紺野先生は休みない
「え、でも。私もう元気です」
「うん。だから、念のためだよ。傷口から感染症にかかる可能性もある。風邪ひとつ引いても、いまのきみにはかなりしんどくなっちゃうからね。もう少し傷が塞がるまで、様子を見ます。お兄さんにも言っておくからね」
「そんなあ」
思い切り、眉を下げる。てっきり、今週中には退院できると思っていたし、ガーゼや包帯を変えてくれる看護師さんたちも、もーすぐ退院ね、って言ってくれていたから信じて疑っていなかった。担当医である溝上先生の言葉に分かりやすく落ち込み、「いつ退院できますか?」とつい恨みがましく訊いてしまう。
柔和な表情のおじいちゃん先生は、やっぱり優しい顔のまま「来週か、経過観察によっては再来週かな」とひどいことを言った。再来週! そんなに長い間、もう大して熱も出ない体で養生するには、あんまりにもつまらなすぎる。私のショックを受けた表情はさぞ分かりやすかったんだろう、溝上先生は「お友だち、呼んでもいいから」と笑って続けた。
「様子を見て、少しずつね。親族以外でも大丈夫」
それを聞いた私の顔が自分でも分かるくらい、ぱっと綻んだ。やった。嬉しい。なっちゃん、来てくれるかな。後藤くんにも連絡しよう。色々話したいことがあって、聞きたいこともあって、そして──相談したいこともあるんだ。
※
コンコン、と夕暮れ時にノックが二回。
診察の時間はとっくに終わっている。もしやまたか、と連日相談に来ては「だから悪いけどそれは相談相手を間違えてるって。俺は、代死人の、保護者だぞ。お前にとっちゃ敵みてーなもんだろ」と寺野と妹の交友関係を不安視している創一を追い返しているのに、あいつったらなかなか懲りていないらしい。(ちなみに「アンタは敵じゃない!」とドデカい声で叫ばれたのでこの断り文句は一度しか言えてないが)しかし毎回律儀にノックしてくるのが何というかこう、面倒でお利口な後輩だなと思いはする。
「はい」
一応返事をし、入室を促す。スライドドアを開けたのは、予想に反して、全くの別人だった。
「お久しぶりです、紺野さん。私のこと覚えてます?」
まるで少年のような声だ。刈り上げているせいで俺より短い襟足に、縁の丸い眼鏡をかけた小柄な女性がドアから顔を出す。確かにお久しぶり過ぎて咄嗟に言葉に詰まってしまった。
「渡会さん」出てきた呼び名も、普段口にしない分違和感がある。だが、合っているはずだ。「どうしてここに?」
彼女は代殺人・音羽の管理者である。
しばらく前、ショッピングモールで俺と寺野が代殺人の仕事を邪魔してしまったのを切っ掛けに、後日、謝罪と挨拶を交わした程度の交流がある。しかしその一度きりだ。同じ片墨町エリアで仕事をしているとは言え、俺たちが片墨高校の常勤なら、彼女たちは町のパトロールが主だとのちに説明を受けた。日常で会うことはまずない。
つまり、ただお見舞いに来ただけの可能性というのは極めて低い。
「まず容態を確認させてくださいよ。そばに座ってもいいですか?」
「はあ、まあ。どうぞ」
ベッド脇の椅子を勧めると、彼女は丁寧に礼を言い狭い個室内を進んだ。そばに代殺人のあの子はいない。殺人衝動を受け止める人造人間は、代死人と違い、病院に入ることができる。あの子がいないのは休日なのか、それとも。
椅子に座ると、彼女は「聞きましたよ、山で暴れたんでしょう?」と興味津々に眼鏡の奥の瞳を瞬かせた。
山での出来事は、わざわざ報告書にして別に提出しなければならないが、既に全ての出来事は寺野の脳を介して機関に周知されている。また数式瓦解者に攫われたこと、腕と目を持っていかれたこと、そして、あの寺野が怒りを露わにしたこと──俺ですらその姿は見ていないのに、研究者たちはあいつのバイタルを遡って全てを知り尽くす気でいるはずだ。気が滅入る。数値ばかり見てあいつと言葉も交わさないやつらより、まだ俺の方があいつのこと知ってるわ──代殺人の管理者である渡会さんに「山で暴れた」という噂が入る程度には、この事態は決して上に甘く見られていないということだろう。これはほぼ確定だ。だって俺の代わりの管理者の名前を聞いたときから、さすがにマズいとは思っている。
雪谷さんがあいつの面倒を見るということは、そういうことだからだ。
「大したことは。そんなに暴れてないですよ」
「こんなに怪我してるのに?」
「こんな怪我で済んでるんで」
「うちの子が心配してましたよ」
俺は彼女の目を見た。
彼女も俺の目を真っ直ぐ見つめていて、そしてそのまま続けた。「今度、連れてきますね。あの子ったら紺野さんにまた抱っこしてほしいって。全く困ったもんですよ」ひとの好さそうな顔の、整った眉を八の字に寄せる。「私も旦那も小柄だから。あなたの腕力に首ったけなんですよ、あの子。怪我してるから無理だとは言ったんですけど、でも、会うだけ会ってやってほしくて」
「あー……」
言葉の裏の真意には、二つ、考えられるものがある。
どちらかは分からない。確かめる必要がある。
「俺のこと、警戒してませんかね。何せ久しぶりに会うし。抱っこなんかして、大丈夫かな」
眉を下げて言うと、渡会さんは反対に明るく眉を跳ね上げて見せた。
「そんな、大丈夫ですよ。ちゃんと分かってますから。あなたの力加減は安心安全、落として殺しちゃうなんてことないでしょう? 頼りにしてるんです」
ね、お願いです、と彼女は胸の前で手を組み合わせた。「ちょっとだけでいいんです、手を貸してください。抱っこが無理なら無理で、会うだけでも。あなたのことが心配で、あの子、泣いちゃうかも」
内心、顔をしかめてしまう。
そっちか。二通りあった真意の、片方にしぼれた。こっちで良かったと思うべきか、そう思うにはまだ判断が早いか、とりあえずは。大人しく暇な治療に専念せずに済みそうだ。
俺は「分かりました」と自分でも胡散くさいと感じる笑顔で頷き、「いつごろ来ます? 会う日までには肩、治ってるといいんだけど」と包帯だらけの上半身を捻って見せた。うん、動く。これなら。
代殺人の仕事に手を貸すことくらいは、できるだろう。
【横田 キヨ子】よこだ きよこ
分類:人間 (イノセント)
職業:高校三年生
特性:苗字を「よこた」と読まれても特に訂正しない
苦手:暴力
血液型:O型
運勢:むかしから厄介な人間に好かれがち
恋愛観:恋愛ってどんなのだろう? 不思議だな
横田家三兄妹の長女にして次女。まるい瞳と短い前髪、肩までの毛先の跳ねた髪だった。身長は150センチあるかないかくらい。毎日ちゃんとご飯を食べているのでとても健康的で、学業とバイトに追われてはいるが、それを苦労と思わない頑張り屋。現在の家族構成は兄と弟。三人仲良く暮らしており、よく三人で色んな映画を観る。
勢いのあるネガティブ気質のため、覚悟さえ決めてしまえばどんな自己犠牲も厭わない面を持つ。




