捕らわれ人
捕らわれたルーアンは、牢屋に、両手両足を鎖で繋がれ、壁に貼り付けられていた。そこは、全体を茶色の煉瓦で構成され、壁に一定の間隔を置いて設置されている橙色の灯に照らされており、暗くじめついた雰囲気を醸し出している。項垂れた彼女の前で、三匹のラヌラーヴァが席について、会話を交わしながら食事をしていた。
ルーアンは黒と藍色を基調とした服を着ており、両手には戦闘時、刃物を出した銀色の腕輪が手首にしてある。顔や手など、肌の露出した部分は、日に焼けたように仄かに黒みを帯びており、銀色の中に僅かな青の混じった長い髪を垂らしている。
上半身は僅かながら前の方へ倒れ掛かろうとしている態勢になっている。頭を俯かせ、目の辺りは影に覆われている。彼女に背を向け食事をとっていた一匹が口の中の物を飲み込むと、ふと振り返り、彼女の方を見た。すると、他の二匹も会話を止めて、同胞を、そしてその視線を追う。
ルーアンが全く動かぬのを見て、最初の一匹が匙を縁の方に寝かせたままの皿を左手に持って、おもむろに立ち上がった。そして彼女の前に立つと、右手であごを掴んで頭を挙げさせる。ルーアンを細めた、静謐ながら明確な敵意を込めた瞳で持って、怪物を見た。
それを見たラヌラーヴァは、野卑な笑みを浮かべた。
「……腹は空かんか?」
そう言いながら右手で匙を掴み、粥を掬ったかと思うと、彼女の左の頬目掛け、少し勢いづけて粥を投げつけた。左目をつむり、少し顔を少し右側に向けたのが、初めて彼女が彼らに見せた反応である。
「あぉすまなかった」ラヌラーヴァはまた粥を掬う。「さぁ、食ってみるが良い」
怪物はルーアンの口の前に粥を持っていく。しかし彼女は口を開かない。左の頬の粥が少しずつ垂れ下がり、少しばかり地面に落ちた。
すると、一度鼻で笑ったかと思うと、ラヌラーヴァは再び、今度は彼女の額に向けて粥をぶつけた。両目をつむって顔を少し後ろに引かせたが、やがてすぐに開く。額から粥が垂れていく。
「おいおい汚すのはまずいぞ」
先ほどからその様子をニヤニヤ後ろで見ていた二匹の内の一匹が言った。もう一匹が右隣の床に視線を下ろして、手を伸ばすと、落ちていた雑巾を取り上げた。
「おい」
呼ばれた最初の一人は、投げられた雑巾を手に取った。雑巾は汚れで所々に黒い染みがあり、全体的にも白色が黒ずみ始めていた。顔からそこそこ離しているにも関わらず、その鼻孔に異臭が付いてくる。少し前に掃除をしていた後なのだろう、微妙に濡れていた。
「拭いてやれよ」
同胞にそう提案されると、ルーアンの前に立っていたラヌラーヴァは笑って、皿を机の上に置くと、その雑巾で彼女の顔を拭い始めた。拭われるたびに粥が地面に、滑った音を立てて落ちていく。ルーアンが目をつむって、それに耐えようとしているところを見て、三人は笑い声を上げた。やがて、雑巾で口辺りを重点に拭き始めた時、
「……ッツ!!?」
突然人差し指に鋭い痛みが走ったかと思うと、ラヌラーヴァは急いで手を引っ込めた。その異様な様子に、他の二匹のも笑うのをやめて、急いで立ち上がった。二匹は、苦しむ同胞の前の女が、その口に雑巾を噛んでいるのが見えた。
呻き声を上げながら、左手で右の手首を掴み、痛みの走った指を見る。深々とできた傷から、血がどんどん流れてくる。苦しみに顔を歪めながら、顔をルーアンに向ける。ルーアンは、軽蔑し切ったように、見下していた。
それを見て、一気に怒りの沸点の上がったラヌラーヴァは、右手の甲でルーアンの右の頬を叩き、更にそのままその拳を握り腕を回して、その腹を殴りつけた。ルーアンの口から雑巾が落ちた。
「舐めるんじゃないぞ……貴様は皇王確保のために生かされているに過ぎないのだッ!! 事情が事情なら今ここで殴り殺しているッ!!」
そうした男の怒号にも関わらず、ルーアンは平静そのものだった。装っているという風すらもない。不敵な、敵意を込めた、決然とした強い意志に満ちた目つきで、敵を睨み付けていた。
「……殴り殺すのか」ルーアンが口を開いた。「見た所貴様は万全な状態に見える。対して私はそこそこに疲れてもいるし、体力も戻っていない。その上で問い掛けるが、貴様の先ほどの攻撃が、私に通じたと思うか?」
「……ッ!!」
挑発を受けたラヌラーヴァは拳を頭の横まで上げて殴りかかろうとした。すると、仲間の一人が急いでそれを止める。
「落ち着け……! 不用意に痛めつけて何かあれば面倒だ」
殴ろうとしていたラヌラーヴァが、後ろから止められたのを必死に振りほどこうとしたが、やがて諦めたように拳を下ろす。そして、身体を横に勢いよく振って、彼の肩に乗っていた同胞の手を払うと、ルーアンにその顔を近付ける。
「貴様の主もそろそろ我々の手に落ちる」ラヌラーヴァは言った。「場合によっては、貴様を処理することにもなる。少なくとも、今までの様な立場ではおられなくなることは覚悟しておけ、『マビキ』!」
『マビキ』という言葉を聞いた瞬間、ルーアンの顔に今まで見られなかった憤怒の表情が現れた。怒号した目を見開き、歯が強く噛み締められ、顔全体が一気に強張った。もし今、彼女が鎖で縛られていなければ、そのまま相手に噛み付かんばかり様子である
そんな彼女の変化に特に頓着する様子もなく、ラヌラーヴァは顔を彼女から離した。休憩時間が終わった旨が伝えられ、三匹はそのまま出ていこうとした。その際、まだ怒りが収まらぬ様子のラヌラーヴァが、自らの皿を掴んでルーアンの方に勢いよく投げつけた。
皿は彼女の顔の横の壁にぶつかり、地面に落ちた。壁には更に残った粥の一部が付着し、そのまま垂れ零れていく。
牢屋の中で一人になったルーアンもまた、怒りの表情で顔を強張らせたまま、彼らの立ち去った後を睨み付けていた。が、やがて糸が切れたように全身脱力し、項垂れた。その顔には、仄かな悲壮感があった。
「……皇王様……どうかご無事で……」
それは、蝋燭の火の様に小さな呟きであり、そして、風に吹かれたように消え去った。
作品の設定上、登場する人物の視点に合わせて、同じものでも表現の仕方を変えている場合があります。(例:コート→外套 ベッド→寝具)お付き合いいただければと思います。