いいやつの後藤くん
「お前が最近俺に構ってるのって、俺がこいつを使いたがってるのが原因なんだろ?」
と隣のクラスの後藤が言うので、僕はあっさり頷いた。
そして得意顔して両腕広げて静止してやる。
「オーケー、的ってこんな感じ?」
静止した僕が口だけ動かして言うと、後藤はきょとんとしたのち、勝手に話進めんなよな、と笑って弓を壁に立てかけた。
僕はここ数日、隣のクラスの弓道部部長、後藤和彦と親睦を深めていた。
と簡潔に言ったはいいものの、実は人との適切な親睦の深め方をあまり理解できていない僕は、その前に先生に教えを乞うて「お前はとにかくそのなんでもすぐ心情をぶちまけるでかい口を制御することを覚えろ」と賜った有り難いアドバイスをもとに、彼が教室で友人らと昼食を取っている時「や、後藤くん、初めまして」と礼儀正しく関係を始めたという経緯があるのだが、これがすごくまずかった。十中八九先生が悪い、と僕は思っている。言いたいことを直球で言う僕はこの「初めまして」のあとすぐに要件を告げようとしたのだが、さすがに直球が今回の問題に対して良くないと思って求めたアドバイスだったので、一旦口を閉じて、それからアドバイス通りにええと、と心情を崩し崩し、言った。「あのー、……後藤くんに、ええと、すごく、大事な話が……あるんだけど」彼の周囲の生徒たちが一斉にこっちを向いたのを感じつつ、いつもより口をゆっくり動かすのを心がける。「あのさ、あー、つまり、ええと」すぐ言いたいことの、最も遠い位置にある言葉を選んで言った。「二人きりで話したいんだけど、放課後空いてる?」ざわつく教室。周りに囃し立てられる後藤くん。あ、これ言葉選び間違ったなと気づいた。ひとりの健全な十八歳が、代死人に良からぬ情を持たれているという噂が広まるかもしれない。ごめんよ後藤くん。そしてもしそうなったら責めるのは先生にしてくれよな。僕がそう考え、代死人て恋愛できんの? とあちこちで興味本位が飛び交い出したころ、顔を笑みにした後藤が僕に右手を差し出してきた。「友だちからよろしく」……ははあ、なるほど。僕はその手を取って、よろしくと返したのである。
その日の放課後は二人きりで話したい話をできなかった。なぜなら彼の部活が休みだったので、駐輪場で適当に会話して終わってしまった。
それから数日、まあすれ違う廊下で挨拶したり放課後の部活を見学しに行ったりと、彼のタイミングを慮って、僕らは親睦を深めていったというわけだ。
そしてついに今日。
放課後、部活時間も終了しひとりで自主練している弓道部部長と、話したかった話をできる状況に、ようやく相成った。
「でもひとつ訂正させてくれよ」腕を下ろして僕は言う。「別にきみに構いたくて構ってたんじゃないぜ。友だちからって言われたから」
「代死人て案外、優しいんだな」後藤が言った。
「よせやい。え、なんで?」
「だって、あのままクラスで言わなかったじゃないか」
蛍光灯明るい道場内、矢道に背を向けて正座した後藤が、右手の弽、紫色の帯を解きながら、入口に立つ僕へと目を向ける。
眼鏡の彼と視線が合った僕は、意外に思って、言ってよかったの? と訊いた。
「あのまま、『きみが軽い殺人衝動を抱えていることを知ってる。僕で鬱憤晴らすかい?』って言って良かったなら、きみが代死人と仲良くなりたいっていう特殊性癖の疑惑をかけられずに済んだのに。そうならそういう笑い方してくれよ。ちくしょう早とちった」
「……そんで案外、代死人て、面白いよな」いやこれは寺野が面白いだけなのかな、外した弽を袋に仕舞いながら後藤が笑った。「言わなくて良かったよ。特殊性癖どころか、犯罪者予備軍扱いされるとこだったし」わりと諦めたような笑みだった。
「後藤は弓矢を使って人を殺したいんだね」
「ド直球だなー」
「僕の長所で短所さ」でもごめん、僕は謝って眉を下げた。「大事な話をしよう。きみの将来に関わることだ」
「教師みたいなこと言うね」
「紺野先生ならもっとひどい言い方するよ。でだ、後藤」
僕はスニーカーを脱いで、彼の傍に正座する。
「僕は死にたいやつの代わりに死ぬことができるし、それが仕事だ。人生ともいう」
「ああ、うん。我が片墨高校の代死人、寺野だな、お前は」
「そう、代死人の寺野だ。だから、代わりに殺されてやることが、できない」
「……ん、」後藤は眉根を寄せる。「どういうこと?」
代死人は、自殺願望を持つ者の、その死にたい思いを吸い取って代わりに死ぬ。
制約と倫理と法律と憲法、研究心、努力その他もろもろ、混ぜ合わせて煮詰めて抽出して人間の型に流し込んだらできあがる、そんなくそったれな人間もどき。
人間もどき、だから、人間とは異なる点がたくさんある。
型番も、たくさんあるわけだ。
「……つまり、僕は自殺特化の代死人だから、殺意を吸い取る力がないんだ」
もう一度、ごめんね、と謝った。「だから僕を殺しても、きみはまともにならない。かもしれない。分からない。スッキリはするかも。もしくは初めて人を射殺した感覚に怖気づくか興奮するか、エトセトラ。ひょっとすると殺意を失う場合もある」
でもそれを試して、どうにもならなくなった場合、きみの健全な将来を今度こそ歪ませてしまうかもしれない。つけ加えると、後藤はまた眼鏡の奥の目をきょとんとしたのち、だからさと笑った。「勝手に話、進めんなって」……別に俺、と続ける。
「本気で誰か殺したいわけじゃないよ。そーいうの、お前が一番、感じ取れるもんだと、思ってたんだけど」
「言ったろ? 『軽い』殺人衝動だって」うんと頷いて見せる。「分かってるさ。念のためだよ。この数日観察してきたけど、きみは吸い取れるほどの殺意を持ってない。こんなことを宣う僕と接しても、急な衝動がなく、なだらかだ。さすが部長」
この数日だけでもよく分かる。後藤はいいやつだ。
「ちょっとした殺意なんてものは、案外誰でも抱えてるもんだからね。おかしなことじゃないよ」
僕の言葉に、後藤はほっと息を吐いた。
いいやつってのは、大概、誰かが傷つくのを恐れる節がある。
この場合、もしかしたら、おかしなことではないと言われたことが、一番安心に繋がっているのかもしれなかった。いいやつの後藤は、学校だけでなく、家でもいいやつであるらしいから。
「そーいうわけだから、まあ」僕は痺れてきた足で胡坐をかいて言う。「様子見だよ。在学中、本気で誰かを殺したくなったら、いつでも相談してくれ。ちゃんと適切な対応をするから。先生が」
「紺野先生か。分かった。相談相手がいるのは有り難い」
ずっと正座をしていた後藤は、危うげもなく立ち上がり、道場内の片づけのためまず矢道に繋がるシャッターを下ろしに行こうとして、ふと思いついたように振り返った。不思議そうな顔で、寺野、と呼ぶ。
「じゃあお前、なんで的の真似事したがったの」
僕はサムズアップして答えた。
「そりゃー後藤、僕が死にたいからに決まってる」
そして大概、いいやつというのは利用されるのが落ちなのだ。