第102話 夜空に咲く大輪の花
「ほんとごめん、ずっと店を留守にしちゃって……!」
模擬店に戻った俺は、開口一番みんなに謝罪した。
もちろんサボりに行ってたわけじゃなくて、理由はあった。それでも仕事を放り出して長時間留守にしちまったことには変わりないし、俺の事情なんて関係ないだろう。
それに俺は代表だ。なおさら店からいなくなってはいけない立場なのに……申し訳なさが込み上がる。
「ったく、智も七瀬ちゃんも急にいなくなっちまったから心配したし、店も繁盛してたから大変だったぞ……」
腕を組みながら、真吾が言った。
驚いたことに、つい先ほどは七瀬まで店を置いてどこかに行ってしまっていたらしい。とはいえ、ほんの数分後には戻ってきたらしいが。
真吾はいつになく真剣な面持ちで、七瀬にセクハラする時とはまるで別人のようだった。
彼の意見は至極もっともで、俺はか細い声で「ほんとごめん……」と謝るのが精一杯だった。弁解も言い訳もできず、他に言えることなんて何もない。
「ま、いいさ。何か事情でもあったんだろ? 今はとりあえず、焼きそばを売り切ることに専念しようぜ」
真吾はネチネチとせず、そう言ってくれた。
とはいえ、完全に水に流してくれたわけじゃないだろう。許してくれるかどうかは、今後にかかっていると俺は感じた。
段ボールの中にある焼きそばの在庫を見てみたが、残りわずかなようだ。俺がいないあいだに多くのお客さんが来て、焼きそばが売れに売れた証拠で、なおさら真吾達に申し訳ない気持ちになる。しかしながら、それだけこの店の焼きそばが人気を博したということにもなるわけで、嬉しくもなった。
一般開放の終了時刻までには、まだ余裕がある。これなら完売も十分に狙えるはずだった。
「分かった。留守にしてた穴埋めは、働きでするよ」
真吾や他のみんなは、俺のことを配慮して店からいなくなった理由を深堀りしないでくれた。俺が仲間達にできる償いとお礼は、精一杯この模擬店をやり遂げることだった。
一生懸命準備に励んでいた俺には、学校祭を楽しむ権利がある。ルキアがそう言ってくれたことを俺は思い出した。サンドラもシェアトも、あの場を自分達に任せて俺をここに行かせてくれた。
彼女達の厚意には、報いなければならないだろう。
屋上に向かうまでにそうしていたように、俺はコンロの前に立ち、焼きそば作りを再開した。
「焼きそばはいかがですか!」
出せる限りの大きな声で、目の前を行き交う人々に呼びかけた。
◇ ◇ ◇
時刻はもう六時半を過ぎ、すっかり陽が落ちていた。あれだけ暑かった昼間が遠い昔に思えるほどに涼しく、心地よい気温になっていた。
「ふーっ……!」
校舎の柱に背中を預けて、俺は思い切り伸びをした。
一般開放が終わり、その次は生徒がそれぞれ校内の出し物や模擬店を楽しむ時間になった。それも終わったら体育館で表彰式、それに終了式が行われた。
広場にあんなに並んでいた模擬店は、もうすっかり片づけられていた。
俺達の焼きそば屋は、完売という形で幕を閉じた。もっと材料を用意しておいてもよかったのではと思えるほどお客さんが来てくれて、盛況と言って間違いないくらいだった。
完売はもちろん嬉しかった。でもそれ以上に、代表の役割を全うできた達成感が大きい気がした。代表を引き受けることになった時はゲンナリしたし、放課後に説明会に出たりしなきゃならなかった時は正直面倒だったけれど……今となってはやってよかった。
何事も経験。まあ、そういうことだな。
「ふあ、あ……」
嬉しさと達成感が一入だったのは間違いない。でも、同時に疲れも大きかった。
やり遂げた安心感の反動か、あるいは暑い中焼きそば店をやっていたせいで疲れが溜まっていたのか。とにかく身体が重たくて、眠気が込み上がってくる。
このあとには学校祭の最後のイベント……後夜祭が控えていた。生徒が校庭に集まり、夜空に打ち上がる花火を見るのだ。学校で用意した花火だから規模は小さいけれど、綺麗だって話だ。
ぜひとも最前列で見たい……とは思ったが、身体が言うことを聞いてくれない。
こりゃ、頑張りすぎたな。
模擬店の代表もドラゴン交通安全ポスターも、そもそも高校の学校祭自体も、俺には初めて尽くしだった。
それに加えて、レオンのことであんなドラゴンバトルを目にする事態にもなってしまった。これだけの出来事が、一日のうちに立て続けに起きたのだ。疲弊するのも当然に思えた。
「早く行こうよ!」
「ああ、いい場所ゲットしょうぜ!」
周りでは、多くの生徒達がグラウンドに向かっていた。
たぶん、真吾や七瀬ももう行っているのだろう。そろそろ、俺も行くか……預けていた背中を、柱から引き離そうとした時だった。
「お疲れ様」
聞き慣れた声に振り返ると、ぽーんとジュースの缶が飛んできた。
「わっ、と……!」
戸惑いながらもそれをキャッチし、声の主を見やる。
ルキアだった。
「色々あって疲れたでしょ、まあ一息入れなさいよ」
彼女の右手にもジュースの缶……俺に投げ渡したのと同じ、マスカットサイダーが握られていた。
プルタブを開けて口を付け、少し飲んだと思うと、ルキアは俺に視線を向け直した。
「あんなことが起きた直後だったけれど……どう、学校祭は楽しめた?」
彼女が何について触れているのかは、考えるまでもなかった。あのドラゴンバトルのことだ。
結局のところ、あの戦いについては生徒に知られずに済んだらしい。あの屋上はそもそも下からは見えにくい場所だし、幾人かに目撃されてしまったけれど『学校祭の余興』と誤魔化したそうだ。
ルキア達の働きは大きかった。逃走した二体のドラゴンを、問題を起こされる前に拘束した彼女達は、まぎれもなく学校祭を守ったのだ。
学校祭クライシス――そう呼んで差し支えない状況だったけれど、彼女達は被害を未然に食い止めた。今日に向けて準備してきた生徒達の努力が台無しにされるのを、防いだのだ。
「ああ、楽しかったよ。色々ありがとな」
思えば、片づけ作業のせいで喉がカラカラだった。
「これ、貰うよ」
ルキアがくれたマスカットサイダーのプルタブを開けて、俺は缶に口を付けた。
キンキンに冷えた炭酸水と、マスカットの豊潤な香りと甘みが口の中に広がり、潤滑油のように喉を潤していく。
「ぐっ、ぐっ……ぶはあ!」
一気に、缶の半分以上を飲み下してしまった。
「ちょっとあんた、ビールを飲むおっさんみたいよ……!」
笑みを浮かべながら、ルキアが言ってくる。
「お、おっさん? 冗談じゃねえっての……!」
十五歳にしておっさん認定は勘弁だ。
と、そこで俺は思い出した。
「っと、そうだ……」
ポケットからスマホを取り出し、操作する。
怪訝そうな面持ちを浮かべたルキアが「どうしたの?」と、問いかけてきた。俺は「いや、ちょっと待ってな」と応じつつ写真フォルダを呼び出し、目当ての一枚を探し当てた。
それは、ドラゴン交通安全ポスターを撮影した写真だった。そう、俺がアイデアを出したあのポスターだ。一点だけ、当初とは異なる点がある。ポスターの右上に、銀色の帯が貼り付けられていたのだ。
これを見よと言わんばかりに、俺はその写真をルキアに向けた。
「聞いて驚くなよ、ドラゴン交通安全ポスターさ、実は銀賞取れたんだよ」
「え、銀賞? へえ、ホントだ……!」
写真を見たルキアは、まもなくポスターに貼られた銀色の帯に気づいたようだった。
そう、俺がアイデアを出したあのドラゴン交通安全ポスターは、なんと銀賞を受賞したのだ。最上位の金賞ではないものの、受賞なしや銅賞に比べれば遥かにいい。そもそも章が取れるだなんて夢にも思っていなかったから、俺はじめ制作に関わったみんなは大いに満足していた。金賞じゃないことを残念がる声は、一切上がらなかった。
ポスターの案を出すにあたって、俺は描いたドラゴンの絵をルキアに『トカゲ』呼ばわりされたり、腹を抱えて笑われたりした。資料となる写真を撮るために、母さんに協力してもらったりもした。
銀賞は、その努力への対価としては十分すぎる栄誉だった。
「すごいじゃない、おめでとう」
ジュースの缶を持ったまま、ルキアは拍手するような仕草を見せた。
その時だった。
グラウンドのほうから、花火が上がる音が響いたのだ。
「あっ……やべ、花火始まっちまった!」
ルキアとの会話に夢中になるあまり、時刻を気にしていなかった。
残りのマスカットサイダーを一気に飲み干し、空になった缶を近くにあったゴミ箱に投げ入れる。
「悪いルキア、俺もう行くわ、それじゃあな!」
ルキアの返事を待たず、俺は駆け出した。
着いた時、グラウンドはもう生徒達で一杯だった。その人口密度は俺の想像を遥かに超えており、よくよく考えれば全校生徒がここに集まるわけだから、混んでるのは当然だった。
「っと、遅かったな……!」
最前列で花火を見たいなら、もっと早くここに来なければいけなかった。
とはいえ、前の生徒越しには花火も見えるし、我慢するか……と思ってスマホを取り出した時だった。
「仕方ないわね」
振り返ると、なんとルキアがいた。ドラゴンガードの仕事でもあると思っていたのだが、ついて来ていたらしい。
どうしたんだ? と問う間もなく、彼女は両腕で俺の身体を抱え込んだ。
一体何のつもりなのか分からなくて、俺は困惑する。
「ほら、じっとして」
「えっ、ちょ……?」
ルキアは何も言わず、背中に翼を出現させた。
まさか……という俺の予感は的中した。彼女は俺を抱えたまま、翼を羽ばたかせて舞い上がったのだ。
「わ、わわっ!?」
グラウンドや、そこにいる生徒達の姿が一気に小さくなっていく。
最終的にルキアは、校舎三階くらいの高度まで上昇し、そこで滞空した。
いきなり飛ばれて驚いて、思わずスマホを取り落しそうになった。飛ぶならそう教えてくれ、と言いそうになった。
しかし、目の前に広がった花火に、そんな文句はたちまち掻き消される。
「おおお……!」
空中から見つめる花火は、それはそれは綺麗だった。
「眺めはどう? あんただけの特等席よ」
「ああ、最高だ!」
俺はスマホを構え直して、花火を撮影した。
学校祭の最後を飾る、夜空に咲く大輪の花。
それはルキアがいなければ絶対に見ることができなかった景色で、俺にはこの上ないご褒美だった。




