第105話 スーパーガール
「今回のテスト、最高点は雪村だ。なんと九十八点!」
教室内に、歓声と拍手が沸き起こる。
七瀬は、ほんのさっき返却されたテストの答案用紙を手に赤面する。解答欄はほとんど赤丸で埋め尽くされていたが、一問だけレ点チェックが入っていた。
唯一間違ってしまった問題は、出題された中でも上位の難問だった。
惜しくも満点を逃したが、この問題であれば仕方がないと自分に言い聞かせる。
「それに比べて松野、前回よりは頑張ったようだが、もう少し勉強するように」
努力するよう促された生徒は、七瀬のすぐ隣の席に座っていた。
「はい、そうします……!」
おずおずと答えたのは、智だった。
彼が大の数学嫌いだということは、七瀬に留まらずクラスの誰もが知っていた。
テストはほぼ毎回赤点で、担当教員からクラス担任のシルヴィアに通告が入るほどだった。ついこの前には赤点を採ったペナルティとして、シルヴィアが智にワーク運びの罰則を課していたことが記憶に新しい。
「ふう、でもギリギリセーフだったな……」
三十七点という、七瀬の半分にも満たない点数が書き記された答案用紙を見つめ、智はため息をついた。
学校によって差異があると聞いているが、智や七瀬が通うこの高校において、赤点の定義は三十点未満。つまりは、二十九点以下だ。
今回のテストで智は赤点を回避できたが、決して余裕というわけではなく、それなりにリスキーだったと考えるべき点数だろう。
「赤点にならなくてよかったね、智。私も頑張って教えた甲斐があったよ」
智が赤点を回避できたのは、七瀬の尽力の賜物だった。
前の数学のテストで赤点を採り、罰則を課された智。また赤点を採ったりしようものならば、さらに厳しいペナルティを喰らわされるのではないだろうか。それを懸念した七瀬が、特別に勉強会を開催して智に数学を教え込んだのだ。
とはいっても、難しい問題を無理やりに理解させようとしたわけではない。ただ、基礎となる易しい部分を理解してもらえるように努めた。試験問題を作成する教員が極端に難易度を引き上げないかぎり、テストでは点を稼がせるための簡単な問題が必ず出題される。場合によっては、学校のワークの問題がそのまま出題されることだってあるのだ。
そういった問題だけでも解くことができれば、赤点はきっと回避できる――結果から見れば、七瀬の作戦は非常に効果的だったというわけだ。
「さすが、社長令嬢様は頭脳も一級品だな」
智は答案用紙を二つ折りにして、さっさとしまい込んだ。
あまりにも寂しい点数を見ていたくないし、見られたくもなかったのかもしれない。
「ううん違うよ、やっぱり勉強は日々の努力だよ。その気になって努力すれば、智だってきっとすごい結果を出せる。私が保証するよ」
「はは、そりゃどうも。でもその根拠は?」
七瀬はもちろん、出まかせで智を励ましているわけではなかった。
「だって智、英語とかドラゴン語はすごく得意でしょ? 私だって勝てそうにないくらいだし……きっと文系が得意分野なんだと思う。前にシルヴィア先生も言ってたけど、得意不得意の差が極端すぎるだけなんだよ。智は絶対、頭が悪いわけじゃない」
数学が苦手すぎるせいで誤解されることもあるそうだが、智はすべての教科が不得意というわけではなかった。七瀬が言ったように、得意科目では彼女に勝る点数を叩き出すことも珍しくない。
とはいえ、数学のような不得意科目が足を引っ張ってしまうので、合計点ではやはり七瀬に軍配が上がるだろう。
「七瀬みたいなスーパーガールにそう言われるのは、悪い気がしないな」
「あはは、スーパーガールはやめてよ……」
七瀬は恥ずかしそうに謙遜するが、智が言うように彼女をスーパーガール認定する呼び声は高い。
成績は上位で、所属しているテニス部では期待されている身、さらには容姿もいいと評判だ。
高校生に優劣を付ける基準など、もちろん存在しない。存在しないが、勉学や運動に秀でている者が称賛されるのは間違いないだろう。
◇ ◇ ◇
「大阪といえば?」
「そりゃもう、ソウルフードと名高いたこ焼き」
「愛知といえば?」
「名古屋城! 味噌煮込みうどんとかも有名ね」
「北海道といえば?」
「メロン! 天然温泉やスキー場とかもあるわね。帯広市は、ばんえい競馬が行われている世界で唯一の場所だったかしら」
「長野といえば?」
「もちろんマスカット。新品種のクイーンルージュも有名じゃない?」
智が挙げる県名に、そこに縁あるものを答えているのは、ルキアだった。
昼休みの時刻、今日も智と七瀬は中庭で歓談しながら昼食をともにしていた。七瀬と智は持参した弁当を広げていて、まだここにはいないけれど、真吾も購買部でパンを買ってから合流することになっていた。
生徒の昼休みの時はルキアも休憩時間なので、だいたいは四人……正確には三人と一体ですごすのが通例となりつつあった。
いつもそうしているように、皆でとりとめのない会話をしていたが、ひょんなことからルキアの日本に関する知識について話題が向かうこととなったのだ。
そこで智が質問を繰り返してみたところ、ルキアはすらすらとそれに答えていく。
「じゃあ、千葉といえば?」
「九十九里浜とか? 食べ物なら梨とか、あとは伊勢エビの漁獲量が全国トップクラスね」
「それなら……鹿児島!」
「やっぱり鹿児島弁? あれって戦時中は暗号にも使われたそうね。マスキャットはわっぜもじょか」
智はお題として県名を挙げ続けるが、ルキアはことごとく即答していく。
七瀬は思わず、彼女の知識網に感心して目を丸くした。
「ルキアさん、よく知ってるんだね……」
「龍界にいた頃、いろいろ調べたの。ずっと私、日本の家庭にドラゴンステイしたいって思ってたからね」
七瀬に応じると、ルキアはまた智のほうを向いた。
質問攻めを繰り返しても、ただの一度も『分からない』とは言われず、ルキアの知識網に完全に面食らってしまったらしい。彼女のホストファミリーである少年は、がっくりとうなだれていた。
「で、他に質問は?」
「いや、もういいわ……」
これ以上続けても勝ち目はないと判断したか、むしろ墓穴を掘ることになりかねないと感じたのか。智は負けを宣言した。
「ここにもスーパーガールがひとり……」
そう呟きながら、智はおかずのウィンナーをぱくりと口に運んだ。
タコの形に飾り切りされ、いかにもカリッとしていそうな加減に焼き上げられたウィンナーだった。彼の母が作ってくれたのだろう。
「スーパーガール? どういう意味?」
「いや……何でもない」
ルキアの質問をはぐらかし、智は続いてウィンナーに添えられたレタスを口に運ぶ。
もしゃもしゃと音を立てて咀嚼する彼の様子は、まるでキリンのようだった。
七瀬はふと、真吾がなかなか姿を見せないことに気づいた。
授業終了後、彼が購買部に向かってダッシュしていくのを見た。しかしながら、順番待ちをすることになっているのかもしれない。運動に優れた真吾とはいえ、昼時の購買部には全学年の生徒達が集まる。
他の生徒に先を越されても、無理はないか……と七瀬が思った時だった。
真吾ではなく、ふたりの少女が歩み寄ってきた。
「ルッキィ!」
手をぴらぴらと振りながら近づいてきたのは、サンドラだった。彼女の隣にはシェアトもいる。
この高校の『警備員』たる役割を持つドラゴンガードである彼女達は、周囲の生徒達と違って私服姿だった。なので、遠目でも見分けることは難しくない。
休憩時間とはいえ、彼女達の腕にはしっかりとドラゴンガードの腕章が着いていた。詳しくは分からないが、校内では外してはいけないのかもしれない。
「さとっちになっちもお疲れ様、ちょっとだけルッキィに話があるんだけど、いいかな?」
サンドラが智と七瀬に挨拶すると、シェアトもふたりに小さく頭を下げた。
元より知人関係のサンドラはもちろん、学校祭の時に顔を合わせていたので、七瀬はシェアトとも面識があった。
ベレー帽に独特な真珠色の瞳、いくつも身に着けたアクセサリーと、特徴的な要素の多い女の子だった。だから、印象に残りやすかったのだ。
「どうかしたの?」
ルキアが前に歩み出る。
「そこまで身構えなくても大丈夫だよ」
本題に入る前に、サンドラはそう前置きする。
ルキアに配慮して、深刻な話ではないことを先に伝えようと考えたらしい。
「ちょっと遅くなったんだけど、今度あたしたちでルッキィの歓迎会をやろうって話なの。よかったらどうかな?」