ドルクル
二匹の馬の走る蹄の音が、辺りの沈黙を割く様に鳴り響く。光利もリュナウィッシュも、上手く馬を操りながら、開かれた道を進んでいく。リュナウィッシュはローブで頭を隠している。途中にあった分かれ道を経つつ、今のところ二人を追うものは無かった。
「行先はあるのかい?」
「こうした森の中には、廃屋となった建物があります」リュナウィッシュが答える。「もしかしたらそこで隠れられるかもしれません」
「夜明けまでに着ければ良いな」
「そうですね」
光利の言葉に対し、リュナウィッシュは幾分、懸念したような声で答えた。最悪、小屋に至らない可能性は十分にあったからだ。
こうしたやり取りの後しばらく進んでいくと、光利側の方の木々が途中で途切れ、少し広がっているような体を見せている区画があった。二人は目を見交わし、そこに向かって馬を急がせる。
──彼らの辿り着いた先には、確かに小屋があった。
木造と思しきその小屋自体はしっかりしており、雨風凌ぐことに問題はなさそうではあった。しかし、その外観はかなり年季が入っており、かなり古めかしかった。窓は閉じられ、その奥も闇に閉ざされ、人の気配はなかった。
ただ、幾分光利に異様に見えたのは、それが木々にはめ込まれるようにして建っているということであった。その小屋は、玄関を含めた正面部分だけを残し、左右は足を踏み込むことさえ困難に思えるほどの木々に囲まれていたのだ。
正直、この森をしばらく進むうちに、彼の元いた世界に比べると、かなり節操なく木々が生い茂っているように思ったが、ここに来てそうした印象が確信に変わった。あと少し木が生えてくれば、その小屋を貫いてしまうのではないかとも思われた。
闇目において、その小屋はかなり不気味な様相をしていた。何の用事もなければ当然の様に通り過ぎるだろうし、特別超常現象を信じていないような者でも、進む足は自然と速くなっただろう。
「……とりあえず、ここで休みましょう」
少々躊躇いを滲ませながら、リュナウィッシュはそう言って、先にガルティックを降ろし、その後に続く。光利も馬から降り、ふとガルティックの方を向いた。少女はどこか関心したような顔で、その小屋を見ていた。少なくとも怖がっている様子はない。なんとも度胸のある子どもだと思った。
馬はどこかの木に留めるべきかを聞こうと、リュナウィッシュの方に目を向ける。
「お疲れ様、アヌワイ」
皇王は、馬の身体を優しく撫でながら、試験管の形をした銀色の棒を取り出していた。何をするのかじっと見ていると、皇王はその銀色の棒を、そっと馬に当てた。
すると、その触れた部分から、石を投げた湖に出来るような波が広がっていく。やがて少しすると、そのまま馬は光の粒となって、その棒の中へと吸い込まれるように入っていった。
光利は途中から、呆然とそれを見ていた。そんな様子に、銀色の棒──後で確認した時、『キロサル』という名称だそうだ──を見ていたリュナウィッシュも気が付いて、はっとした。
「その馬──ヴィーヌというんですけど、持ち主が今はいないので、どこか木にでもかけておきましょう」
「……ああ」
返事をする光利の所までリュナウィッシュは近付き、ヴィーヌと呼ばれた馬の身体を撫でながら、
「お疲れ様です。ご主人様が返ってくるまで待っていてね」
そう言って、光利と共に手綱を取って、小屋の横の木に近付く。
「……アヌワイというのは、あんたの馬のこと?」
「えっ?」
光利の問い合わせにリュナウィッシュは顔を向ける。彼は質問を繰り返す代わりに、小さく首を傾げる。どことなく可笑しく、どことなく可愛く思えたその仕草に、リュナウィッシュは微笑んだ。
「はい、そうです。アヌワイは私の馬の名前です」
「覚えとかなきゃな」
二人がそんな会話をしている間にガルティックも一緒に来ており、ヴィーヌの身体を軽く撫でていた。
──三人は扉の前に立った。真ん中の光利は、後ろ両脇の二人とそれぞれ視線を交わすと、扉を拳で軽く二回程叩いた。中からは何の反応もない。光利は扉のドアノブに右手をかけ、軽く回して軽く押してみる。すると、鍵をしていないのか、そのまま小さく開かれた。光利はそれを確認すると、左手でコートの胸辺りのボタンを開け、扉をさらに開く。
暗闇に包まれていた小屋の中に、月光が一足先に忍び込んで、中の物を照らし出した。部屋の中央には飲食用か大きな机があり、その前に椅子が一つ置いてあった。ちょうど反対側には、裏口に続くはずの扉もあり、その右側には、台所と思しき所が伸びている。
左側にも伸びているが、何があるかはここからは見えない。壁の辺りは光がさして届いておらず、辛うじて見える所に時計が掛かっているのを除けば、目立って何かがあるということもない。
光利はそれを一望すると、ゆっくり足を一歩前に出した。床の軋む音を聞きつつ、何も起こらないのを確認すると、全身を部屋の中へと入れた。
……次の瞬間、右側で床の軋む音がしたかと思うと、懐から即座にワルサーを取り出して、そちらに銃口を向けた。同時に、三叉の先鋭が、彼の顔の前で止まった。銃口の、そして光利の視線の先に、大きな顔と目付きが、槍をこちらに向けている姿があった。
確実に、こちらに不信感と警戒心を抱いている。しかしその一方、いささかも恐れていないという、勇ましい顔つきでもあった。
「……人様の家に勝手に上がり込み、訳の分からんものをこちらに構える」男が言った。「随分と良い度胸をしているな、クソガキ」
岩のように重々しく、刃物か何かで切り刻まれたかのように荒々しい声を発し、男は光利に凄んできた。
「お待ちください!!」リュナウィッシュが男に姿を現した。「申し訳ありません、勝手に入ってしまって。人気が無かったので。今、私達は追われているんです」
「追われている?」男は態勢を変えずに言った。「バグテリスの仲間ではないと?」
「信じていただくのは難しいかもしれませんが……」
リュナウィッシュの、少しばかり頼りなげな、弱々しい声が聞こえた。光利と男は双方、そのまま動こうとはしなかった。が、先に男の方が、槍を天井の方に向け、彼らに背中を向ける。光利もまた、銃口を下に向けた。
闇目に、男が少し背よりも高い位置に手を伸ばすのが見えた。すると、部屋の中が明るくなった。少し古めかしいが、綺麗な部屋の中の様子が照らし出された。照らし出したのは真上から吊り下げられた丸い球上の物体からだった。
「ふむ……」
男の声が聞こえ、光利らはそちらに目を向ける。目踏みするような目で、あごを右手で軽く撫でながら、男は彼らを見ていた。男、女、子どもが一人ずついるということを、この男は、というより、この世界ではどう受け止められるのか。光利ははっきり分からなかったが、その一方、特に深く疑っているという目付きではなかった。
「……ま、確かにあの化け物どもが、人間の子どもを刺客に向かわせるなど聞いたことはないな」
そう言って男は、その目をガルティックの方に向けて言った。槍は適当なところに立て掛けた。
「刺客?」
ガルティックは自らを右手の人差し指でさして呟く。そして光利の方に、その言葉の意図を確認するように目を向ける。少女と目の合った彼は、親指を立てて頷いた。それを見て、いまいちよくわかっていない様子をしつつ、問題はないという状況は理解できたようだった。
「追われているというのは」机の前に向かいながら男は尋ねた。「あの『ラヌラーヴァ』という輩からということで良いかな?」
「はい。その通りです」
「ふむ」
リュナウィッシュの答えを聞いて、男は少しばかり、思案するような顔つきで俯いた。光利は改めて、男の容姿を見た。
背はガルティックより少し大きいくらいの、少し丸みを帯びた体型をしている。達磨に手足を付けた、とでも言えようか。しかしその一方、その丸味は決して死亡や肥満から来るものではなく、全身筋肉質な身体をしていた。
腹は出っ張っている物の、服やズボンから見えている腕や足は、岩石でも詰め込んだように隆々としており、その顔も、棒か何かで岩を殴りつけて形を整えたかのような、粗雑な形をしていた。そこに張り付けられた、大きな目や鼻や口も、そうした荒々しさに合わせたかのような感じであった。年も、五十代中盤位ではないかと思われた。
とはいえ、決して醜いというわけでは無く、それはそれで、一つ一つ調和のとれた姿をしており、その顔つきも、決して何かしらの悪意を含蓄しているという様子ではない。気持ちを何かしら内に秘めた瞬間、即座に外にそのまま露呈させてしまうような、ある種の素直さの様な物が似合うように思われた。
事実、その思案する姿は、光利達三人をどうすべくかに悩んでいることを、目を強くつむり、唇をすぼめ、微かだがうめいている姿に、特にその印象を強めた。何となく、光利はこの男を見て、ファンタジー作品に出てくる『ドワーフ』を思い起こさせた。
「……まぁ良い」男は言った。「あんたらが怪しくないとは言わんが、さすがに奴らも、こんな山ん中にそんな格好をさせた人間を出向かせることなどなかろうし、そんな姿でウロチョロするのも危ない。ここにはおさせてやろう」
「ありがとうございます」
男の言葉を聞いて、リュナウィッシュは笑顔で答えた。光利はコートの袖を引かれて目を向けると、ガルティックがウィンクをして顔の横まで上げた掌をこちらに向けていた。光利はその意図を組んで、自らの右手と軽く音を立ててタッチさせた。
「正直ろくなもんはないぞ」そう言いながら、男は台所へと向かおうとした。
「あぁ、そんなお気遣いは大丈夫ですよ」
ローブを頭から下ろした所だったリュナウィッシュは、男の方を向いて言った。
「食わぬわけにもいかんだろう。腹が減ってないなら別に……」
そう言いながら、男はふと、リュナウィッシュの方へ、気怠そうな目つきのまま向いた。そして、少女の姿を目にした瞬間、動きが止まる。しばし、大きく見開いた目で、少し上半身を前のめりにしてその姿を凝視する。
するとやがて、ショックでも受けたかのように、その場に大きな音を立てて尻餅をついた。その音に引かれ、他の三人は少し驚いて、性急な様子でそちらに顔を向けた。
「あ、ああああああなた様は……リュナウィッシュ様……リュナウィッシュ様ではございませんか……!!?」
男の、見ているだけで吹き出してしまいそうになる動揺した姿は、先ほどの憮然とした冷静さが嘘のようである。あたかも不意に、腕一杯に抱えていた物を床にぶちまけたかのような様子だった。
ガルティックは可笑しそうに、光利も少し笑いそうになっていた。しかし真面目なのだろう、リュナウィッシュは彼の様子を、明らかに心配している様子だった。
「そうです……あの、大丈夫ですか?」
男の質問に答えながら、リュナウィッシュは彼に近付こうとした。それを見て、男は即座に正座で座り、両手を前にやった。
「だ、大丈夫でございます……! いや、とんだご無礼な所を──」
「お立ちください」リュナウィッシュは遮って言った。「貴方の態度は当然です。こんな夜遅くに無断で足を踏み入れたのですから。むしろ、こうしてあなたの家に招き入れてもらえるだけでも、私たちにとってはありがたいことなんです」
「ああいや……こんな汚いところで……」
「さぁ、お立ちください」
リュナウィッシュは男の手に触れようと、自らの手を伸ばす。すると、男はその手を引いて、すっと立ち上がった。そして、手を握ったり開いたり、服に円を描く形で撫でつけたりと、自らの動揺を現わすような動きをした後、
「あぁその……手を洗っていないもんで……綺麗ではないんですよ」
男は言った。一連の動作と、その妙に言い訳くさい言葉から、自らの手を引っ込めた動作が、あたかもリュナウィッシュの手を拒絶したかのように見えぬかを、男が心配しているのが分かった。光利は右手の拳を口に当てて顔を背け、笑いそうになるのをこらえた。
これに対し、リュナウィッシュは、どこか愁いを帯びた笑みを浮かべた。
「……今の私に、そこまで気を使っていただく必要はありませんよ」リュナウィッシュは言った。「私は国を取られた皇王です」
この言葉に、挙動不審だった男の身体をはたと止まり、その真剣な目つきを皇王に向ける。
「……何をおっしゃいます」男は真剣な、慇懃な口調で言った。「世事には疎い方ではございますが、今、皇王が何をされようとしているかを知見しているつもりです。あの化け物ども……『バグテリス』の連中から、国を取り返そうとなさっている。それも、数少ない護衛の者達と共に」
「その護衛も、今は皆失っている状態です。それも私のためにです」リュナウィッシュは言った。「バグテリスとの戦争に負け、あらゆる都市や街を占領されてしまいました。取り返そうにも上手くいかず、ただただずっと逃げてばかりです」
「それだけ敵も強力になっているということです」男は臆せず言った。「皇王に手を貸す者がおられぬのであれば、私が手をお貸しします。武器や道具を作るばかりの脳ではありますが、腕っぷしには自信があります。必要とあれば、皇王と共に戦地に立つことも厭わぬつもりです」
「……ありがとうございます。そう言っていただけるだけでも心強いです
リュナウィッシュがそう言うと、男は感極まったような様子で頭を下げた。
光利はじっと、真面目にそのやり取りを聞いていたが、リュナウィッシュの感謝は、無論真意でもあろうが、一方で男のその勢い込んだ調子を抑えようとしているかのようだった。事実、男はリュナウィッシュの言葉に、喜びを噛み締めているという様子で、それ以上意気込んで、彼女に訴えかけるようなことは行わなかった。
「先ほど、特に必要な物はないと言いましたが」リュナウィッシュは言った。「軽くお茶でももらえれば嬉しいです。少し急いてここまで来たので……えぇっと……」
「?」
男は、皇王が言葉に詰まる様子を見て、小さく首を傾げた。リュナウィッシュは、少しばかり弱々しい笑みを浮かべ、
「申し訳ありません。あなたが技術屋一族『ジウラミーラ』の者だとは知っています。ただ、お名前の方を……」
「あぁ!! 申し訳ありません」男は焦った様子を見せて言った。「私は『ドルクル・ジウラミーラ』と申します。以後、お見知りおきを」
男──『ドルクル・ジウラミーラ』は既に、皇王の協力者でもあるように、胸を張る勢いでそう言った。
「分かりました、ドルクル」リュナウィッシュは言った。「ではお茶の準備を、お願いしてもよろしいですか?」
リュナウィッシュの言葉を受け、ドルクルは台所に向かった。その間、彼女はローブを全身から脱いだ。薄い紫色のワンピースの優雅さが、この古びた小屋の中で、不調和な印象を抱かせた。またその首に、ネックレスのかかっているのが見えた。
作品の設定上、登場する人物の視点に合わせて、同じものでも表現の仕方を変えている場合があります。(例:コート→外套 ベッド→寝具)お付き合いいただければと思います。