覚醒の少女
……周囲が闇に閉ざされた中を、ガルティックはぼんやりと薄く目を開いていた。少女は今、霞がかった意識の中で、自らの身体がふわふわ宙に浮かんでいるような感覚を味わっていた。
その感覚は、自分がそのまま消え入りそうな予感を感じさせた。それに抵抗するかのように、ガルティックは半ば無意識の内に、手を握ったり開いたりを繰り返していた。力の入らぬ中、それだけが彼女の生の実感になっていた。
今、彼女は自分が、どうしてこんなところにいるのかが分かっていなかった。何が起きたのか、その身に起きたことを感覚の内にも思い出せなかった。何故この場に誰も、リュナウィッシュも光利もルーアンもリグリストもいないのか分からなかった。
リグリスト……彼とは出会ってまだほとんど一緒に過ごしていない。しかし、ハムラム村に着くまでの間、道の途中に見つけた花を見つけてその名前を聞けば、その名前を全て教えてくれた。その時、色んな事に興味を持つことは良いことだと言ってくれた。
その声音も態度も、落ち着いて冷静な中に、親身に相手と向き合い真摯さみたいなものを感じた。出来ることなら、もっと一杯聞いてみたいことがあった。
ルーアンは、なんだか村にいる友達になったお姉ちゃん達みたいだった。お姉ちゃん達に比べるとずっともっと落ち着いているけれど、悪ふざけには付き合ってくれるし、冗談には笑ってくれるし、凄く親しみやすい。
それに、目に見えなくくらい速く走れてとっても強いのに、彼女の事を褒めてくれる。自分も、もっとそれくらい強い力があればと言ってくれた。自分が強いと思っている大好きな人からそんな風に褒めてもらうのは、これ以上に無いくらい嬉しいことだった。
光利は……何を考えているのかが全く分からない。ただ彼女にとって、それを含めて、彼は面白い人だった。普通に買い物もでき、普通に会話もでき、起伏こそ乏しいものの感情もしっかり表してくる。にも関わらず、彼の中には、興味を惹かれる何か得体の知れないものがあった。
ガルティックはまた、彼の度胸にも感動していた。少女は今もって、彼がどこから来たのかについてよく分かっていない。しかしそれでも、彼が別の所から、彼の全く見知らぬところから来たのだという事は理解できていた。
ガルティックは村から旅を始めてしばらくの間、目にするもの何もかもが見慣れぬものばかりで緊張し、そこはかとなく恐怖していた。だから、全く見ず知らずの場所に来て、あれほど堂々としている彼のことが羨ましかったし、尊敬することが出来た。
そして、リュナウィッシュ。あの優しさと温かさ。ガルティックにとって、リュナウィッシュに対する印象はこの二つだった。彼女の皇王に対する有り余る想いが、この二つに多分に籠められていた。
彼女と会話する時の毛布の様な柔らかな声、手足を動かすときの風に舞う羽根のような仕草、抱き締めてくれる時の鳥の鳴き声の様に儚げな心地よさ、その身体に鼻を押し付けた時に感じる、花の様に仄かに甘い香り……
ガルティックはよく、皇王は偉い人だと教えられた。しかし、なぜ偉いのかは分からなかった。何をする人何か、何をして偉い人なのか、彼女には分からなかった。
しかし今、ガルティックは彼女なりに理解した。リュナウィッシュが偉い人なのは、とても優しくて温かくて、それでいて強い人だからだ。どんな時でも諦めず、立ち向かっていこうとする。そしてそれは誰かの為なのだ。
もし大人達が、ガルティックのこうした意見を聞けば苦笑いすることは間違いなかった。しかし、少女にとってはそれだけでも充分だった。自分の事を村に置いて行こうとした時ですら、皇王は優しかった。
そんな皇王の為、そして皆が一緒にいるのなら、少女は旅を続けたかった。リグリストとはもっと話をした。ルーアンとはもっと笑っていたい。光利の事をもっと知りたい。
ガルティックは、皆と一緒に行きたかった。
「……!!」
ガルティックの手に何かが現れた。少女は何の迷いもなく、それを握りしめた──
三匹の怪物達は、紫色の半円に包まれた空間でじっとしていた。それは一仕事、狩りを終え食事を終えた獣が、うずくまって舌を出したり寝転がったりするような、何気ない戯れの一環の様な物だった。
「……!!」
その時、赤茶色は口の中に、強い衝撃と痺れる激痛を受けて、驚きに身を竦めた。少し間を置き、再度また似たような衝撃が口の中を走った。今度は頭をあちこち振り回しながら、更に二度、三度と同じ感覚を受ける。
そして遂に口を開けて、その衝撃の原因──ガルティックを勢いよく吐き出した。丁度同時に、先ほどからずっと、少女がシジュンで殴りつけていた歯が一本、半ば折れた状態で口からただれそうになっていた。
ガルティックの目付きは子どもらしさそのままに、勇ましく鋭い目つきをしていた。そんな少女の手にしているシジュンが紫色に輝いている。それは周囲の、そして怪物達の出所の様になっている靄の禍々しさとはまるで違った、清廉なものである。
ガルティックが飛び出した後すぐ、黄土色がそれを追うように彼女に突撃していく。ガルティックは宙に浮いたまま、持ち手を長く、頭を大きくしたシジュンを真上に掲げつつ三匹の方を向いて、迫りくる黄土色の姿見えた瞬間それを振り下ろした。
殴られた勢いの強さによって、黄土色はそのまま地面に叩きつけられる。そこから離れた所に、ガルティックも着地した。
そのまま下を向くと、ガルティックは歯を食い縛りながらシジュンを右斜め上に掲げて振り下ろした。少女はシジュンで地面を、弧を描く様に抉りながら、既に地中に潜って彼女を強襲しようとしていた瑠璃色を殴りつけ、そのまま地面から叩き出した。
そのまま飛んで行く瑠璃色には目もくれず、更にその勢いに乗ったまま、少女は空に向かって──真上から向かってきていた赤茶色の身体に向かって、シジュンをまた弧を描く様に振り、その身体にぶつけて殴り飛ばした。
ガルティックがどこまで意識しているかは不明だったが、彼女は今、先ほどよりも圧倒的に強くなっていた。
持ち手と頭を小さくしつつ彼女は、三匹の怪物の出処となっている紫の靄に向かって、シジュンを持った手を真っ直ぐ突き出す。三匹の怪物もまた、彼女の腕の伸ばしている先に、よろめきながら集っていく。
少女は今自らの中に、充実した有り余る力を感じる。もっともっと、敵に向かい、足を駆らせ、腕を振るわせ、至る所に動けそうだった。鋭く息を吸い、そして吐き出す。両手で持ち手を持ちつつ、少女は腰を落とすと、そのままそこに向かって駆け出した。
怪物達がまるで動かず、こちらをじっと見ていることにも気にすることなく、少女は叫び、そして十分な距離まで来た時、シジュンを高々と掲げ……
「──ガルティック!!!」
突如聞こえた激しい叫びに、少女は目を見開いてシジュンを振り下ろすのを止めた。
丁度、光利の帽子を被った頭の前で、シジュンは止まっていた。周りの者達は息を飲み、緊張した面持ちで──ただ一人リュナウィッシュが毅然としたまま──その様子を見ていた。
「……あれ?」
その目に映る見覚えのある物を見て、ガルティックはそのままの態勢で視線を上げた。光利が彼女の方を見下ろしたまま、そっと微笑んでいる。
「何してんの? 光利」
光利は軽くふっと笑い、そのまましゃがみ込むと、少女の額を人差し指で軽く押して、
「気が付いたか? ガルティック」
「え? ……え?」
光利の問い掛けの意味を解せないという様子で、ガルティックは不審そうに聞き返した。その表情が可笑しく、光利は思わず笑ってしまった。少女は辺りを見回し、光利の後ろの方に目を向け、皆の姿を認めた。そして徐に、立ち上がった光利を見上げつつ、
「戻って来てる」
「どこか行ってたのか?」
「……なんかたぶんそんな感じ」
「そうか」光利はそう言って立ち上がり、振り返って少女の背に右手を添えると、「これは、認めざるを得ないんじゃないか?」
ともすれば不敵な笑みとも見える微笑みを浮かべ、光利は皆の、村長の、そしてリュナウィッシュらの方を向いた。ルーアンは少し呆れたように苦笑し、リグリストは既に沈着な様子を取り戻し、村長は言葉を失い、呆然としている。
リュナウィッシュは硬い表情をしていた。その心情を読み取れない、何を考えているか把握のし難い表情であった。そんな表情で光利と目が合ったまましばらくし、やがて……諦めた様な、それでいてどことなく嬉しそうな微笑みを、その顔に浮かべた。
「……あなたのおっしゃる通り、ガルティックの合格を認めぬわけにはいかないでしょうな」村長は、戸惑い戸惑い、その重い口を開いた。「少なくとも私は、彼女が旅に出ることを、許可したいと思います」




