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代死人の寺野くん  作者: 年越し蕎麦
season1
32/62

日曜日のご家庭

 学校が明日から三日間休校になった。

 神ですらすべてを創造するのに六日かけて一日休んだのだから人間の警察がたったの三日で極悪人を捕まえられるはずがない。これ以上自体が悪くならないための単なる時間稼ぎのように思える。


「結局囮と変わらないじゃないか。私服警官が見張ってるんだろ、横田ちゃんのこと」


 もぐり、納豆を乗せた白米に食いつく。

 あおさも混ぜたので倍美味しい。

 もぐもぐと朝食兼昼食を咀嚼する僕の前で――昨日の残りの米が一人分しか余っておらず、食パンか米のどっちがいいか訊かれたので僕は米と答えた。テーブルに並べられたおかずは昨夜の残りの味噌汁と菜っ葉のおひたしと豚の角煮。ぜんぶめちゃくちゃ美味しい――対して先生は納豆トーストを齧って飲み込んだ。

 納豆は米にもパンにもカレーにも合う。ちなみに先生が食べている納豆トーストと目玉焼きとベーコンはれっきとした昼食だ。つまり僕は休みの日曜日らしくお昼の時間帯に起き出してきたというわけである。

 ごくん。


「警察のことは俺たちには分かんねーだろ」

「そうだけど。でもやってることは囮じゃないか? 横田ちゃんは囮にはなれないだろ。すぐ死んじゃうんだから」

「お前が友だちのことを物凄く心配してるのは分かってる。そうだな?」

「心配? そうだよ」粘々する口の中を飲み込み、味噌汁を手に持って、そうなんだよ、先生はちゃんと分かってくれているのにもっと分かってほしくて力強く頷いた。「僕は彼女が心配だ。今度あんなやつと出くわしたら頬の怪我だけじゃ済まないかもしれない。だって別に心臓や頭を刺さなくったって死ぬんだ、簡単にね。どうしようってなるだろ、ウワーッてなる。なってる」

「でも俺たちにはどうしようもない」

「それも分かってる」

 味噌汁を飲む。飲んでから、すぐ言った。「どうしようもないときって、どうすればいいんだ? どうにかしたいのに、どうにもできない。ただ口だけ動かしてどうしようって言ってるしかないのか?」

 僕のひとりごとのような問いかけに、紺野先生はまたトーストを齧った。

 齧ったというより、食いついたというか、わずか三口で食べきると残りの味噌汁も飲んだ。珍しいことだ。先生の一口はそりゃ大きいがいつもはもっと丁寧に食べる。

「寺野。俺たちの仕事は何だ?」

「僕の仕事は死にたいひとの代わりに死ぬこと。先生はその管理」

「そうだな」

「分かってるよ。領域外のことに首突っ込むなってことは。でも」

「今日の曜日は?」

「なに? みんなの日曜日」

「つまり休みだ。お前は日曜日の子どもらしく保護者を振り回す自由がある」

「え?」

 お互いの言語は一致しているのに僕は本気で何を言われたか分からずフリーズした。そんな僕を見て先生が仕方なさそうに片眉を上げて見せる。

「どこに行きたい? 好きなとこ連れてってやる。お前が子どもらしくいられるんなら」

 僕はようやくピンときた。口の端が上がる。いや、この表情はたぶん子どもらしくない。

 いままで見聞きしてきたあらゆる“子供らしさ”を総動員させて無邪気にご飯を掻き込むと飲み込むのも待たずに「山に行きたい(やふぁにひひはい)」と言ってやった。

 そしたら先生は「飲み込んでから喋れ」と返した。

 まるであらゆる“子供らしさ”と同等の価値がある“大人らしさ”だ。







 日曜日の横田家の朝は遅い。


 長男にして家主である創一さんの唯一の完全休なのでなるべく生活音で睡眠の邪魔をしないよう、大抵の活動は昼からと決めている。

 末っ子の良ちゃんは朝早く起きてくるけれど小学二年生にして物静かな性格なので騒々しさとは縁遠いし、私もバイトがなければお昼前くらいまで寝ているからこの家の午前中は本当に静かだ。

 

「しまった」

 

 そんな静かな空間で、静かにひとりごちる。眺めていた冷蔵庫の扉を閉め、うーんと唸った。

 買い物に行かなければならない。それも、三日分。明日から三日間学校が休み、しかもただの休みではなく生徒は一人で出歩いてはいけない不自由な休日だ。原因が私なのは分かっている。買い物は一気に済ませた方がいいだろうし、この三日間せめてちゃんと家にいないと兄に心労をかけることだろう。あんまり心配ばかりかけたくない。

「キヨ姉、何がしまったなの」

 ひとりごとを聞かれていたらしく、リビングのこたつテーブルで集中してお絵描きをしていた良ちゃんが顔をこっちに向けて声をかけてくれた。長いまつ毛が糸目に沿って束になっている。その下、まろい頬に鉛筆の汚れがついていた。

「良ちゃん、ここ汚れてるよ」

 自分の頬を示して教えるとお絵描き好きの男の子は「よごれてもやめらんないんだ」と真っ黒になった右手も見せてくれた。「だいじょうぶ、僕と紙しかよごさないよ」あと消しゴム。そう楽しそうに言ってお絵描きの世界に戻りかけたが、すぐ思い出したように何か失敗したの? と訊かれた。うん、失敗だわ。

「買い物に行かなきゃならないんだけどね」

「うん」

「今日のお昼の分から、三日間の食料品とか、あと確かトイペと洗剤も必要でね」

「うん」

「自転車を駆使すれば一人でも行けると思うんだけど、」

「ひとりで出かけちゃだめなんでしょ?」

「そうなの。昨日学校帰りに買ってこれば良かったな……だから、しまったなあって」

「なんで? 兄ちゃんとなら出かけてもいいんでしょ? もーすぐ起きてくるよ」

「……昨日お兄ちゃん、何時に帰ってきたか分かる?」

 良ちゃんは首を傾げた。傾げたまま横に振る。

 二人の寝室は一緒だ、良ちゃんが寝る夜九時に創一さんは帰って来ていなかったし、私が寝た夜十一時半にも玄関のドアは開いた様子がなかった。あと、お風呂に入った形跡もなかった。夜中のシャワーの音はこのアパートじゃ結構響く。「たぶん、だいぶ遅い時間に帰って来たんだと思うの。起こすの悪いし。お腹空いたよね? 何食べたい?」

「朝パン食べたから、麺がいい」

「よし、冷やし中華にしよう」

「マヨかける?」

「マヨかける」

 やった、良ちゃんが糸目をふわりと綻ばせた。

 よし、私は心の中でもう一度言い、ちらりと寝室に繋がる襖を見やった。ごめん創一さん、でもスーパーはすぐそこだから、サッと買ってサッと帰って来るので、安心してゆっくり寝てて。

 決心したそばから買い物用の大型リュックにエコバッグ三つと財布と携帯を入れて背負う。あ、と思ってサイドポケットに防犯ブザーと催涙スプレーを忍ばせた。

 僕も行くよと心配して着いて来たそうだった良ちゃんを宥め(私より弱い存在がそばにいる方が心配だ)、リビングを出て短い廊下を進み、玄関のドアノブに手をかけ少し開けたところで、そのドアが勢いよく背後から伸びた手によって閉められた。ガンッ! 苦情待ったなしの音が鳴る。


「びっ」くりした、をほとんど言うことができないほどびっくりした。


 慄きながら振り返ると、寝起きで三倍は目つきが悪くなっている創一さんがいまから熊でも殺しに行くような気迫で私を見下ろしていた。彼の後ろ、廊下の先で良ちゃんが両手を合わせてごめんのポーズを決めてから部屋に戻って行く。良ちゃんが起こしたらしい。この兄弟、行動に遠慮がないところがすごくよく似ている。くそう。

 とにかく怖い以外の感想はないけど、寝起きはいつもこうだし、バレたからには悪いことをしている自覚があったので素直に「ご、ごめんなさい」と即座に謝った。「ご飯買いに行こうと思って」

「だったら起こせ、」創一さんは掠れた声を空咳で調整して言った。「……起こせよ、僕を。買い物でも何でも付き合ってやるから」

「昨日帰ってきたの何時だったの」

「何時でもいいよ、変に遠慮すんなってずっと言ってるだろ」

「遠慮じゃないよ、心配なんだよ」

「いま誰が一番心配されてると思ってんだ」

「創一さんだよ。いま創一さんが私を心配するより最近私が創一さんにしてる心配の方が大きいわ絶対」

「俺の心配と張り合うな、きみは絶対勝てねェんだから」

「だからって負けてない」

 鋭い目つきの、その下瞼を伸ばした手の指先で擦ってやる。

 喧嘩っ早いこのひとは、もしかしたら何か害を加えられると思って身構えたかもしれない。けど私はただ「隈すごいよ」と事実を述べた。皮膚も冷たくカサカサだ。「最近残業続きだったでしょ。昨日何時に帰ってきたの」

 

 創一さんは私と睨み合ったのち、覆いかぶさるのをやめて、ドアから手を離した。

 質問には答えずに、三日間の休みもぎ取ったから、と脈絡なく言った。

「え?」

「明日からの三日間。僕も、良二も休みなんだよ。良二の学校にも言ってある。だから勝手にどっか行くな。僕が一緒に出掛けたい。……準備するから待ってろよ」

 

 くるりと背中を向け、あくび混じりにリビングに戻って行く。

 奥からお休みを告げられた良ちゃんののんびりした「やった、映画借りに行こうよ」というはしゃいだ声が聞こえてきた。まるでどこかの平和な日曜日みたいに。

 それからじわっと自体を把握する。

 三日間、学校も仕事も、バイトも休み。

 家で三人で好きに過ごせる。

「……やった」

 この喜び方は何となく良ちゃんに似ていた。案外ちゃんと家族なんだ、私たちは。

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