リュナウィッシュとリグリスト
微かに頭を俯かせていたリュナウィッシュは、閉じていた瞳を開くと共に、光利とリグリストの方へ顔を向け、穏やかな笑みを浮かべ、彼らに近付いていく。リグリストも少し急ぎ足で、そんな皇王に近付いて、その前で片膝をつこうとすると、
「大丈夫です、リグリスト。そのまま」
リュナウィッシュはそう制止し、リグリストも途中まで下げかけた膝を止め、そのまま改めて真っ直ぐ立ち上がる。
「以前お会いした時以来ですね」
「光栄の極みです」
リグリストはそう言って、ゆっくりと頭を、腰を下げた。リュナウィッシュも小さく頭を下げて、またすぐゆっくり上げると、それを合図の如く、リグリストも頭を上げた。
……そんな様子を見ている時、光利は左手を強く引っ張られるのを感じた。目を向ければ、ガルティックがにこやかな顔で彼を見上げていた。
「あたしも戦ったよ。光利」
「そうか」光利は答えた。「寝たりはしなかったよな?」
「……寝なかったよ?」
妙な間と、多分に色んな含みを感じさせる、改まったような物言いに、光利は色々と察した。とりあえず、光利はその頭を強めに撫でた。
そんな二人その様子を見ながら、
「ご無事そうで何よりです。皇王」そう言いながらリグリストはリュナウィッシュの方を向いて、「髪型を、変えられたのですね」
「えっ? あぁ……」リュナウィッシュは頭に左手を添えて小さく笑った。「そうなんです。似合いますか?」
「えぇ、とても。変装のためですかな?」
「……相変わらず察するのが早い」リュナウィッシュは光利の方を手で示して、「彼の提案ですよ」
リグリストが光利の方を向くと、光利は眉を一瞬だけ上げて応答した。
「君は随分と気が利くようだな」
リグリストに言われて、光利は笑いながら肩を小さくすくめる。
そんな二人のやり取りの間に、リュナウィッシュがふと何かに気が付いて、そちらの方に向かった。リグリストと光利はそれを目で追い、ガルティックは皇王を追った。ルーアンの前に、リュナウィッシュがそっと腰を下ろした。
リュナウィッシュは、その細い手で、彼女の上半身をそっと起こした。それに反応したのか、ルーアンはほっそりとその目を開き、皇王の方を向いた。
「……大丈夫ですか? ルーアン」
リュナウィッシュの問い掛けに、ルーアンは何も答えなかった。
しばらく、自分が何を見ているのか確認しているような、夢現な様子を見せた後、ふっと微笑んだ。そうして、そのままそっと閉じた。ルーアンの微笑みは曖昧模糊としたもので、何を意味しているのか把握できなかった。
その様子に、ルーアンがリグリストと光利の方を見た。その心配そうな目には、先ほどのルーアンへの問い掛けが籠められているかのようだった。
「ラウル・バグス・バ・バのワドゥル・マジュクによる攻撃を受けたので、私の方で治療を施しています。峠も超えています」リグリストが答えた。「ただ、身体に大きな負担がかかったのは間違いありません。今の彼女には休息が必要です」
リグリストの答えを聞き、リュナウィッシュは再度、意識の失った状態のルーアンの様子に目を向ける。
彼女は眠ったまま、起きる気配の見せない、微かに呼吸を続ける彼女を見て、リュナウィッシュもまた、どことなく微笑んだ。そしてルーアンの右目にかかった髪の毛を、そっと静かに払いのけると、そっと胸の辺りまで掌を持っていき、
「ブリグオ」
そう呟くと、手から翡翠色の光が起こり、ルーアンの身体の傷を癒していく。光利はその様子をじっと見つめていた。そうしてルーアンへの治療が終了すると、
「──リュナウィッシュ様」
リグリストの声の聞こえた方を見ると、彼に支えられて、ファグが歩いてきた。
「彼の治療を、お願いしても?」
「もちろん。それどころか、あなたもですよ、リグリスト」
リュナウィッシュはにこやかにそう言った。ルーアンを静かに横に寝かせると、そっと立ち上がって二人に近付いた。
「では、このまま治療を……」
そう言いながらファグの前に立ったリュナウィッシュは、そこで言葉を切ると共に、彼の様子にじっと視線を注いだ。全身が緊張しているように固く、両手を力強く握り、大きく見開いた目をリュナウィッシュに向け、上がっている息は僅かに震えている。
やがて、その目から涙が湧いたかと思うと、そのまま頬を伝って零れて行き、鼻をすすった。
「だ、大丈夫ですか?」
「はい……」ファグは言葉に詰まりそうになって、思わず下を向いた後、「ご無事で何よりです」
その言葉には、彼の万感の思いが込められているのが、誰の──少なくともガルティック以外の──耳に聞いても分かった。ファグの目から涙が止まらない。
諜報機関『フェイズ』の一員である彼にとって、この瞬間まで、リュナウィッシュが無事であるかどうかが判然していなかった。それが今、彼が誰よりも、何よりも無事を祈っていた人物を目の前にし、その言葉を耳にしたのである。
彼の中で、張っていた糸が切れる様に、数多の感情があふれ、それが涙と嗚咽という形で現れたのだ。皇王と口を聞ける喜び、皇王が無事であったことの安心だけでなく、敵の攻撃を受けてしまったがために、満足に立っていることが難しい状態にあることへの羞恥、碌な働きが出来なかったことへの屈辱感などといった、数多の感情。
ガルティックにとって、その光景は不思議だった。彼女の中では、泣くことは子供の専売特許であり、大人には無縁のものだと思っていたからある。少なくとも、この時まで、少女は大人が無く姿を見たことがなかった。
「ファグ、泣いてるの?」
ガルティックは光利の方を見て、小声で問い掛けた。それは、何か見てはいけない者を見てしまい、それを確認することはなお罪深いとでも思っているかのような様子だった。
光利にはなんとなく、大人の泣く姿を見て子供の……少なくともガルティックの抱いたものがどういうものか、理解できた。彼はガルティックの頭に手を置いて、
「大人も、たまには泣くんだよ」
……リュナウィッシュは、ファグがどういう感慨を抱いたかを把握することは出来ない。しかし、彼が自分を思ってくれていたことは、充分すぎる程に理解できた。
「良く戦ってくれました。命を賭して。その身を傷つけて。深い感謝を申します」
「もったいないお言葉です!」ファグはまた一層激しく泣きながら言った。「私はろくな働きも……」
ファグはそれ以上言葉を続けられなかった。本当自分を恥じているかのような物言いだった。
「……それでも、あなたは戦ったのです。戦ってくれたのです。私にとって、これ以上嬉しいことはありません」
リュナウィッシュは包み込む様な、優しい声音でそう言った。
「……!」
ファグは何かを言おうとして、目に見える程に言葉を詰まらせた。そんな彼に対し、リュナウィッシュは先ほどルーアンに施した回復魔法を施した。
──リグリスト、光利への回復も終えると、リュナウィッシュはそのまま部屋の真ん中へと向かう。そのタイミングで、部屋の中央から見覚えのある発光が起こって消えると、そこに空中浮遊したままオーマルアが現れる。
リュナウィッシュは前と同じように、それを左右から包み込むように両手を差し出して、
「ブリッティッホ」
そう呟いた時、やはり水晶玉が静かに輝き始める。リュナウィッシュは光利達のいる方へ振り返り、
「準備は出来ました。このまま行こうと思っていますが……」
「俺は残るよ」光利が言った。「ルーアンとファグが思い通りに身体を動かせない。多分問題は無いと思うが、念のためにな」
「分かりました」リュナウィッシュはガルティックとリグリストの方を見て、「では、お二人で来ていただけますか?」
二人がそれぞれ返事をした後、
「リグリストは今回初めて聖域に出向くことになりますよね?」
「そうなりますね」
「聖域は今、バグテリスの力でかなり変質しています。当然、侵入者排除のための攻撃も行われます。ご注意を」
「分かりました」
リグリストが、小さく頭を下げて返事をした。それを受け、微笑みを浮かべたリュナウィッシュはオーラルアの方を向いて、そちらに手を伸ばし、人差し指でそれに触れ、そのまま吸収されていく。
その後を、ガルティック、リグリストの順番で続くのを、光利は見届けた。
静かになった広間の中で、光利はその目を、防壁を背に預けて座っているルーアンとファグの方に向ける。ルーアンの意識はまだ沈んだままで、ファグは、起きているのは分かったが、頭を俯けて安静にしている。
少し息が上がっているが、苦しそうには見えない。三人が戻るまで、容態が変わらぬことを祈るばかりだった。




