if 33 村瀬志保
投稿します。
漸く完結です。
「・・・浅沼先輩」
(なんで先輩がここに?)
一瞬考え、直に分かった。栞姉えが入院したからだろう。栞姉えが学校に行けなくなって、連絡も取れない。そのなかで私も学校を休んだことで先輩は計画が失敗したことに気付き、ここまで来たのだ。
「今日は学校じゃなかったの?」
ここに来た用件は分かったが、もう先輩をどうしていいのか分からない。どう転んでも先輩が栞姉えを手に入れることは出来ないし、そもそも栞姉えが幸せになれないなら先輩と栞姉えを一緒にする意味が無い。もう私のなかで結論は出ている。
「そうなんだけどよ、お前ら、誰も来ねえじゃねえか。心配だからつい学校を抜け出して来ちまった」
確かに、栞姉えが居ないのは先輩にとっては面白くないだろう。小父さん達との話で栞姉えのスマホは家に置いてあるって言ってたから、先輩は栞姉えと連絡が取れない。恐らく事情を知らないであろう先輩に悪気はないのだろうが、栞姉えの状態も分かってない様子に、なんだか滑稽だと嘲笑しそうになる。
「そうなんだ、心配してくれてありがとね。もう少ししたら良くなるから、また学校でね」
私が休んでいたのは半分くらい偶然のようなものだが、結果的にその判断は正しかったらしい。栞姉えが居ないことを知った先輩が私のところに頼ってくるのは目に見えている。実際、教えてもいないのに家に来ているし、学校に居たら先輩は直に私のところに来ただろう。そんなところを弘和さんに見られたら今度こそ全てが終わってしまう。いや、弘和さんじゃなくても、今の先輩と一緒に居るところを見られでもすれば、遅かれ早かれ弘和さんの耳にも届くだろう。そういう意味ではまだ家まで来たのは都合がいいのだけれど、今は先輩に掛ける言葉もないし、構っている余裕もない。放置していい問題じゃないことは分かっているけど、そのことに対して考える気が起きなかった。少なくとも栞姉えの件が落ち着くまでは。
「まあそう言うなって。折角食えるもん買って来たんだし、ちょっと入れてくれや」
それなのに先輩は珍しく食い下がってくる。
「いい。少ししたら良くなるから放っといて」
栞姉えに執着するのは良いことだけど、本当に邪魔。仕方なく先輩を追い払う為に強めの口調で言う。
「ちょっとくらい良いじゃねえか」
いつもなら強く言えば引き下がるのに、何故だか今日はしつこい。
「それともなんか俺に会いたくない理由でもあんのかよ?」
そして、何処か楽しそうに聞いてくる先輩に違和感を感じる。どう表現していいのか分からないけど、いつもの先輩とは明確に何かが違う。
「・・・私の家に来る暇があるんなら栞姉えのところにでも行けば?」
胸に抱いた微かな動揺を抑え、先輩をここから追い払うように言う。
そして言って直に、自分の言葉が失敗だということに気付いた。
「はぁ? それが出来れば苦労はしねえよ」
そうだ。先輩は計画が失敗したことを知ったからここに居るんだ。もしかして、もう栞姉えに会えないことも知っているのだろうか。
もしそうだとしたら、どうやって知ったのか。1番有り得そうなのは小父さん達から直接話があったってことだけど、それならなんで先輩はここに居るのか。先輩が栞姉えにやったことはどう考えても犯罪だ。いくら未成年でも何もないということは考えられない。
「まあ、そうだろうね」
(でも、それだったら何で?)
先輩の言葉に相槌を打ちながら考える。
「だろ? だから聞いてんだよ。お前、何で俺を裏切ったんだ?」
(何で先輩は家にまで来たの?)
落ち着け、考えろ。もし先輩が全部を知って此処に来たのなら、なんで私と話をしようとするのか。もしかしてここまでの事態になっているのに、まだ栞姉えを手に入れられると思っているのだろうか。
(違う。幾ら先輩でもそこまで馬鹿じゃない)
元々考えなしなところがあったけど、流石にこの状況を分からない先輩じゃない。
「おい、黙ってないで何か言えよ。ってかこのまま外に居るのは辛えな。いい加減なかに入れてくれよ」
先輩の声で我に返る。まだ考えが纏まっていないのに。
玄関の方で微かに扉を叩くような音がする。先輩の苛立ったような声からも、大分痺れを切らしている。今の、何か得体の知れない先輩に気味の悪さを感じつつも返事を返す。
「別に裏切ってないよ」
先輩の裏切ったのかという問いに対して、私はそう答えることしか出来なかった。もし仮に裏切ったと答えればどうなるというのか。少なくとも良い方には転ばないだろう。
それに実際、別に私は裏切った訳じゃない。多分、今の話で伝わっているのは栞姉えが先輩と隠れて浮気していた、くらいのものだ。予定していた時期とは違うが、元々バレる話だし、その程度なら裏切ったとは言わないだろう。
「なら何で栞里は来ねえんだよ⁉」
そう思っていると、大きな音と共に先輩の怒鳴り声が響いてきた。
「っ!!」
あまりにも急なことで、声にならない悲鳴が漏れてしまった。恐らく先輩が玄関の扉を叩きつけたのだろう。
「ちょっと、止めてよ!! 栞姉えが来なくなったのは私のせいじゃないって」
「じゃあ誰のせいなんだよっ⁉」
咄嗟に言い返せたのは奇跡だろう。普段の先輩への対応が偶々出ただけ。段々と身体に震えを感じながらも、せめて声だけは出せるよう感情を押し殺し、何時もの私を取り繕う。
「私、先週弘和さんの家に行ったの」
正直に弘和さんの家であったことを話す。何も隠すことは無いし、考えて言葉を選ぶ余裕もない。
「はあっ? お前、バラしたんじゃねえか⁉ 何が裏切ってないだっ!! 巫山戯んなよっ!!」
「だから、裏切ってないってば。元々ここまでは考えてたんだし」
話しを繋げながら、何とか落ち着きを取り戻そうとする。言い聞かせるようにゆっくりと、この後どうやって栞姉えが先輩と幸せになるのか、私が弘和さんと幸せになるのかを話す。
「でも、弘和さんは諦めなかった」
話していると少し落ち着くことが出来た。冷静になって考えると先輩は今焦っているが、その理由は自分が栞姉えと上手くいかないことに対する苛立ちだ。栞姉えの容態を気にしている感じはしない。いや、気にはしているけど、あまり危機感を持っていないように感じる。
(もしかして知らないの? それなら、本当にただ栞姉えが居ないから此処に来ただけ?)
学校は栞姉えのことをどう伝えているのだろう。そのまま栞姉えが自殺未遂したことを伝えるだろうか。いや、それは無いだろう。どう扱っても学校側に不都合になるし、そもそも小父さん達だってそんなことを話したくはないだろう。学校で問題があったら話は別だろうが、栞姉えの問題は学校とは関係ない。なら、先輩は栞姉えのことを知らないというのは、充分に有り得ることではないだろうか。
「だから、多分栞姉えは暫く来れないと思う」
「・・・チッ、結局弘のせいかよ」
敢えて入院していることを伏せて話しても、先輩は何も気にせず全部弘和さんが悪いと結論付けた。
「で? どうすんだよ次は? どうやったら弘を諦めさせることが出来るんだ?」
そして私に次の手を要求してくる。
「・・・ねぇ、先輩」
「んあ?」
「私、間違ってたのかな?」
「はあ? 何言ってんだお前?」
先輩に栞姉えを任せようとしたことが。栞姉えの幸せに私が手を加えたことが。
(私が弘和さんを求めてしまったことが・・・)
「・・・ううん、なんでもない。忘れて」
「チッ、お前から誘ったんだろうが。しっかりしてくれよ」
そうだ。私がしっかりしないと。栞姉えを、弘和さんを傷付けることはとっくに分かっている。それでも、私は諦められずにやると決めた。ここまで来た。全部がバレて、栞姉えに殺されるほどに恨まれたとしても、もう引き返すことは出来ない。
「裏切らないよ。私、まだ弘和さんを諦めてないから」
諦めない。弘和さんも、栞姉えの幸せも。
(だから、先輩はもう必要ない)
決めた。そして決めたなら、動くべきだ。
先ずは先輩にそれらしいことを言って帰ってもらう。後は、何もしないでほしいんだけど。
「そう。どうでもいいけど、先輩。学校休んで栞姉えの家に行くなんて非常識じゃない? さっきはああ言ったけど、学生なんだし、お見舞いしたいなら学校が終わってからにすれば?」
納得して帰ろうとする先輩に一言言っておく。折角誤魔化したのに、もし小父さん達に会ってしまったら嘘を付いたとバレてしまう。先輩との話を終えた後、意味の無いことだけど部屋に戻って栞姉えの家を窓から見る。暫く見ていると、先輩が栞姉えの家に向かって行くのが見えた。
「はぁ・・・」
溜め息を吐いて先輩を見る。今日の先輩は本当に私の言うことを聞かない。車は無いから、小父さん達は不在の筈だけど、先輩がずっと待っていればそのうち小父さん達は帰ってくる。先輩はどうか知らないけど、小父さん達は先輩に会えばどうなるか分からない。とても優しくて、頼りになりそうな良い大人の人だと思うけど、栞姉えを傷付けた原因である先輩に会ったとき、その大人の対応とやらは出来るのだろうか。
別に先輩はどうなってもいいのだが、それで小父さん達に何かがあるとマズい。今の栞姉えには小父さん達の支えが必要だ。もし激高した小父さんが先輩に手を出したら、もしくは逆上した先輩が小父さんを傷付ける可能性がある。
幸い、先輩は少し玄関で留まって居たものの小父さん達を待つことなく帰っていった。ただ、早く先輩を何とかしないと大変なことになる。直に動かないと。
♪〜♫〜♬〜
(これ、本当に効くのかな?)
催涙スプレーを持ちながら考える。
なけなしの貯金を使って幾つかの防犯グッズを購入した。また学校を休んでしまったが、そんなことを気にしている場合じゃない。スプレーの効果を試すために洗面所に行き、水を出す。直に洗える用意をした後、手を伸ばしギリギリまで自分から離したところから自分の顔に向かってスプレーを噴射する。
(痛っ!!)
急いで顔を洗う。分かっていても噴射した時に目を瞑ってしまったが、ちゃんと効果はあった。あった、けど。
(どうしよう。そんなに効かない)
直に目を瞑ってしまったこともあるだろうが、正直思っていた程の効果は無い。痛くて目を開けられないが、それだけ。路上などで襲われた時に逃げる為になら充分なんだろうが、それじゃ困るのだ。
昨日の夜、小父さんから電話が掛かってきた時のことを思い出す。栞姉えの状態を聞いたり、改めて栞姉えと浅沼先輩の付き合いを話したりした。そして話した後、小父さんから栞姉えのほうから弘和さんと話したいと言われ、2人を会わせると聞いた。弘和さんとはもう話がついてるらしい。
(まあ、弘和さんが断る訳がないよね)
私にはそれを止める手段は無い。それに、栞姉えの方から会いたいというのなら、荒療治だとは思うがそれが治る切っ掛けになれば私にとっても喜ばしいことだ。
(だけど・・・)
栞姉えが治るのは嬉しいし、早く良くなってほしい。だけど、それで栞姉えが治るということは、完全に先輩が破滅するということだ。ここまで大事になっている今、栞姉えも隠したりはしないだろう。栞姉えの方から弘和さんと話したいというなら、全てを話すだろう。私も小父さんと話したときに先輩と栞姉えの写真を送っている。写りは悪いけど、少しは証拠として機能するだろう。
(先輩が栞姉えにしたことがバレたらどうなるか)
先ずは警察、次に先輩の家族に連絡がいく筈だ。警察だけに連絡がいって何も知らない先輩が突然捕まった、なら良いけど、先輩は未成年だ。直ぐには捕まらないだろう。仮に警察が動いて先輩の家に直接行くならまだしも、事実確認の為に連絡だけ、というのは充分ありえる。
そして警察から連絡がきて、先輩は大人しく捕まるだろうか。
(とてもそうは思えない)
私にも原因があるとはいえ、今の先輩はまともじゃない。栞姉えに執着するよう仕向けたのは私だ。だけど、先輩は栞姉えに執着し過ぎて周りが見えていない。というより、栞姉え以外のことを考えていない。今思えば、私の家に押し掛けて来たのもそうだろう。私が裏切ったと考えて来た先輩は本当に怖かった。
玄関が壊れそうな程叩きながら怒鳴る先輩を思い出す。もし先輩が上手く帰ってくれなかったら、いったいどうなっていたんだろう。先輩は栞姉えが目的だから私を犯そうとはしないだろうが、一人暮らしの女の家に押し入ろうとするなんて普通じゃない。あの時、先輩が私の話を聞かずにキレたままだったら、もしかすると私は先輩に殺されていたかもしれない。そんな先輩が警察に連絡されたと知ったらどうするだろうか。間違いなく私が裏切ったと確信するだろう。そして今の先輩なら、私を殺しに来ることも、絶対に無いとは言い切れない。
「ふぅっ・・・」
痛みが取れるまで顔を洗い終え、息を吐く。本当ならこんなことはしたくない。警察が有無を言わさず先輩を捕まえてくれるのなら、態々高いお金を使って先輩に備える必要は無いのに。
(でも、私からは何も言えない)
ここで小父さんに直に先輩を捕まえて、なんて言える訳が無い。私が栞姉えの事情を知っていることを知られる訳にはいかない。だから私からは動けない。出来ることはただ先輩に備えることだけ。もしかしたら警察には連絡しないかもしれないし、連絡しても動いてくれないかもしれない。だけどそう遠くない内に先輩が自身の破滅を知る時が来る。警察に大人しく捕まってくれればそれに越したことはないが、もしもの時に備えておくことは必要だ。
♪〜♫〜♬〜
(やっぱりこれでやるしかない)
自分の部屋で対策を纏める。
先輩を怯ませて隙をついて逃げる。何度も考えた結果、これ以上のことは出来ないと結論を出す。大前提として私に先輩を倒す力なんて無い。武器になりそうなものを持ったとしても、殴り合いのケンカなんてしたことのない私にはそれを活かすことは出来ないだろう。スタンガンなんかでも手に入ればそれも考えたけど、昨日今日で準備なんか出来なかった。近間で買えたのは催涙スプレーと防犯ブザーくらい。
だから私に出来るのは逃げること。逃げて、警察に駆け込む。現行犯というかたちなら、流石に先輩でも捕まるだろう。先輩が逃げたとしても、小父さんからの通報で警察に連絡がいってる筈だ。イタズラだと誤解されることも無いだろう。それに防犯ブザーを鳴らしながら逃げれば、音を聞いた誰かが先輩を目撃してくれるかもしれない。
(後は先輩がいつ来るか)
昨日は来なかった。もしかしたら今日も来ないかもしれない。
「はぁ〜」
辛い。いつ来るのか、本当に来るのか。何も分からないまま先輩に備えているのは予想以上に疲れる。学校を休んでもう何日だろうか。あと何日休めばいいのか。頭が回らなくなっているのか、余計なことを考え始める。
(眠い)
昨日の夜は全然眠れなかった。人目が付きやすい昼間なら先輩は来ないだろうと今日は少し寝ようとしたけど、外の物音で直に起きてしまった。
(お風呂入りたい)
昨日からお風呂にも入れてない。明日なら入れるだろうか。あと、そろそろご飯も買ってこないと。
何かの拍子で先輩に会うことを避けて昨日から外に出ていない。暫く家から出ないことを考えてある程度買い置きはしていたけど、予想以上の疲労で次にいつ買い物が出来るか分からない。まだ動く元気がある内に買い足しておかないと。
(いつまで続くんだろう・・・)
もしかしたら、これからずっとかもしれない。そう考えると今直にでも逃げ出したくなる。友達の家とか、安く済んである程度人目のあるネカフェにでも。とにかく先輩が居ないところまで。先輩が捕まるまでずっと。
(それが出来ればどれだけ良いか)
だけどそれは無理だ。理由が無い。学校を休んでいる人間が友達の家やネカフェに泊まり込みしている理由が。なかにはそういう人もいると思うけど、私がそれをするのは不自然過ぎる。先輩は必ず私のことを話すだろう。そのときに私が先輩から逃げていたと察せられれば終わりだ。どんなに隠そうとしても、詳しく調べられれば私のしたこともバレてしまう。
だから逃げられない。何も知らない、関係ない村瀬志保でいる為には、ただの体調不良で休んでいなければならない。先輩が何を証言しても、知らぬ存ぜぬで通す為に。余計な疑いを持たれないように。
(だから、先輩を待つしかない)
もしくは小父さんから連絡が入るか、先輩を捕まえた後に警察が事情聴取に来るか。どう転んでも、私にはただ待つことしか出来ない。
そう考えていると、玄関のインターホンが鳴った。
(っ!!)
来た。もう夜になる。こんな時間に連絡無しで来るのは先輩しかいない。何時でも走れるよう、予備の靴は部屋に持ち込んである。最近まで使っていた靴だし、ちゃんと砂埃を落としてあるからここで履いても床に靴跡が残ることはない。外を走れば新しく汚れがつくし、履いて逃げても不自然じゃない筈だ。
靴を履いて防犯ブザーをポケットに入れて催涙スプレーを取る。そして電気を消して先輩が来るのを待つ。先輩の怒鳴り声が聞こえ、少ししてから大きな音が響いてきた。玄関を壊したのだろう。先輩が階段を登ってくる音が聞こえる。
(もう逃げられない。覚悟を決めるんだ)
いや、覚悟はもう決めている。弘和さんに近付いたときから、栞姉えから弘和さんを奪い、傷付けると決めたときから、もうとっくの昔に私は覚悟を決め、同時に逃げ道を失っている。
スプレーを持つ手が震えてくる。落とさないよう強く握りしめ、部屋の扉に向ける。隣の部屋の扉が開く音がした。そしてこの部屋の扉が勢いよく開いた。
「し、ぐあっ!!」
先輩の顔を見るより先にスプレーを噴射する。先輩が怯んだのを見て走り出し、先輩を突き飛ばす。そのまま横を抜けて一気に階段へ。
その時、階段を前に私は足を踏み外した。
(えっ)
いや、踏み外したんじゃない。先輩に突き飛ばされたんだ。突然の浮遊感と迫る壁。
「きぁあ!!」
叫び声を上げながら咄嗟に手を前に出す。直に手と頭。それから全身に痛みが襲ってくる。階段から落ちたということを理解出来ず、訳の分からない痛みに悶える。
「痛てえな、おいっ!!」
先輩の声で我に返った。
(早く逃げないとっ!!)
身体中の痛みに涙が出てくるが、止まっている時間は無い。ふらつきながらも急いで外に出る。
(早く逃げないと、早くっ!!)
気付けば栞姉えの家に駆け込んでいた。玄関を開けて転がり込む。
「助けてっ!!」
いきなり開けられた玄関に様子を見に来たであろう、リビングから出てきた小母さんに私は叫んだ。
♪〜♫〜♬〜
先輩は捕まった。家庭裁判所で裁判が行われるそうだ。病院のベッドに横たわり、小父さんからの話を聞く。
「すいません、ありがとうございます」
あの後、小母さんに警察に連絡してもらい、先輩が押し掛けて来たことを話した。私が階段から落とされたことも話すと病院にも連絡してくれた。
「気にしないでほしい。志保ちゃんは悪くないし、巻き込んだのはこっちの方なんだ。寧ろ私の方が謝るべきだよ」
「そんなこと無いです。小父さん達こそ、何も悪くありません」
そう、悪いのは私だ。先輩を使って栞姉えを傷付けた。今までのことは全部私がやったこと。そして最後まで迷惑を掛けてしまった。先輩が押し掛けて来たとき、厚かましくも小父さん達に助けを求めてしまった。最初は警察に行く筈だった。だけど私は恐怖に駆られ、ただ逃げることしか頭になく、助かりたい一心で栞姉えの家に助けを求めた。もしかしたら先輩がやって来て、小母さんにも危害を加えるかもしれないのにだ。それを避ける為に防犯ブザーを鳴らしながら警察へ向かうつもりだったのに、完全に頭から抜け落ちていた。
「そう言ってもらえると助かるよ。志保ちゃんの方も、怪我が残らないようで何よりだ。でも、治るまではサポートさせてほしい」
「はい。本当に、ありがとうございます」
手から階段を落ちたからか、両方の手の骨にヒビが入ったらしい。全身の痛みは打撲程度で、手の方も先生が言うには安静にしていれば直に治るそうだ。警察からの事情聴取も、こっちが拍子抜けするくらい簡単なものだった。2つ3つ程先輩との関係を探るような質問をされたが、それだけ。逆に不気味なくらいだが、先輩が捕まった時点で殆ど警察の出番は終わりらしい。もし考えられるとすれば、小父さん、というより栞姉えがそれ以上を求めなかったことが要因かもしれない。きっと栞姉えには、先輩に犯られたことよりも、弘和さんを裏切ってしまったことの方が重いだろうから。
「本当は、志保ちゃんも御爺様の方が安心出来ると思うんだけど、なかなか厳しいらしくてね」
「いえ、お祖父ちゃんも歳ですし、もう遠くに住んでいるので無理は言えません」
手が満足に使えない間、小父さん達、専ら小母さんに色々手伝ってもらうことになっている。小母さんにはまた迷惑を掛けるが、あのお祖父ちゃんに来られるのは御免だ。家の修繕で久しぶりに話したけど、明らかに私を心配するよりも余計な出費が増えたことを気にしていた。世間体の為仕方なく、といった感じに家は直してくれるそうだが、最初はあくまで直すだけの予定だった。あの家の時代遅れのセキュリティのまま年頃の女1人住まわせることに何も思っていないんだろう。ただ、扉がもう古い型で市場に無いことと、昨今の防犯対策を業者さんから言われて漸く今風の玄関にしてくれるようだ。どうでもいい。どうせ長々とあの家に居るつもりは無い。
「それにしても、栞姉え、結婚するんだ。おめでとうございます」
お祖父ちゃんのことを考えると気分が悪くなるので強引に話を変える。私が何としても知りたい話に。
「んっ、ああ、ありがとう。志保ちゃんからそう言ってもらえると、きっと栞里も喜ぶよ」
小父さんは微妙な表情を浮かべる。それはそうだろう。なんたって小父さんのなかで私は自分の娘の彼氏を取る為に娘の浮気を見逃した女、として映っている筈だ。優しく接してくれてはいるが、根っこの方では娘とその彼氏の関係を遠回しに壊そうとした女に良い感情は持っていないだろう。正直に言えば祝福もされたくないと思っている、のは考え過ぎかもしれないが、少なくとも手放しで喜んでいる訳ではないだろう。
「卒業したら、新しい家に引っ越すんですよね?」
「ああ、あんな事があったからね。まだ検討はこれからだけど、2人のこれからの為に新しい生活を送れる環境のほうが良いと思ってね」
今の時点ではまだ確定じゃない、か。
「そうしたら小父さん達も、引っ越してしまうんですか?」
ここからだ。どうしても確認しておかなければならないこと。
「いや、私達はもしものときの為に今の家のままで過ごすつもりだよ」
もしも、というのは先輩絡みだろう。いつか、ここに帰って来る先輩が何かをしたときに直に分かるように。何かあっても、2人を守れるように。
「そっか〜 栞姉えが引っ越すのは寂しいけど、小父さん達がいるなら、私も安心します」
「ああ、世の中物騒なこともあるからね。何かあったら存分に頼ってほしい」
それらか少し雑談して、小父さんは帰っていった。私も明日には退院だ。退院したら暫くは栞姉えの家でお世話になる。栞姉えも、直に退院出来るらしい。今は素直に栞姉えの回復を喜ぼう。一緒に生活出来るのは楽しみだし、弘和さんとの結婚も、からかいながら祝福しよう。
(今は、まだ)
まだ仮定でしかないが高校を卒業したら弘和さんと栞姉えは新居で新婚生活。高卒の2人暮らし。進学か就職か、それによって事情は変わるだろうけど、先輩の動向を掴めるような場所になる筈だ。少なくとも何処か別の都道府県に移るということはないだろう。なら、まだきっとやりようはある。
♪〜♫〜♬〜
「先輩、卒業、おめでとうございます」
「ありがとう。志保も、これから頑張れよ」
あれから元の関係に戻った2人は今日、卒業する。そして、2人はこの後また、新しい関係になる。
(幸せな・・・ううん、違う)
心のなかのそれを否定する。それは今だけ、ただそう見えるだけ。
「勿論、分かってるよ。でも、頑張るのは先輩のほうだよ? お仕事、頑張ってね」
「ああ、毎月の返済も頑張らないといけないしな」
家を建てる際、弘和さんは小父さん達から借金というかたちでお金を工面してもらったらしい。自分達が使うものだから自分で支払いたいと。まあ、まだ家が建つまでには時間がかかるらしいけど。
弘和さんと話しているとお手洗いから戻ってきた栞姉えを見つけ、声を掛ける。
「あっ、栞姉え〜 こっちこっち〜」
声を掛けられた栞姉えは小走りでこっちに来た。
「ごめんね、遅くなって」
「全然へ〜き。栞姉えも、卒業おめでとう」
「ありがとう、志保ちゃん。正直、卒業出来ないんじゃないかって、心配していたの」
なかなか笑えないことをさらっと言ってくる。
あれから栞姉えは変わった。あれだけのことがあったから、仕方ないといえば仕方ないのだけど。
ともあれ、責任の一端、というより半分以上が私のせいなので聞いているこっちの方がいたたまれない気持ちになってくる。
「あはは、就活、頑張ってね」
「うん」
乾いた笑いと共に応援を送ると、にこやかに返してくれる。
やっぱり、栞姉えは変わった。何処か人の顔色をうかがう、引っ込み思案だった栞姉えはもう居ない。
(だから・・・)
「じゃあ、行こっか?」
「そうだね。ごめんね弘くん、ちょっと、待っててくれるかな?」
「ああ、いいぞ」
「ありがとう。じゃあ、行こう、志保ちゃん」
だから、それを確かめる。そしてそれが、私の予想を外してくれるものであることを、強く願う。
弘和さんと別れて栞姉えについていき、校舎裏。毎年誰かしらの告白があると噂される場所だが、誰も居ない。誰も居ないことを確認してから、栞姉えが口を開く。
「それで、どうしたの志保ちゃん? こんな所で話って」
「うん。栞姉えは・・・私が弘和さんを好きだって、知ってるよね?」
「うん、知ってるよ」
なんともないように言う。
「そんな栞姉えには頼みづらいんだけど、2人の家が建ったらさ、一緒に、住まわせてもらってもいいかな?」
「弘くんがいいって言うんなら、私は大丈夫だよ?」
「えっと、栞姉えは、その、嫌じゃないの? 私が弘和さんの近くに・・・ 側に居ても」
「ううん。全然」
強がりには見えない。本当に、栞姉えは私が弘和さんの側にいても気にしていない。
「・・・ 栞姉えは、弘和さんのこと、好きなんじゃないの?」
気になっていた違和感。栞姉えはいつも弘和さんと一緒にいる。浅沼先輩の一件で栞姉えには一部の人からそういうレッテルが貼られて、下心だけで声を掛けられることがあった。だけと栞姉えは毅然として断り、弘和さんの側に寄り添っていた。前までの栞姉えなら右往左往して私や弘和さんに助けを求めるような、隙だらけで何処か危なっかしい性格だった。
人は変わる。栞姉えはあれだけのことがあったし、変わってしまうのは仕方ない。弘和さんの隣にいる為に変わってしまったのだろうか。でも、何故だろう。栞姉えからは弘和さんに対する好意を感じない。前の栞姉えの方が、ずっと弘和さんを好きだったように感じる。
「んえっ、と、困ったな〜」
痛いところを突かれたような顔になり、そこから照れたように笑って栞姉えは言う。
「実は、そうだったり・・・」
「へっ・・・?」
呆気に取られてしまう。今、栞姉えは弘和さんのことを、好きじゃないと、そう言ったのか。
「あっ、でも弘くんのことが嫌いな訳じゃないよ? 大切な人だし、ずっと一緒にいたいって思っている」
「えっと、栞姉え? どういうこと? 弘和さんのこと、好きじゃないのに、結婚するの?」
訳が分からない。
「うん。そうだよ」
「なっ、なんで・・・」
初めて、栞姉えに恐怖を感じた。その得体の知れなさに。いや、知りたくないと、目を背けていたことが現実味を帯びてきたことに。
「だって、弘くんが結婚してくれって言うから」
「ふっ、巫山戯ないでよっ!! どうしちゃったの栞姉えっ!!」
思わず怒鳴ってしまう。
「じゃあ、私に弘和さんを取られてしまっても良いっていう訳っ!!」
本来なら、これは喜ぶべきことだ。栞姉えが弘和さんに対する好意が無いのなら、私は堂々と弘和さんにアプローチ出来る。でも、私は栞姉えにそれを否定してほしかった。そして、その理由は栞姉えに弘和さんと幸せになってほしかった、からではない。
「あっ、それはちょっと困るかなぁ」
ただ、認めたくないだけ。
「だって」
お願い、その先を言わないで。
「弘くんに捨てられたら」
そんな顔で言われたら、もう、私は。
「私、生きている意味が無いから」
♪〜♫〜♬〜
どうやって帰って来たのか。微かに栞姉えに帰ると伝えた記憶はあるが、そこからが曖昧だ。
此処は、私の部屋だ。私は、制服のまま椅子に座っている。外は、もう暗い。
気が付けば、涙が出てきた。拭いても、拭いても、止まらない。
(あんな、あんなに)
思い出したくないのに、あの時の栞姉えを思い出す。
(あんなに幸せそうな栞姉えは見たことがない)
好き嫌いじゃない。ただ弘和さんが居ればいい。
(違うっ・・・ 私がっ、私の方が・・・)
弘和さんだけを見て。
(私もっ!! 私だってっ!!)
弘和さんの為だけに生きて。
(まだっ、私だって!!)
弘和さんも栞姉えだけを見て、2人は幸せな。
「うっっ・・・う、うわあああぁぁん」
想像して、しまった。
「あああぁぁ〜っ」
どうやっても勝てない、奪えないと、納得してしまった。
「なんでっっ・・・ なんでっ!!」
だって2人は完成された。
「・・・うわああぁぁ〜ん」
私の理想そのものだったのだから。
♪〜♫〜♬〜
「ねえ志保ちゃん、この後どう?」
「え〜 先輩、前に別の子誘ってませんでしたか〜?」
あれから何年経っただろう。卒業と同時に生まれ育った地を離れ、また一人暮らし。当面の生活費はお祖父ちゃんから貰った。なりふり構わず、ただ2人から逃げたかった。お祖父ちゃんにはもう一生、親族として葬儀以外関わらないことを条件に充分過ぎる程のお金を貰い、就職。
「あれは志保ちゃんが居なかったからで。俺、本当は志保ちゃん狙いなのっ!!」
「駄目で〜す。浮気者は要りませ〜ん」
男の人に誘われるのも、一度や二度じゃない。
「そんな〜 誰だよチクったの〜」
でも私は、その全てを袖にしている。
「先輩じゃ無理ですって。やっぱ俺でしょ? 俺、こう見えて一途なんだぜ? 分かるだろ?」
「まあ、彼女が居るとかは聞かないけど」
「当たり前だ。言っただろ? 一途だって」
なかには真剣に交際を求めてくる人だっている、が。
「じゃあ、子供は2人で。私は親が何処にいるか分からないからもしものとき大変かもしれないけど、頑張っていこうね? あっ、子供の名前はどうする?」
「へっ、え、いや・・・冗談、だよな?」
「・・・うん。冗談だよ」
「だっ、だよな〜」
「あっ、時間になったんで、帰ります。お疲れ様でした〜」
「お、おう。お疲れ〜」
(冗談、かぁ)
その程度の覚悟も無いのに、なんで誘うのかなぁ。弘和さんならきっと。
(ああっ、駄目駄目。考えないで)
借りているアパートの部屋に帰って来る。
大したものが置かれていないので、整頓されているように見える。テーブルには写真立てが置かれている。なかには弘和さんと栞姉えの結婚式で撮った写真。幸せそうな、2人の。
「っ!!」
掴んで振り上げる。そしてそのままゴミ箱へ。
「・・・」
捨てることなく、元の場所に戻す。
「弘和さん・・・ 栞姉え・・・」
力無く呟く。結局私は2人の新居へ行くことはなかった。2人を見ていると、自分がどれだけ惨めなのかを突き付けられるようで、会う頻度も減っていった。最後に会ったのはいつだったか。確か、2人に子供が出来たと報告があったとき。余計惨めになるから会いたくなかった。でも、会えなくなるのは同じくらい惨めで、結局会いに行った。
次に会うとき、2人、いや、もう3人か。3人はどうしているんだろうか。そのとき私は。
「ふふっ・・・」
いや、どうせ私は変わっていない。次も、その次もこのまま。
弘和さんの幻影を追い、新しい一歩を踏み出せない。あれだけ弘和さんを求め、栞姉えを傷付けてまで幸せを求めた日々が、とても遠くに感じる。これは罰なのだろうか。最近、そう感じるようになった。大好きな栞姉えを傷付けた罰。
これが罰なら、いつか許される日が来るのだろうか。
(いつか、いつか私にも・・・)
それに答えをくれる人は、まだ居ない。
ギリギリ今年中に完結できました。
サボらなければもっと早く完結できたのですが、待ってくれていた方々には申し訳ありません。
新年を目前にして少し鬱っぽい描写が入ってしまいましたが、この小説らしい終わり方と捉えてもらえれば幸いです。
全体の総括は別で上げるので後書きの方はこれで締めとさせていただきます。
これまで読んでくれた、感想をくれた、評価してくれた方々、本当にありがとうございます。




