第113話 破滅の欠片
「今日はありがとね、それじゃ!」
「ああ、またな」
手を振りながら走り去っていく翔子を、男達は穏やかな表情を浮かべつつ見送った。
人数にして三人。全員が筋骨隆々で体格が良く、全身にいくつものアクセサリーを光らせていた。
いかにも柄の悪そうな男達――その真ん中、先頭に立っていた人物が、翔子の背中が見えなくなると同時に煙草を咥え、いかにも怠そうな様子で煙を吹き出した。
「なあマーヴィン、いいのか? 飯を奢ったうえにあんなに小遣いまでやって……金が底をつくんじゃないのかよ?」
「全然、どうってことねえさ」
リーダー格といえるその男、『マーヴィン』は道端に煙草を捨てて踏み消した。喫煙におけるマナーを欠いた行為だが、そんなことは気にも留めない。彼にとっては、ルールなど無意味に等しい。
翔子が去った方向を見つめ、マーヴィンは腕を組んだ。
がっしりと太い彼の右腕には、悪趣味な蛇のタトゥーが彫られている。
「あの小娘にはいずれ、『仕事』を手伝わせるんだ。今は、餌を存分に与えて懐かせておかなきゃならないだろ?」
「おいおい、そう上手くいくのか?」
マーヴィンに問うたのは、もうひとりの男だ。疑問を呈しつつも、その口元には笑みが浮かんでいる。
「ああいう育ちのいいお嬢様は、ひとたび脅しをかければ扱いやすいもんさ。今のあいつには、俺達のところくらいしか居場所がねえだろうしな」
そう言うと、マーヴィンは最初に質問した男を振り返った。
「で、そっちはどうだ? おあつらえ向きの『ブツ』は見つかったのか?」
「ああ、便利そうなもんを見つけてきた……これで一層、やりやすくなるはずだ」
頷くと、マーヴィンは新しい煙草に火を付けた。
無数の星が輝く夜空を仰ぐ。
「それにしても、いい金蔓を見つけたもんだな。当分稼がせてもらうとするか」
そう豪語するマーヴィンや他のふたりの男を、離れた場所から見つめている一匹の龍界コウモリがいた。
彼らはもちろん、そんなことに気づくはずもなかった。
◇ ◇ ◇
「ふー、終わった……!」
机に向かっていた七瀬は、解放感に浸りながら伸びをした。
入浴を済ませ、寝間着のネグリジェ姿の彼女は、眠る前に学校の宿題に取り組んでいた。普段はポニーテールに結んでいる髪も、すでに下ろされている。
七瀬の自室には、彼女以外に誰もいない。ベルナールはまた、龍界に用があると言って出掛けたので不在だった。
しかしここには、七瀬の言葉を聞いている人物がいた。
『お疲れさん、俺もあとちょっとで終わりそうだよ』
七瀬のスマートフォンから発せられたのは、智の声だった。無料通話アプリを使い、七瀬は彼と通話状態にしていたのだ。
宿題は、英文とその日本語訳の書き取りだった。教科書の指定された範囲を、すべて専用のプリントに書き写す……という単純な内容で、これといって頭を使う必要もなく、単純作業に等しい課題だ。
とはいえ、ひたすら書き写すだけの作業は単調だし、飽きも感じる。正直に言ってしまえば、面倒だった。エックスブレインへの訪問で疲れを感じていた七瀬には、なおさらだった。
そこで七瀬はふと、智に『英文の書き取り課題、やった?』とメッセージを送ってみた。
夜だし、気づかないかもしれない……と思ったが、そんなことはなかった。
ものの十数秒後に智から『今やってるけどすごくダルい、飽きそうだ』と返信が届いた。彼も今の七瀬と同じように机に向かい、英文書き取りの課題に取り組んでいたのだ。
そこで七瀬は、『よかったら通話しない? せっかくだし、おしゃべりしながらやろうよ』と提案してみた。
智はそれを快諾し、今に至るわけである。ひたすら手を動かすだけの書き取りであれば、話しながらでも片手間でできる自信があった。
『お疲れ様、これ差し入れ。お母様があんたに持っていってあげなって』
智ではない声が聞こえて、七瀬は机の片隅に置いたスマートフォンを見つめた。
とはいえ音声のみの通話なので、映像は映っていない。しかし、声だけで誰なのかはすぐに分かった。
「あ、その声……ルキアさん?」
『え、七瀬さん? 何あんた、電話しながら宿題してたの?』
ルキアのほうも、七瀬と通話が繋がっていることに気づいたようだ。
言葉から察するに、ルキアは智に差し入れを運んできたらしい。
何なのかは分からないが、きっとお菓子か何かだろうと思う。智の母が菓子作りが上手なことを、七瀬は知っていた。
『ああ。ただ黙々と手を動かしてるだけじゃ、さすがに飽きが来ちゃってさ……話しながら一緒にやろうってことになったんだよ』
『そんなんであんた、集中できるの?』
『大丈夫さ、英文とその訳を書き写すだけなんだし、間違えようがないよ』
『ここ、スペルミスしてるわよ』
『え? ああっ!?』
スマートフォン越しに聞こえてくるやり取りに、七瀬は笑みを浮かべた。
まるで、姉弟のようだと思った。
思えば、ルキアが智の家に寄宿しているドラゴンだと聞いた時は驚いたものだった。それもそのはず、性別は男で、大柄でがっしりとしたフォルム。情に厚い性格を備えていて、体色は青系統。智が希望していたのは、そんなドラゴンだったはずだ。
そんな智の希望に、ルキアはことごとく反している。
当初七瀬は、ふたりが仲良くやっていけるのだろうか疑問に思ったものだった。その答えは、今の智とルキアの様子が物語っているだろう。
(思えば、私も最初はベルとは……)
書き取りの課題プリントをしまいつつ、七瀬は今朝の夢を思い出した。
エックスブレイン社の訪問に、難しくはないが手間のかかる宿題。
本日の難題を両方とも片づけ終えたことで、解放感が全身を覆い包むのが分かる。椅子の背もたれに背中を預け、リモコンを手に取ってテレビの電源を入れてみた。
これといって、見たい番組があったわけではない。ただ息抜きに、面白いバラエティでもやっていないかと思っただけだ。映ったのは、夜のニュースだった。
『次のニュースです。ドラゴンと共謀し、転売目的で大量のエニジアを龍界から持ち込もうとしたとして、兵庫県に住む高校生が逮捕されました』
キャスターが語った内容に、七瀬は思わず身を乗り出した。
『兵庫県警によると、高校生は動機について、ソーシャルゲームに課金するために金が欲しかったと供述しており、警察では仲間のドラゴンも含めてさらなる追求を……』
七瀬は、机に置かれたスマートフォンに再度視線を向けた。
「ねえ智、このニュース知ってる? 高校生がエニジアを転売目的で持ち込もうとして捕まったって……」
『え、エニジアを? 高校生が?』
スピーカーからは、智とルキアのやり取りが流れ続けていた。それを遮るように、七瀬は口を挟む。
顔は見えないが、声色からして智も驚いている様子だった。
『あんた、エニジアを知ってるの?』
『そりゃもう……最近になってちょいちょい聞くようになってたからな。ドラゴンの力を増強する薬物だろ? 一時的に強くなれるっていうけど、耐性がないドラゴンが服用すれば暴走状態に陥る可能性があって……危険だから使用するのも、龍界から持ち込むのも禁止されてるって』
エニジアは、龍界特有の植物を原料に製造される禁止薬物だ。
近頃、不正取引の商品になることが増えたという理由で認知が進みつつあり、智の言ったようにドラゴンの力を増強させる作用がある。反面そのリスクも大きく、人間が服用しても何の意味もないものの、ドラゴンによる重大な事件や事故の原因になりかねないと危険視され、大麻やコカインといった麻薬とほぼ同格の扱いを受けていた。
禁止薬物であるとはいえ、欲する者にはそれこそ喉から手が出るほどに欲しい代物である。
手の平に乗るほどの量が数百万単位で取引されることもあり、例の高校生もその金額に目が眩んだのだろう。
手軽に多額の現金が手に入る。そんな旨い話にまんまと騙され、一線を越えてしまった代償を、これから存分に払い続けていくことになるはずだ。
「そう、だから『破滅の欠片』って呼ばれてるんだよね。この薬……」
当然ながら、七瀬はテレビでしかエニジアの現物を目にしたことがない。智やルキアも、きっとそうであるに違いない。
外見的には、エニジアは薄青い砕かれた結晶状の物体だった。見た目にはまるで宝石のように美しいが、その実体は使用者のみならず、周囲にまで危害を及ぼす可能性を孕んだ危険極まりない薬物。
七瀬が言うように、それこそが『破滅の欠片』と称される所以なのだろう。
これまでにも幾度か、不正売買のニュースを目にしたことはあった。
しかし、自分や智と同じ高校生がエニジアにまつわる犯罪を引き起こしたというニュースを耳にしたのは、七瀬は今回が初めてだった。
『まともな人やドラゴンなら、そもそもこんなものには手を出さないけどね。正常な考えが働くなら、真っ先にバレた時のことを考えるでしょう』
呆れたようなルキアの声。たとえ主犯ではなくとも、エニジアの持ち込みに加担したドラゴンは軽い罰では済まないだろう。
ルキアは今、目の前にはいない。
いないのだが、テレビに視線を向けたまま、七瀬は思わずドラゴン少女の言葉に頷いた。




