グヴィス・バグス
「つまり我々の仲間入りをしたいということで良いのか?」
その声は鈍く、車か何かで轢き潰されたようなねっとりとした声音で、少々聞き取りづらかった。今、光利と対峙しているその声の主は、ラヌラーヴァの首領『グヴィス・バグス』。その声に相応しい巨大な身体をしていた。
周りにいるものが二メートル近くの大きさとすれば、その大きさは十メートル以上あるのではないかだろうか。それをさらに巨体に見せているのは、特に横幅である。他のラヌラーヴァらは皆筋肉質の身体つきをしているのに対し、そんな筋肉が溶かされ、さらに膨らまされたのではないかとも思えるほどの肥満体型だった。
全身も黄土色で頭は潰れたパイの様になっており、目の部分に伸びる線が、閉じたまぶたなのかしわなのか判別がつかない。開かれる口ばかりが、妙に生々しい。ラヌラーヴァとは似ても似つかない全く別の生き物であり、これが彼らのボスであることが信じられない程である。
光利の感想として、なぜこのようなボスに忠誠を誓っているのか分からなかった。周りにいる者達が四、五人で結束すれば容易く下剋上も行えるのではないかと思えるほど、その姿にはいささかの強大さも恐ろしさも威厳も感じられなかった。無論、力だけでは語ることの出来ぬ主従関係など、珍しくは無いけれど。
今、光利がいるのは、『ディレビル』と呼ばれる建物であった。古くはある大富豪の暮らしていた館であったのを、宿泊施設として改装し、運営されていた。それが、今ではグヴィス・バグス率いるラヌラーヴァの拠点として、利用されるようになった。
目の前のグヴィス・バグスが巨大なら、今光利がいるこの部屋も広かった。舞踏会用の広間の様である。この部屋一室がグヴィス・バグスの部屋だそうだが、その巨躯を考えても広すぎる。しかも全くと言って良い程何の装飾が無い。そのことがなお一層、この部屋の無駄な広さを強調している。
床には全体的に巨大な赤いウール─あるいはそれに類似した物──のカーペットが敷かれている。部屋の左右に等間隔でアート窓があり、枠は何かの植物を模したような形をしている。窓の向こうから強い日が白く照っており、故に灯りの消えた内が妙に暗く感じられる。
上の方には、閲覧用か何かのための足場が、壁に沿って凵の型に伸びている。そこにもやはり等間隔で、閉じたカーテン越しにアーチ窓が設置されている。その部屋の中には警護のためか、上下それぞれにラヌラーヴァが多くいた。
「そうだな」光利が答えた。「是非、あんたの下で働きたいと思っている」
「ふ~ん」グヴィス・バグスは、納得したのか否か分からぬような反応を示す。「まぁ、貴様の功績を認めないわけじゃない。えぇっと……光利? だったかな。ファムアート市民軍の根城探索の協力、及び皇王の居場所報告……」
ここで、グヴィス・バグスは言葉を切った。何かを考えている可能性も十部なるが、正直その様子は、電池の切れたおもちゃの様な止まり方であった。
「信じてもらえるか?」
「あぁ?」
眠りかけているところを急に起こされたかのような反応だった。恍けているのかとも思える態度である。目の辺りの線は、更にどんよりと垂れ、口は今にも溶けだしそうなほどたるみ切っている。呼吸に合わせて上下する腹は、まるで一つの山である。
「貴様を信じるか信じぬかは、我が部下が皇王をここに連れてくることが出来るかどうかだ……が……」
グヴィス・バグスは少し考える。
「あんたの判断次第で、煮るなり焼くなりすりゃ良い」光利は両手を広げた。
「えっ? ……あぁまぁ根城探索の協力があるから、急に煮たりはせんが……」
考えを遮られて、提案を受けたグヴィス・バグスの反応はやはり鈍い。
「皇王がすでに立ち去っている可能性もあると思うが?」
代わりというような調子で、護衛のラヌラーヴァが尋ねる。
「別れ際に、もう少し滞在するというようなことを言っていた」
「……ほぉ」護衛が返す。
「グヴィス・バグス……様が言ったように」敬称の付け忘れに気を付けるような調子で光利は言う。「要はいるかいないかだろ。あんたらには大した損ではあるまい。何より皇王にとっては、いつどこから敵が現れるかもわからない状況だ。その場にとどまっている可能性は充分あるし、例えいなくなったとしても、そう遠くへはいけないだろうよ」
「……」
周りのラヌラーヴァは不信感を露わにしている。それは光利も肌で感じているし、予想通りでもある。少なくとも、こうして真っ当に話せる状況にあるだけでも、彼としては合格ラインである。
「ふむ」グヴィス・バグスは返事をする。「正直に言えば、まだ貴様は信用するには足りんのだよ。えぇっと、ひ、ひひ……」
「光利」護衛が答える。
「そうそう光利。我々は貴様の正体も実力も何一つとして分からん。仮に、皇王の件が事実であり、捕縛に成功したとしよう。当然、貴様への信頼は上がる。しかし……」
「この屋敷には……」光利は遮る。「ボウディンの人間たちも働かせていたじゃないか。ここに来る途中の廊下で、床拭きをしている連中を見たが? 話を聞けば、雑用だけでなく、最下等とは言え兵士としても雇わせている。何故俺を、あんたら側の方に雇わせてもらえないんだ?」
──光利とグヴィス・バグスらが、こうした会話をしている間、上の足場で、数匹いるラヌラーヴァの一匹がフィジャスンを懐から取り出し、その手にはめる。同胞の思い付いた悪巧みに、周囲の数匹は笑うのを抑えている。その一匹は、光利にフィジャスンを向ける。
「そうまでして、なぜ我々側に付きたい?」
グヴィス・バグスに代わり、再び護衛が問い掛ける。
「そうだな……」
光利は答える前にS&W M10を取り出すと、フィジャスンを彼に向けているラヌラーヴァに向けて撃った。
「!!」
その轟音は、その場にいる全てラヌラーヴァを驚かした。フィジャスンを向けていたラヌラーヴァの頬に弾丸が掠る。そのラヌラーヴァが思わず放ったフィジャスンからの光弾は、光利の足元に突き刺さった。光利はそれを見て、口笛を吹いて関心を示す。その場のラヌラーヴァ達は戦闘態勢に入る。
「静まれッッ!!」護衛のラヌラーヴァは光弾を放った同胞を睨み付ける。「何が起こったのかは分かっているぞッッ!!」
光弾を放って床にへばり込んでいたラヌラーヴァは、怯えたような表情を浮かべて固まってしまう。
「賢く、自分に見合った生き方だと判断したからだ」光利はM10を懐に仕舞う。
「ふむ……」
グヴィス・バグスは右手を軽く握って頬に当てる。正直、分かっているのか否か、判断はつきかねているのだ。
「正直に申そう」護衛が一歩前に出て口を開く。「先ほどからの貴様のその態度は、信頼に値しない。貴様のその傲慢な、何一つとして物怖じのしない態度は、その腹に何か隠しているのではないかという印象を抱かせぬではないのだ」
「信用に値するかどうかについては、当然の判断だとは思うよ」光利は飄々と答える。「皇王様の居場所を伝えた程度で、信用を勝ち取ろうとは思わん。それはこれから築き上げようと思う。そもそも俺の態度を信用ならんと言うが、そこらでビクビクして、使い物になるかどうかも分からない連中よりは、どんなことにも物怖じをせずにいられる俺の方が、いざ戦闘と言う時、役に立つと思うが?」
「そして同時に、そのまま切りの良い所で、貴様が逃げるか裏切るかをするやも知れんな」
「あぁもう良い」
グヴィス・バグスが遮るように言った。光利が見た中で、一番勢いのある動きである。
「これ以上は水掛け論だ。光利が言っていることにも一理あるし、我が部下の言っていることにも一理ある。しかし光利、先ほどからの貴様の物言いと不遜さは、不快ではあるがまぁ堂々としていると考えることが出来るのも事実だ。そこで……」
「……」
「貴様を一つ、試させてもらおうと思う」
「というのは?」
「ファムアート市民軍の連中の根城に向かい、わが部下とともに一網打尽にして来い」
作品の設定上、登場する人物の視点に合わせて、同じものでも表現の仕方を変えている場合があります。(例:コート→外套 ベッド→寝具)お付き合いいただければと思います。