ラヌラーヴァ
「ガルティック!!?」
リュナウィッシュの叫び声の響くのと、ガルティックが撃たれた拍子に倒れたのはほぼ同じ瞬間だった。倒れて呻き声を上げる少女に皇王は近付こうとした。
「動かないでください!!」
その叫び声を耳にしてリュナウィッシュは足を止め、声のした方向に目を向け、驚きに目を見開く。先ほど彼女が草原に入ってきたのと同じ道から姿を現したのは、少し前まで彼女を追いかけていた、異形の者──『ラヌラーヴァ』三匹だった。三匹とも馬に乗っている。
三匹の内、左側にいる者が右手をこちらに向けていた。よく見ると、手袋をはめて軽く開かれた手の甲に、筒の先端が見えた。三匹はゆっくり、リュナウィッシュらに近付いていく。
「それ以上近付けば、その子の頭を撃ち抜きます」
そう言ったのは真ん中のラヌラーヴァだった。その言葉に、リュナウィッシュは目を軽く吊り上がらせ、薄く開いた唇から噛み合わせた歯を顕わに、その柔らかな顔に不快感と怒りを滲ませた表情を向ける。それはまた、決して怒り慣れていない者の顔つきであり、どうしても迫力には欠けた。
「貴方達には恥がないのですか!」リュナウィッシュは語気を強く、そして重々しくして問い掛ける。「このような子どもに対して行うようなことではありません!」
「そうですね。普通の子どもであれば行いませんよ」真ん中のラヌラーヴァが答えた。「しかし、その子どもはハムラムの者でしょう。だとすれば、我々も警戒をしないわけにはいきません。子どもとはいえ、我々には脅威になりますからね」
「だからと言って──」
「恥には思いません」リュナウィッシュの言葉を遮り、ラヌラーヴァは答えた。「我々は目的の為ならばいかなる手段をも取ります。我々は名誉のために戦いません。勝利のために戦うのです」
その、聞く者によっては癪に障るような落ち着き払った態度で発せられた答えを聞いて、リュナウィッシュの不快感や怒りは更に深まる。彼女は歯を強く噛み締めた。
「そう怖い顔をしないでくださいよ」右側の、先ほどからずっと口の端を吊り上げてにやついていたラヌラーヴァが、軽薄な態度で言った。「我々は飽くまで、皇王様に一緒に来ていただきたいだけですよ」
ラヌラーヴァがそう言った時、この言葉がきっかけになったかのよう先ほどまでうずくまって呻き声を上げていたガルティックは、立ち上がると同時に、皮の入れ物から鎚を取り出して、右手の親指を噛んでそこを擦り、大きくしたそれを、三匹に向ける。左側にいたのが筒の狙いを定めるような動きを取る。
「撃つな!!」
ラヌラーヴァがそう指示した。
「ガルティック……!」
「皇王様を連れて行かせない!!」リュナウィッシュの呼び掛けにあえて答えず、ガルティックが三匹に叫んだ。「私が全員ぶっ倒すッ!!」
ガルティックの熱のこもった叫び声が響く。その決死の顔には、痛みを耐えるような汗が流れ、月光を受けて仄かに輝いている。その場で誰一人動かなかった。リュナウィッシュは心配し戸惑い、ガルティックは今すぐにでも攻撃に向かわんとする姿勢を示し、三匹はそんな少女を観察し……そして、
「分かりましたか? リュナウィッシュ様」
リュナウィッシュは三匹の内、真ん中のラヌラーヴァを見る。ラヌラーヴァは他の二人と同様、ガルティックから目を離さない。
「普通の子どもはこんな時、気焔を吐くどころか、立ち上がることさえできません。うずくまったまま大泣きするのが関の山でしょう。これだけで、充分我々が、この少女を撃ち抜いた理由が分かるはずです」
「不意打ちをせねば勝てぬと言いたいのですか?」
右側のラヌラーヴァが、明確に怒りの表情を浮かべてリュナウィッシュの方を向いたのに対し、真ん中のラヌラーヴァは、視界から少女を離さぬ程度に同じ方へ顔を向ける。リュナウィッシュの表情と挑発的な態度に答える様に、小さくため息をついた。
「良いでしょう。リュナウィッシュ様」ラヌラーヴァが答える。「どうしましょう。このまま戦ってみますか? なるほど、この少女と、もし皇王様が我々に向かってくるのであれば、あるいはこの場を切り抜けられるかもしれません。しかし、皇王様を連れ出すことを目的としている我々は、代わりに我々に敵意を向けるこの少女に全力を向けるでしょう。あるいは少女も無傷で切り抜けられるかもしれない。しかしあるいは……無傷な自分を尻目に、少女の傷つく姿をその目に映したいですか? 我々は全力で向かいます。命を奪うことさえためらわぬ程にです。我々の全力が少女に通じたら? 全て可能性として存在します。賭けてみますか?」
この言葉は、リュナウィッシュを一気に戸惑わせた。どういう行動に出るべきか。皇王として、この場を切り抜けるべきか? そのためにルーアンは彼女から離れた。ラヌラーヴァの言う通り、彼らを倒し、この場から更に逃げるのが最善であろう。
しかし、そこの少女を巻き込むことは? 少女の無事を確保し、この場から逃げるには賭けるしかない。そんな危険を冒すべきだろうか。そもそも少女は、現時点で傷ついているのだ。最悪の事態に陥ったら……?
「……ガルティック」リュナウィッシュが呟く。「武器を下ろして」
「私は戦えます」
ガルティックが頑なに答える。
「貴方をこれ以上傷つけたくないのです」
ガルティックはその言葉を聞き、一気に悲しみの表情で浮かべ、皇王の方を見た。苦渋の決断を強いられたような、辛く苦しみぬいたような顔をした皇王が、そこにはいた。ガルティックも、悔しそうに鎚を小さくして、下ろした。
皇王としてのリュナウィッシュの役割が、彼女の決意を固めた。ファムアート王家は常に、民の安全と平穏の為にその身を捧げてきた。その民の命を、自らのために危険にさらすわけにはいかなかった。
「理性的な判断、感謝いたします」真ん中のラヌラーヴァが言った。「それでも皇王様。我々と共に来ていただいてもよろしいですか?」
「その前に──」
ラヌラーヴァの問い掛けに、リュナウィッシュは顔を上げて言った。その物言いと同様、決然とした強い意志があった。
「何でしょう」
「少女の怪我の治療をさせてください」
「……なるほど」ラヌラーヴァは少しの間考えて、「良いでしょう。ただし、我々がその子どもも共に連れていくことになりますが、それでもよろしいですか?」
「! 連れていくというのは……!?」
「当然でしょう」ラヌラーヴァは続ける。「回復した身体で攻撃されてもかないませんからね……適当な場所まで連れていけば、そこで離しますよ」
「……!!」
リュナウィッシュは反論しようとしたが止めた。どのような理屈も通じぬ相手であることは分かりきっていた。また、これ以上ガルティックをそのままにはしておけない。
「分かりました」
そう言って、リュナウィッシュがガルティックに近付こうとすると、
「お待ちください」
ラヌラーヴァは皇王を止めると、右側にいた同族に目配せをした。意図を察したそのラヌラーヴァは、下卑た笑みを浮かべて馬から降りる。そしてガルティックの方に近付いていくと、自らの手の甲に伸びている筒の先を、少女の頭に向けた。リュナウィッシュは、真ん中のラヌラーヴァに向けて睨み付ける。
「念のためですよ」睨まれたラヌラーヴァは平然と言った。「何もしなければ、『フィジャスン』で撃たれることはありません」
その一言に、まだ多分に言いたいことあることを示唆しながら、しかしリュナウィッシュは改めて落ち着きを取り戻し、ガルティックに近付く。ガルティックがその目を、自らの頭に筒──『フィジャスン』を構えたラヌラーヴァに向ける。ラヌラーヴァが、見下したような笑みを浮かべると、厭味ったらしく舌を出した。
リュナウィッシュは少女の右隣に立って腰を落とし、まずは右肩に手を翳す。
「『ブリグオ』」
そう呟くと、先ほどと同じようにその肩に翡翠色の光が包まれる。ガルティックはじっと、その光に包まれた自らの肩を見つめていた。やがて、さして時間も経つこともなく、その肩は癒されていく。
リュナウィッシュが光を消して、いったん手を離す。そして、左の太ももに同じことをしている間、小さく回転させて、既に何の異常もないことを確認した。その間に、太ももの怪我も完治した。
「どうですか? ガルティック」
問われたガルティックは皇王の方を向く。弱々しくも優しい笑みに出くわし、
「治りました」
言葉通りの感謝を籠めた笑みを浮かべた。
「では、こちらに来ていただいてもよろしいですか?」
その言葉を聞いて、二人は声のした方を向いた。特に変わった様子もなく、馬にじっと座ったままのラヌラーヴァ二匹が、その目に映った。リュナウィッシュは改めて悔しそうな、無念さをにじませた表情を浮かべたが、諦めたかのように自らの馬に近付いていく。そして、そのまま乗り込もうとした時にふと、
「……ルーアン」リュナウィッシュは言った。「ルーアンはどうなったのですか?」
リュナウィッシュの声は、落ち着いてこそいるものの、明らかに動揺と困惑が隠しきれていなかった。それは半ば、最悪の事態さえも想定しているようである。
「あぁ、ご安心を」ラヌラーヴァが言った。「殺してはおりません。気絶させて捕らえた上で連行しただけです。敬意をこめて、素晴らしい護衛である言っておきましょう。次々に現れる我々の同僚をほとんど斬り倒しましたからね。あえて言いますが、不意打ちを行なってようやく捕らえることが出来ました。疲労と怪我による隙が無ければ、確実に逃げられたでしょう」
「……そうですか」
その言葉には、ある程度安堵しているのが読み取れた。
リュナウィッシュは自らの馬に乗り、ガルティックにも手を貸して、自らの前に乗せた。そして、ルーアンが乗ってきた馬に軽く手で叩いて合図を送ると、共にラヌラーヴァ三匹の方へ近付いていく。いつの間にか、ガルティックにフィジャスンを向けていたのも、自らの馬に乗っていた。
リュナウィッシュらが彼らに囲まれると、
「では行きます」
二人と三匹は、そのまま来た道を戻ろうとした。その時ふと、
「ああそうだ」
右側にいたラヌラーヴァが思い出したように、立ち止まると、他の者らも止まった。そのラヌラーヴァは軽く後ろを振り返って、
「あそこで倒れている奴はどうする?」
そう問われて向けた視線の先に、先ほどリュナウィッシュが怪我を治し、今もって気絶したままの男がいた。
「捨てておけ」真ん中のが言った。「これ以上は不要だ」
軽く頷くと、全員、再び進みだした。馬数匹が雑草を踏みしだく、乾いた音が耳につく。
ふと、遠くで草の踏まれる音を聞いたように思った、左側のラヌラーヴァが、馬を進めたまま後ろを少し振り返った。
──次の瞬間、その額に何かが撃ち抜かれる音がして、そのラヌラーヴァが馬から落ちた。突如起こった出来事に、皆が目を向ける。何が起こったことを把握しながら、それに理解が及んでいないことを示すような、呆然とした視線だった。
そして、彼らの後ろ、はるか遠くの所で、先ほどまで気絶していた男──『聖光利』が、サイレンサーを装着させたワルサーの銃口を、彼らの方に向けていた。堅固な意思を表すように、グリップを右手で力強く握ったまま。
作品の設定上、登場する人物の視点に合わせて、同じものでも表現の仕方を変えている場合があります。(例:コート→外套 ベッド→寝具)お付き合いいただければと思います。