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代死人の寺野くん  作者: 年越し蕎麦
season2
60/62

水曜日

 うちの子が心配してましたよ、という言葉から暗号は始まっていたように思う。

 俺は代死人である寺野のことを、まあ、今回のことで家族同然だと思い知ったが、いざ他人がその存在を身内のように口にしたら何か裏があるのかと疑ってしまう程度には、それがおかしいことだと分かっている。ましてや、相手はよく知らない人間だ、渡会さんがどんなひとかも分からないのに代殺人に対して「うちの子」呼ばわりしたのに違和感を覚えられないほど、俺の常識はまだ馬鹿になってない。“注目” あの言葉を端的に訳すと、つまりそういう意味になる。彼女は俺の意識を分かりやすく向けさせ、それから本題を切り出したのだ。


 そこからは、やたら俺の腕について口にしていたし、抱っこというカモフラージュを使ってはいたが明確に「手を貸してほしい」とも言っていた。それより前の段階で「私も旦那も小柄だから。あなたの腕力に首ったけなんですよ、あの子」と言っていたが、彼女に旦那はいない。なぜなら、代死人や代殺人の管理者は独身じゃないと原則なれないからだ。いよいよこの会話が表面上のものだけだと知らしめている。

 最初は、警戒されているのかと思った。二択のうちのひとつだ。

 俺の暴力性を危ぶみ、上から言われて調査しに来たのかと疑った。だからそのまま「警戒してませんかね」と訊ねた。まさか代殺人のお世話になるほど落ちぶれたとは思いたくなかったが、上が管理者に厳重な審査を下しているのは重々承知しているため、いくら治外法権と言えど今回山で暴れたのはさすがにマズかったと自覚していた。寺野は雪谷さんが、じゃあ俺は、と考えた結果の質問だったのだが、あっさり彼女はそれを否定した。「あなたの力加減は安心安全、落として殺しちゃうなんてことないでしょう?」俺に人身を害為す意思や思想がないことを明言し、そして「手を貸してください」と言ったのだから、これはもうそういうことだろう。仕事を手伝ってほしいということだ。

 

 問題は、なぜわざわざこんなまどろっこしい方法で伝えてきたかだ。


 シンプルに考えれば第三者に聞かれたくなかったからという理由が真っ先に浮かぶ。

 しかし病室は個室で、あの場には俺と渡会さん以外いなかった。

 彼女は誰を警戒して念入りに会話をしに来たのか? 詳しいことはすべて、近いうちに訪れるという代殺人のあの子が教えてくれるんだろう。直接伝えに来たということは、ほかの連絡手段も無意味に違いない。ならばと、渡会さんが訪れてからの数日間、俺は雑務もこなさずただ療養のみに時間を割くことにした。

 子どもひとり抱え上げるくらいなら訳無いが、それを守らなければならないとなると、何にせよ、体調はなるべく万全の方がいい。







 コンコン、と控えめなノックが二回鳴る。

 読んでいた新聞から顔を上げ、「どうぞ」と声をかけると「失礼します」と聞き慣れた声が返ってきた。

「三年二組の横田キヨ子です。紺野先生、いらっしゃいますか」

「いるよ」新聞を置く。少しばかり緊張し、手をぶつけた。「どうぞ入って」

 ドアが半分ほど開く。そこから顔をひょこりと覗かせた横田ちゃんの丸い瞳と目が合う。頬の傷痕はもう残っていない。

「こ、……こんにちは」

 そんな動揺して上擦った声をあげたかったのは俺の方だったが、なぜか彼女が狼狽えた挨拶を言いながら病室へとおずおず入ってきた。「紺野先生、だ、大丈夫なんですか。お兄ちゃ、あ、兄が。先生は大丈夫だって言うから私てっきり、まさかそんな車椅子なんて」

「落ち着いて。もりお……兄さんは嘘なんかついてないよ、俺は大丈夫。脚以外はほとんど治ってるから。そこに座って」椅子を勧め、ぎい、乗っていた車椅子を操作して彼女のもとまで向かう。

 二階から落ちぶつけた肩は痣こそあるがもう生活に支障はない。あの血液マニアの弟に深々と刺された注射器の痕も消えている。砂の兄に刺された方の脇腹は抜糸も済んでいる。だが無茶をした両足だけが、医者に言わせれば『本来なら自力で動けないほどぐちゃぐちゃ』らしい。『山の麓の病院(ここ)に運び込まれて幸運だね』俺の施術をし被験者呼ばわりしてくれた初老の医師は続けて言っていた。『特殊な怪我には、特殊な病院を。きみの回復力なら、ひょっとすると、本当にひと月程で退院してしまうかもしれない。でも、いいかい、きみは普通に生きているだけで力を出し過ぎてしまう。しばらくはこれで移動するように』と車椅子を勧められた。なるほどこれなら、移動はできるし、じっとしていられる。療養にぴったり、しかも俺の履いていた靴よりは弱いが、車椅子のハンドリムに抑制呪文が刻まれている。下手なことは、まあするつもりはないが滅多なことが起こらない限り俺は患者らしくいられるというわけだ。『ありがとうございます。これなら早く退院できそうですね、俺』『残念だよ。久しぶりに活きのいい患者だったのに……』あけすけな医師の物言いは、むしろ遠慮が無くて安心できる。

 そんな事情を何も知らない側から見れば、確かに俺は車椅子に乗った重傷者に見えるんだろう。椅子に腰かけた横田ちゃんの前で止まり、彼女をしかと見つめた。

「横田さん、ごめんね」

 謝られた彼女は、目をまん丸にして俺を見つめ返す。口を開かせる前に、続けて言った。

「今回のこと。とても怖い思いをさせてしまった。きみと、きみのお兄さんには謝っても謝りきれない。弟さんにも、不安な思いをさせただろう。本当に申しわけない」

 ずっと謝りたいと思っていた。

 動けるようになり、彼女の面会謝絶が解かれたあと、すぐに訪れるべきだとも考えていた。創一の話から、そんな様子じゃないことはもちろん分かっていたが、もし怯えられたり彼女の安寧を乱すような態度を取られたりしたらと想像すると、自分から行くべきではないと足踏みしていた。十八歳の子どもが、連れ去られて傷つけられた事態は重く、罪深い。たとえ直接的な原因じゃなくとも、それに関わった身としては慎重になるべき案件だ。

 俺の緊張した面持ちを見つめた彼女は、結んだ唇を湿らし、静かに問うた。

「……兄に、何か言われたんですか」

「いいや。これは俺の意思」

「じゃあ、紺野先生が謝ることなんてないです。誰も。悪いのは、……おめおめと連れ去られた私です」

「それは違う」思ったよりも低い声が出た。「誰がそんなことを?」

「紺野先生が謝るのは、こういうことですよ。紺野先生も、寺野くんも、お兄ちゃんも、悪くないのに」

 すん、彼女は鼻を啜る。「でも、紺野先生が何か罪悪感を抱いているっていうのなら、ひとつ、お願いを聞いてもらってもいいですか」

「うん」

「私、まだ、寺野くんとお友だちでいてもいいですか」

 肩まであった髪は耳の下で毛先も揃わず垂れていて、病衣から覗く腕や足には無数の包帯やガーゼが纏わりついている。そんな状態で、俺の無事を確認し、挙句に発した言葉は、どこまでも丸みを帯びていた。

「寺野くん、腕がなかった。血だらけで、声も弱々しくて、あんな。あんな目に遭ったのが、もし、私のせいだったらって。そしたらもう、私は寺野くんに近づきません」

「待って。待った。誰かがそう言ったのか? 今回のことで、きみに何か非があるって?」

「いいえ。これは私の意思です。私が、……本当に、囮役だったから、寺野くんがあんな大怪我したんじゃないかって、ずっと考えてました。自惚れにも、聞こえるかもしれないですけど……」

「自惚れていいよ。勘違いしないで欲しい、寺野はきみを大切な友人だと思ってる、ちゃんと。そこだけは正しく理解しといてくれ、ほかは不正解だ。寺野が怪我したのはきみのせいじゃない。あいつだってそう言うさ」

「……じゃあ、私のこれも、寺野くんと紺野先生のせいじゃないですよね」

「きみが俺に言わせたい言葉は分かった」そんな場面じゃないのに、つい笑ってしまう。なんて優しく、強情な子だ。創一そっくりだ。「けど俺は、大人として、あいつの管理者として自分たちの不祥事を許すつもりも、開き直るつもりもないんだよ。ただ今後、何事に対しても、一般人を巻き込まないよう努力や対策をしていかなくちゃならない」

「……じゃあ、」

 やっぱりもう、友だちはだめってことですか、横田ちゃんが眉を下げて言った。

 俺は眉と一緒に下がってしまった視線を再び上げるよう、「だからさ、」と意識するまでもなく穏やかな声を零していた。

「寺野に聞いてみてよ。保護者としては、きみらに危害がある時は何が何でも口出すよ。けど、そうじゃないのなら、友だち同士、ちゃんと話をするべきだ。大丈夫。寺野が何か悪いことしたら、俺が殴ってでも叱るから。それが俺の役割。どう、納得できそう?」

 横田ちゃんはぽかんと目と口を開けていたが、たちまち嬉しそうに顔を染めあげると、手の甲で頬をぐいぐい拭い、元気よく頷いた。

 内心、ほっと息を吐く。

 横田ちゃんの要らぬ憂いはきっと拭えた。創一は、俺が寺野の面倒を見とく限りはぶつくさ言いながらも妹をちゃんと守るだろう、大丈夫だ。

 あとは寺野、あいつの問題だ。この子とうまく話せるといいんだが。

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