんさかある」
言ったのは、ガドックだ。その言葉はもはや、自分が人間ではないという告白と同義だ。
そう、ガドックは人間ではなくドラゴンだ。それどころかドルーガも、ふたりに現金を手渡したリーダー格のマーヴィンも、今は人間の姿をしているが、正体はドラゴンなのだ。
人間界の娯楽や嗜好品に興味を持つドラゴンは、少なくない。
ドラゴンステイしていなくとも、遊ぶことを目当てに人間界に降り立つドラゴンがいるほどだ。ここに集まった彼らもそうなのだが、その元手となる金を手にしている手段は、明らかな違法行為だった。
「ああそうだマーヴィン、こいつが指定した取引場所に置かれてたぜ」
ドルーガが、段ボール箱を両手で抱え上げた。そこまでサイズは大きくはないもので、『壊れ物、取り扱い注意!』と大きく書かれたラベルが貼り付けられていた。
マーヴィンが、目の色を変えて歩み寄る。
「おおお、さっそく来たか。貸せ!」
ひったくるように、段ボール箱を奪い取る。ドルーガは苛立った表情を浮かべてマーヴィンを睨んだが、結局は何も言わなかった。
ガムテープをビリビリと乱暴に破り、開封していく。
「仕事が早いもんだな、まさか自分が犯罪の片棒を担がされるだなんて夢にも思わねえで、俺らにとっちゃクソの価値もねえシロモノの注文に喜んで応じてくれちゃってよ……!」
ここにはいない、この荷物の送り主。
顔も名前も分からないその者を、露骨に嘲るようにマーヴィンが言うと、それに追随してガドックとドルーガも嘲笑する。
しかし箱の中身を見た瞬間、マーヴィンの表情に曇りが浮かんだ。
「ああ? 何だこりゃ……」
入っていたのは、マーヴィンが思っていた物ではなかった。
――青く透き通った水晶で作り出された、頭骨を模した置物だった。とはいえモデルは人間の頭蓋骨ではなく、ドラゴンのようだ。角に相当する部分があったし、口の部分が前方に張り出しているので、マーヴィンにはそれが分かった。
何だ、これは? 訝しく思いつつ、その置物を手に取ってみる。その拍子に、何かの紙がひらりと落ちた。
「こいつは、手紙……?」
拾い上げてみると、便箋のようだった。そこには、ペンで書かれた流麗な文字が並んでいた。
書かれていた内容は、
――このたびは大口のご注文をいただきまして、誠にありがとうございました。
納品に際しまして、お客様の満足と信用を得るため、先にサンプルのほうをご送付させていただきます。今回ご注文いただいた商品と同じ材質、製法で作り上げた置物です。
質感や手触りなど、気になる部分やリクエストがございましたら、遠慮なくお聞かせください。
この出来で差し障りないのであれば、さっそく商品の製作に取り掛からせていただきます。
つきましては、ご連絡をお待ち申し上げております。
「ふん、何がサンプルだ、まだるっこいことをしやがって……」
吐き捨てると、マーヴィンはドラゴンの頭骨を模した置物を無造作に放った。続いて便箋もくしゃくしゃに丸めて、後方に投げ捨てる。
明記されていたように、サンプルを送ってきたのは送り主の気遣いだろう。しかしマーヴィンにとっては、余計なお世話に他ならなかった。こんなサンプルも添え状も不要だった、彼が求めているのは、『完成された商品』だけだったのだ。
「ガドック、『例の女』にもう一度注文書を出してこい。この出来で構わねえから、さっさと作れってな」
「ああ、分かった。明日にでもやるよ」
マーヴィンはもう、投げ捨てた置物や便箋への興味を完全に失っていた。気にするどころか、それらに視線を向けすらしなかった。
彼が考えているのは、自分達がこれから実行しようとしている、さらなる犯罪行為のことだけだ。
「向こうでポーカーでもやろうぜ、もうすぐこれまで以上の金が入る……その前祝いだ」
「お、いいね!」
「やろうぜ!」
マーヴィンに同調したガドックとドルーガが、その背中を追っていく。
三人は下品な笑い声を発しながら、その場から去っていった。まもなく自分達の懐に、さらなる大金が転がり込んでくる――そう考えて、気持ちを高ぶらせているのかもしれない。
もちろん彼らは、自分達の会話に聞き耳を立てている者がその場にいたなどとは、微塵も考えはしなかった。
◇ ◇ ◇
「姉御の読みどおり、ビンゴだったようでやんすな……」
マーヴィン、ガドック、ドルーガ、三人が去った廃工場に発せられる声。その主はなんと、段ボール箱に入れられてこの場に送り込まれたシドだった。
とはいえ、五体満足の状態ではない。それに、本来の彼の体色からはかけ離れ、水晶製の置物に偽装されていた。
「よっと……!」
まるでボールのごとく、ゴロゴロと転がって移動する。
ドラゴンのそれとはいえ、頭骨が独りでに転がって移動する様子はホラー感が大きい。とはいえ、それを見る者が誰もいない以上は問題がないだろう。
途中でふとシドは停止し、あのマーヴィンという男がくしゃくしゃにして投げ捨てた便箋に目を留めた。
「ったく……姉御の手紙をこんなふうにして捨てるなんて、とんだタコでやんすな」
この便箋には、ザンティからのメッセージが書かれていたはずだった。他でもないシドが、それを書いているのを目にしているのだから間違いない。
そう、あの段ボール箱の送り主はザンティだった。
シドに特殊インクを塗って水晶製の置物に偽装し、ここに潜入させたのも彼女だ。
「いや、そんなことを言っちゃあ、タコに失礼か……反省反省」
脳が九つもあったり、鏡に映った自分を自分自身と認識できる『鏡像自己認知能力』があったり、『海の賢者』と呼ばれることもあったりと、タコは何気にスペックの高い生き物である。
独り言を漏らしつつ、床に転がった金属片に視線を向けた。
いつからそこに放置されているのか分からないが、その金属片には錆がほとんどなく、鏡のようにシドの姿を映した。
(おおお、さすがは姉御。こりゃどう見ても水晶の置物……彫刻だけじゃなくて、こういった技術に関してはまさしくプロ級の腕前でやんすな)
マーヴィンも他のふたりも、シドを水晶の置物と信じて疑っていなかった。
手に取って間近で見ても気づかないレベルまで、見た目も質感も完璧に似せるのは、生半可な腕前ではないだろう。
シドは顔を左右に動かして、隅々まで見てみる。細部に至るまで手が込められており、迅速かつ丁寧な作業だったことが分かる。
(おっと、感心してる場合じゃない。もっと『証拠』を集めないと……でもまあ、連中が自白してたし、もう容疑は固まったも同然でやんしょが……)
シドは、ザンティが自分の頭部をもぎ取って細工を施し、そしてこの場に送り込んだ理由を思い出した。
◇ ◇ ◇
時間を、少し前に遡らせる。
頭部をもぎ取られたシドは、それでもなお生命活動を維持していた。ボーンドラゴンたる彼が有する最たる特徴は、『不死身』と称しても誇張ではないほどの生命力だ。
全身骨だけの外見からは、どことなく『死』を想起させる雰囲気が漂っている。だがボーンドラゴンを殺害することはほぼ不可能とされ、刃物で斬りつけても、銃で撃ち抜いても殺せない。
今のように、頭と胴体がお別れしようとも生きていられる――しかし容易に切り離せるわけではなく、それなりの力が必要だ。
片手でシドの頭部をもぎ取ったザンティ、彼女の力は相当なものだ。
「あ、姉御? いったい今度は何を考えていらっしゃるんで?」
シドが問いかけるあいだにも、ザンティは頭部だけになった彼を片手に持ち、もう片手で筆を持って特殊インクを塗りつけていた。なおこのインクは彼女が独自に考案・開発したもので、市販はされていないらしい。
仮面に隠れていない彼女の右目は、一時も瞼に遮られることはない。まばたきすらせずに、作業に集中していることが分かる。
ちなみに、煙草も吸っていなかった。
「あなたに頼みたいことがあるのよ。もちろん、それなりの報酬は用意する。この前の競馬のレース、どうせまた外したんでしょ?」
シドは仰天した。彼は競馬好きで、人間界に降り立ってはしばしば馬券を買っていた。
ザンティに競馬を嗜んでいることは伝えているが、以前のレースの券を買ったことは伝えていない。しかし言っていなくとも、彼女にはもはやお見通しだったようだ。
「あ、あはは……そうウマくはいかないもんなんでさ。馬だけに……」
「そうね。競馬で稼げるなら誰も働かないだろうし……世の中、そうウマい話はないってね」
シドのダジャレに乗るザンティの口元には、笑みが浮かんでいた。
しかしそれも一瞬、いつものような鋭さを帯びた眼差しに戻ったと思った瞬間、シドの片角が鷲掴みにされる。
「くだらないこと言ってると、この角引っこ抜いて頭にぶっ刺すわよ」
シドの冗談に追従する素振りを見せたことは、完全に棚上げだ。
「ひいいっ!? お、お許しを! あっしゃ、軽い冗談のつもりだったんでさ……!」
シドの頭部を簡単にもぎ取ったザンティの腕力があれば、彼女が言ったことを実行するなど造作もない。角を抜くどころか、片手で頭部を丸ごと握り潰すのも可能だろう。
深いため息とともに、ザンティはシドの角から手を放した。
「冗談よ、冗談」
「あ、姉御……冗談キツいでさ……」
泣き出しそうなシドに構わず、ザンティはまたインクを塗り始めた。
「不届きな連中を懲らしめるために、一肌脱いでもらいたいの。そのために、今からあなたには私の渾身の一作に変身してもらうわね」




