昼休み、屋上前の階段踊り場にて
チャイムが鳴り終わる。
昼休みの喧騒が廊下まで広がったところで、その廊下から「後藤」と呼ぶ声があった。目を向けると「代死人が呼んでる」とクラスメイトが気味悪そうにその代死人から距離をとって彼を指差している。指差されている代死人はそんなこと気にも留めずつり目を弧にして佇んでいた。
代死人から呼び出し。たとえ友人と言えどもただのお喋りをしに来たとは思えない。
「わり。ちょっと行ってくる」
一緒に昼飯を食おうとしていた周りに言って席を立つと、隣や後ろだけじゃなくほぼクラスの全員から「まだ友だちやってんの」と言葉と視線で呆れられたので端的に「そうだよ」と笑って返した。誰かが漏らした「後藤ってほんといいやつな」を背にして寺野のもとへと向かう。目の前まで来ると、黙っていた彼は「あー、」と言葉を選ぶ素振りをし、「話したいんだけど。ええと、できれば二人きりで」とこれまた誤解されそうなことを言った。
たぶんクラスでの立場がある俺を慮っての発言だろうが、それにしたって下手くそすぎる。見下ろしたせいで僅かにずり下がった眼鏡を人差し指の背で直しながら、「そういう時はさ、“昼飯一緒に食おう”でいいんだよ」笑って言うと、寺野はなるほどと言わんばかりに目を瞬かせた。相変わらず面白いやつだと思う。
「寺野は弁当? ちょっと待っててよ、弁当取ってくるからさ。どこで食おっか」
「──でさ。結局濡れた服のまま帰ってきたんだ。後藤ってすげーよな。あんなとこに住んでるんだから」
「まあ……」
箸を進める手が止まる。
積み上げられた机と椅子で封鎖されている屋上扉前の踊り場に、まるでぴったりの内緒話だ。けれど人造人間の友人の口から語られた内容に対して、ほんの少しでも生身の人間に対するような同情を抱いた方がいいのかもしれないとは、いくらいいやつと評されがちな俺でも到底思えなかった。
寺野が何を思って休日での山の出来事を俺に報告しに来てくれたのかは、だってたぶん俺がそういうやつだと知っての上でのことだろうから、同情なんか望んでいないに決まっている。とりあえず真っ先に出た感想は「山って変なヤツしか住んでないからさ。何事もなくお前と再会できてラッキーだわ、俺」と友人の一人を山で失くさなかった幸運を有り難がることしかない。「ヤクザかホームレスか、犯罪者か変人か。山の住人は大半がそこらで、あとは観光客じゃない。無事でよかったよ、ほんとに」
「後藤一家は?」
「そんなニヤケ面で訊くなよな。自然愛好家ってカテゴリ忘れてた。ほらこれ、うちの畑で採れたシシトウ。やろうか?」
「さっきから気になってたけど、それデカくないか? シシトウって辛いの?」
「ロシアンルーレットと思ってくれれば」
「僕は危険な賭けはしない主義なんだ。せっかくのご厚意、無碍にしてしまって悪いね」
真面目な顔つきで首を横に振った寺野は、自分の弁当箱から玉子焼きを箸でつまんで食べている。辛いのは苦手らしい。きっとその玉子焼きも甘いんだろう。
俺は弁当に丸々突っ込まれているシシトウを齧った。青臭い味を塩だけでカバーしている。まさに“自然愛好家”。
「その玉子焼き、紺野先生が作ったん?」
「そーだよ。食べる?」
「俺あまいの苦手」
「マジか。舌を取り換えられたら良かったのにな」
「紺野先生ってさ、」水筒から茶を飲む。この麦茶に使っている水はもちろん山水で、山で一番美味しいものだ。「何者?」端的に問い、隣を見ると、寺野は玉子焼きを飲み込んでから俺の方を見た。
「僕の管理者」
「管理者ってみんなそうなのか? 山の……」言葉を切る。適切な言葉が見つからず、結局最初に思い浮かんだことをそのまま言った。「山の化け物を蹴倒せる? 魔物でも、妖怪でもいいけど」
「やっぱりあれってそういう類?」
「わりと有名かな、橙ノ山の住人にとっちゃ。昔あの辺りに沼地があって……っていう話は図書館にでも行けばすぐ分かるよ。けど、化け物をたかだか蹴り技一発でのせた男の話なんて、聞いたことない。あのひとって人間だよな? ちょっと完璧超人すぎて、たとえばめっちゃ性癖が歪んでるとかじゃないと整合性が取れないっていうか。カッコ良すぎて、逆に気味悪いっていうか」
「なるほどな」寺野はまたニヤリと笑った。「たとえば、“いいやつ”の後藤にサディスティックな面があるように、先生にも何か後ろ暗いことがあるはずってわけだ。僕の管理者やっていること以外の、もっとうんと秘匿性の高いやつ」
「けど代死人の管理者って職業だろ、何の欠点でもない。ほかに何かないの?」
本気であのミステリアス保険医の秘密を探ろうってわけじゃなく、ただ少しの興味本位で訊いてみれば、寺野のニヤケ面が益々深まった。あれに似ている。深夜によくやっている海外アニメのマスコットみたいな笑い方だ。大抵、ろくでもないことを言うキャラクター。
「後藤、きみってやつぁ本当にいいやつだな。ぜひ聞いてくれ! 先生の格好良くて格好悪いところをさ」
「……あと十五分で済む話なら」
やられた。
ただノロケを喋りたいがために呼ばれたんだ。
代死人て案外、俺たちが想像するよりずっと人間ぽく生きている。




