出発の準備
宿の部屋のドアをノックし、「どうぞ」という声が聞こえると、光利は部屋の中へ入った。中では、服を着替え終えた様子のルーアンが彼の方を振り返った。
「解決したか」
「あぁ。ありがとな」
光利はそうあっけらかんと答えた。そして、彼はルーアンの服装をじっと見た。
シャツの上に、半袖の小さなジャケットを着ているが、サイズは小さく腹の所までしか届いていない。ミニスカートも履いているが、下に短パンの裾が見えている。色は濃藍色で統一している。それらの服の下に黒色のタイツの様な物を着ており、露出した腹や両腕両足は黒色に包まれている。
「その服は、今から神殿に向かうために?」
「あぁそうだ。戦闘用にな」
ルーアンは軽く答えた。
「ねぇねぇ光利! ルア、凄くカッコよくない?」
ガルティックがわくわくしながら光利に問い掛けた。その様子には、彼が自分に同調を期待するような所が混じっていた。事実、ルーアンのその姿はスマートで見栄えもよく、彼女に実によく似合っていた。
「あぁ、確かにカッコいいな」
「やめてくれよ」
ルーアンは手を振りながら、照れた様子で答えた。ガルティックがそれを冷やかすように囃し立てると、彼女は逃げようとする少女を捕まえて首をくすぐっていた。少女は楽しそうに笑いながらそこから逃げようとしている。
「しかし随分と軽装だな……生地も薄そうだが大丈夫か?」
「その心配はない」ルーアンは答えた。「見た目こそ軽そうだが、防御力も備えさせているし、動きやすくもしてある」
「へぇ」
「試しに光利の銃で、私の身体をどこか撃ってみても構わないぞ?」ルーアンは胸の辺りに右掌を当てる。
「随分な自信だ。そんなに頑丈なのか」光利は笑いながら言った。「しかし、まぁ、弾も無限にあるわけじゃないんでな。その自信を信じさせてもらうよ……ガルティック」
「ん?」
「ほれ」
光利はガルティックに財布を下投げする。
「ほ~い……いで」
取り損ねられた財布は、ガルティックの頭に当たって落ちた。ガルティックは頭を撫でつつ財布を取り上げる。
「取り返したの?」
「あぁ。金は使われていたがな」
「光利」
光利が声のした方を見ると、リュナウィッシュはその手に持っていた物を示した。
「ルーアンが下に着ているのと同じものです。名前は『アミアー』と言います。特殊繊維で作られた物で、例えば物理な攻撃や魔法攻撃を受けても、その威力を半減させることが出来るのです」
「なるほど」光利はリュナウィッシュからアミアーを受け取る。「どうも」
光利はそれを両手で持って広げてみた。結構な弾力もあり、生地も柔らかい。
「それとルア」
「はい」
ルーアンがリュナウィッシュの方を向く。リュナウィッシュは机の上の箱のふたを開け、中から薄い透明のパックを取り出す。
「これを」
「ありがとうございます」
ルーアンはそれを両手で受け取ると、上を向いて顔に引っ付ける。頬からおでこから顎まで、顔の届く範囲まで貼り付けていく。手を離すと、その透明のパックは所々皺の寄った部分がある物の、顔全体に張り付いているのが見えた。
……と、そう思うと、そのパックは顔に吸い寄せられるように染み込んでいき、消えてなくなってしまった。彼女は前を向いて、パックが顔にしっかり溶け込んだことを確認するように頭を振った後、パックを張る際に閉じた目を開けた。
「それはなんだ?」
「名を『ヴィザル』。こんな見た目ですが、これも防具のような役割を果たします。怪我を防ぐのはもちろん、火傷や凍傷になってしまうのを防いでくれるんですよ」
「俺にもそれは使わせてもらえるか?」
「もちろんですよ」
──手洗いの中でアミアーを着た後、光利は元の黒スーツに着替え、その上からコートを羽織る。鏡で自らの姿を確認した後、スーツの袖や首から微かに出ているタイツを、指で少しつまんで伸ばして離す。腕を回したり膝を持ち上げたりして、その着心地を確かめる。
「──どうですか? アミアーの着心地は」
手洗いから出て来た光利に、リュナウィッシュが尋ねる。
「凄いなコレ。着ている感覚がまるでない」
光利は驚いた様子で答えた。彼は、この手の肌にぴったりと引っ付くタイプの着物が嫌いだった。着込んだ場所に違和感を覚え、集中力が途切れてしまうのである。しかしアミアーにはそれがまるでない。着ているという感覚がまるでないのである。
「人々の知恵と技術の賜物です」リュナウィッシュが答えた。「光利、ヴィザルを」
「あぁ、ありがとう」
光利はリュナウィッシュの手からヴィザルを受け取る。先程のルーアンと同じ要領でそれを張り付ける。上を向いて張り付け、下を向いて顔を少し振る。その着け心地は張り付ける時を除けば何も感じなかった。ヴィザルは顔に張られると、所々に皺が出来たが、やがて水面に落ちた半紙の様に顔に残らず張り付いて、やがて染み込んでいった。
光利の様子を見届けて、リュナウィッシュはルーアンの方を向く。
「靴はどうですか?」
ルーアンは先ほどから俯いて、爪先で小さくピョンピョン跳ねていた。
「そうですね……」
一言間を置くと、ルーアンは機敏な動作で逆立ちをした。そして腕の力を利用してその場でジャンプをする。すると、天井に足が着いて、そのまま天井に着地し、ゆっくりと立ち上がった。
「お~!!」
光利はこの光景に驚いた。ガルティックも聞かされていなかったらしく、その目に映る光景を楽しそうに見ていた。ルーアンが振り向くと、丁度光利の顔が逆さに見えた。
「どうだ光利。驚いたか?」
「……あぁとても」光利は天井を見上げた。「その靴の力かい?」
「その通りです」リュナウィッシュが答える。「名を『オウボップ』。魔術の応用によって作られた靴です。それを履けばどういった場所でも、足を付けて移動できます。服やスカートがめくれることも無く、とても便利ですよ」
リュナウィッシュの言う通り、逆さになっていることを除けば、服やスカートが捲れるでもなく、いつも通りに立っていた。
「私も履いてみたい!」
ルーアンを見上げながらガルティックが言った。
「ん?」ルーアンはガルティックの方を見上げる。「見てる分には面白いだろうが、こいつを履いて壁や天井に立つのは大変だぞ?」
「そうなの?」
「長い時間移動したりその場に立っていたりすると、平衡感覚が狂ってしまうそうなんです」
「へいこう……?」
「要は身体を安定させることが難しくなってしまうんです。物が横に見えたり逆さに見えたりしますので、人によっては酔ってしまいます。履きこなすのに、慣れるためにかなりの時間を要する必要がある人も、少なくないのです」
リュナウィッシュの方を向いて話を聞いていたガルティックは再びルーアンを見る。天井からぶら下がっているその奇妙な状態は、彼女を魅了するものがあるようだ。
「……良いなぁ」
ガルティックは羨ましそうに人差し指を咥えた。
ルーアンが先程の要領で床に戻って来る。
「どうする? 光利」ルーアンが話し掛ける。「このまま行けるか?」
「もちろんだ」
光利は彼女に笑顔で答えた。ルーアンはそれに頷いて答えると、リュナウィッシュの方を向いて、
「では、今から」
「気を付けてくださいね」
「はい」
返事をしたルーアンが先に歩いていくのを、光利もついていく。そして彼女がドアを開き、再度振り返ったので、光利もそれに合わせる。リュナウィッシュとガルティックが手を繋いで立っていた。
「では、行ってきます」
「はい。待っていますよ」
「ありがとうございます」ルーアンはガルティックの方を向いて、「ルア様を頼む」
ガルティックが片目をつむってウィンクしながら、ピースをしてそれに答える。
ルーアンは頭を下げる。光利もそれに合わせて小さく頭を下げると、ガルティックの方の前まで腰を屈める。
「じゃあガル、リュナ様を頼むぞ」
「うん! いってらっしゃい」
ガルティックは両手を後ろに組んで笑顔で言った。光利安心したような笑みを浮かべて立ち上がる。そしてルーアンと共に、部屋の中から出ていった。
……………
ヌディーリの街中を、光利とルーアンは並んで歩いていく。光利はポケットに両手を入れているのに対し、ルーアンはしっかり両手を出して歩いている。その顔つきはやや硬い。少し大きく息を吸うと、ゆっくりと吐いていく。
光利はそんな彼女を横目でみて、その緊張の様子を見ると、おもむろに懐に手を入れ、中から棒付き飴を取り出した。雨の部分は透明の袋に包まれている。
「ほれ」光利は飴の棒の部分をルーアンの方に向ける。「食べるかい?」
ルーアンは、突然差し出されたそれを、少しポカンとした様子で目にし、やがて恐る恐る受け取った。
「……これは?」
「ん?」光利は色違いの物を取り出して袋を破ったそれを口に含んで言った。「さっき帰って来る時に立ち寄った駄菓子屋で買ったんだ」
「……駄菓子屋か」飴を見ながら、ルーアンは呟いた。「子どもの頃以来言っていないな」
ルーアンは微笑みながら、そう感慨深そうに言った。その微笑みには気軽な調子があり、光利が唐突に飴を渡してきたことに気が抜けたようであった。
「この世界にも駄菓子屋があるんだな」
「ん? あぁ……」ルーアンは言った。「元の世界にもあるのか?」
「まぁな。入ることはなかったが、遠目で見て懐かしく思うことはよくあったよ」
「この世界の物と大差はあったか?」
「いや、変わらんね。ガキが数人集まって何買うかで騒いでるところも、時折見かけた光景だ」
「へぇ~」ルーアンは飴を口に含んだまま、少し可笑しそうに笑うと、「光利が子供に囲まれてお菓子を買ってるところを想像すると、なんというか、面白いな」
「面白いとはまた……」
光利は苦笑する。
「駄菓子を買うという風貌でも雰囲気の男でもないぞ、お前は。鏡はよく見てるだろ」
「駄菓子屋に服装の規定がないのを感謝しなきゃな」
「警戒しなかった店員さんへの感謝も忘れるなよ」
ルーアンは悪戯っぽく笑いながら言った。
「これは口が悪い。リュナ様に報告しさせてもらうぞ?」
「あぁもちろん。適度になら話を盛ってくれても構わない」
ルーアンの止まらない軽口に、光利は笑いながらも、それ以上言い返そうとも思わなかった。
ルーアンもまた、それ以上彼に何かを言おうとせず、やがて笑うのも止めると、少し気楽そうな様子を見せつつ、
「……気持ちが軽くなったよ、光利」
「ん? 何のことだかな」
光利は肩を竦めながら言った。
「……そう格好つけているところ悪いが」ルーアンは飴を口から出しながら言った。「お前は思い切りは良いが、人に気を遣うのが得意ではないだろ」
ルーアンの言葉には、少し冷やかし気味の所があった。しかしその言葉は、昨夜リュナウィッシュより言われたこととほぼ同じだった。光利は思わず苦笑する他なく、もう少しうまく振舞えないだろうかと、少しの間、考えないでもなかった。




