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代死人の寺野くん  作者: 年越し蕎麦
season1
31/62

幕間・これがほんとの日常回ってね

時系列的には「ソーイチくんとヨースケさん」の後。

 お互い家に子どもが待っている身のため二十一時には森岡――創一と駅前で別れ帰路に着いた。

 二時間ほどしか居酒屋にいなかったはずだが本当に久々に会ったせいで結構なペースで飲んでいたらしい、部屋に辿り着き靴紐を解こうとしゃがんだ途端ふらついた。

 ここまで酔うのは珍しく、しかし体調的には少し眠気があるだけなので、今日はこのまま心地よい気分で風呂も入らず寝てもいいかもなとぼんやり思う。夕食は作ってあったから寺野もとっくに平らげて寝ているだろうし、優先順位の高い仕事や作業は飲みに行く前に終わらせたから、特に注意すべきこともない。ああ、いや、寝る前に冷蔵庫にケーキ突っ込まないと……。

 靴を脱ぎ、壁に手をついて立ち上がったところで廊下の先に灯りが点いた。廊下とリビングを隔てる扉を開けてこちらを窺ったのは寝ているだろうと予想していた寺野だった。

「先生?」

 出会ったばかりのころに選ばせて買った黒地に茶碗と醤油さし模様の(「これ着たら朝起きれるかもしれない」「和食派か? 苦手な食い物とかある?」「えっ? ……知らない」と戸惑ったふうに返事した約二年前の寺野はまだ可愛げがあった気もする)パジャマ姿でぺたぺた近寄ってくる。

「悪い。起こしたか」

「いや、まだ寝てなかった。おかえり」

「ただいま。手貸して」

「そんなに酔っぱらってるのか? いつもより垂れ目が眠そうなくらいしか見た目には変化な――」素直に俺へと差し伸べてきた手に白い箱を乗せる。寺野の視線がそれにつられて下がる。「――なにこれ」

「お土産。創一と駅前ンとこで買ったからやる」

「ケーキ?」

「ケーキ。振るなよ。いま食べないなら冷蔵庫入れときな」

 寺野は口端をニンマリ上げたかと思えばそれをすぐに下げきった。「だめだ。もう歯磨きしちゃった。明日食べる。何ケーキ? 待って言わなくていいよ、明日の朝の楽しみにする」

 そう言って慎重にリビングへと踵を返し、途中でぴたりと振り返って「先生ありがとう! お湯張りっぱだからいつでも入れるぜ!」と声を上げリビングに戻った。


 二時間だけじゃ十年以上かけて積もった思い出のひとかけらも話せやしなかったが、酒を飲みながら、家で自分の帰りを素直に待っててくれる存在がいるってのは本当に有難いよな、とか、なんだかそんな内容で会話が帰結したつい半時間前を思い出す。ああ、うん、そうだな。

 心の中ではいつだって曖昧だ。

 寺野をそんな存在として扱っていいのか、良くはないに決まってる、けどただの仕事道具のように接することがもう無理なことは、そんなことはとっくの昔から分かっていることだ。

 俺は自殺する人間が好きじゃない。

 だから代死人という生き物が造られ世に浸透したとき、絶対に赦すものかと思った。憎しみにも近かったかもしれない。


「……風呂入るか」

 それが今やその人造人間と一緒の家で暮らして一緒に飯食って何度も何度も死に様を確認してるんだ、全く子どものころ大人がよく言っていた通り、人生何があるか分からない。






「まだ起きてんのか。早く寝ろよ」

 風呂から上がっても寺野は何をするでもなくリビングの椅子に座りじっとしていた。

 タオルで頭を乱雑に拭きながら冷蔵庫を開け、上段に収まっているケーキの箱を認めつつ脇から水を取り出す。コップに注いで飲み干したあと、背中に刺さる視線に向き合った。

「歯磨きなんてまたしたらいいだろ、紅茶淹れるか?」

 寺野は俺の目と言葉を受けて首を傾けたあと、「違う、そうじゃない」と傾けた首をもとに戻して言った。

「僕べつにケーキ食べたくて待ってたんじゃないよ。先生食べないし。誘惑するなよ、食べるのは明日って決めたんだ」

「そうか? そうか。じゃあ何待ってたんだ」

「先生」

「何だ?」

「お酒って言語中枢鈍くするんだっけ? 先生だよ。僕は先生を待ってたんだけど」

 俺は眉をひそめ、もう一度水を飲み、ペットボトルを冷蔵庫に仕舞う。「何かあったのか」

 こいつを家でひとりで留守番させたことは何度かある。何かが起こったのは最初のうちだけで(たとえば卵がレンジで爆発していたりウィンナーと一緒に寺野の人差し指が切り落とされていたり、米が食器用洗剤で洗われていたこともあった)最近は食器と手を洗うとき以外炊事場に触るなと口酸っぱく説き伏せてきた甲斐あって留守中に家の中で惨状が広がることもなくなっていた。ぱっと見、台所に異変はないし風呂場も普通だった。となると代死関連か。またこのアパートで時間外労働の予兆でもあったのかもしれない。眠気が飛んでいく。

「何もないけどさ」

 としかし寺野は答えたきり口を閉ざした。

 今度は俺が首を傾ける番だった。

 代死人が何もないと言えば何もないんだろうが、ほかに何かはあるような態度だ。この言い淀み方はひとの生死に関わること以外に違いなく、そして飯関連でもない。面白いな、と思った。こんな寺野は滅多にない。

 冷蔵庫を再び開け牛乳を取り出し、寺野専用の青いマグカップに注いでレンチンする。温まったら蜂蜜とスプーンを突っ込んで寺野の前に出した。自分はまた水を手に取ってテレビ前のソファに座る。背もたれにもたれると、飛んでいた眠気が戻ってくるようだった。

 後ろの寺野がありがとう、いただきますと言ってホットミルクを飲んでいる気配がする。

「……何か報告したいなら、早めに言えよ。じゃねーと俺はもうすぐ寝ちまうぞ」

「報告か」

「違うのか?」

「あのさ。横田ちゃん兄とも報告し合ったの?」

「あ?」

 本当に酒で言語中枢がやられているのかもしれない。寺野の言っていることがあまりよく理解できない。

「森岡と、何だって? 報告? まあ、近況報告はしたけど」

 っつーかそのために会いに行ったのは、出かける前にちゃんと言ったはずなんだが。

「楽しかった?」

「楽しかったよ」

「ふーん」

 俺は一体この会話に何の意味があってどういう表情で言っているのかが気になり、寺野を振り返った。

 重怠かった瞼が見開き、今度こそ眠気がどこか果てへと飛んでいく。

「お前、」寺野は寺野でじっとこっちを振り向いていた。「なんつー顔してんだ」

「どんな顔してる?」

「分からん。見たことねえ顔してる」

「笑ってると、思うんだけど」

「笑ってはいるな。笑ってんのか?」

「難しいこと訊くなよ先生」

「お前がな。おい、何だ、本気でどうした。喜怒哀楽のうちどの感情だ?」

「分からない。分かんないことばっかだぜ、最近ずっと。もっと前からかもしれないけれど」

「……」眉根を寄せ、自分の上がっている口角をぐにぐに手で摘まんでいる寺野を見つめる。嘘は言っていないようだ。こいつは何かを分かっていなくて、それは俺にも分からないもので、そして途方に暮れている。それだ。()()()()()()()()。「……来い。おいで。カップ持って横座れ、んで話そう」

「何を話すの?」

「何でもいいよ。話さなくてもいいし。テレビを点けてもいい。とにかく俺のそばに座って、そんで眠くなるまで自由にしてろ」

「問答無用で寝なくていいのか? もうすぐ二十三時だぜ」

「いいよ。明日寝坊しそうになっても起こしてやるから」

「いまから先生の隣に座ってケーキ食べてもいいってこと?」

「いいよ」

「ふーん。そんで話してていいの? どうでもいい話でも、学校で聞いた噂話でも、僕らしか知らないみたいな話でも?」

「いいよ。何でも話せよ」

「ふーん」

 にわかに寺野の顔が満面の笑みをつくった。ちゃんとした笑顔だ。

 ついさっき明日食べると決めたんだと言っていた口でケーキ取ってくる、と言って椅子から立ち上がり冷蔵庫まで向かう。俺は変なやつだなと思いながら、でも何が何だか分からないままにとりあえず暮れた途方がどうにか明るさを取り戻したのを察して安堵する。

 冷蔵庫の方からやった、チョコケーキだ、と嬉しそうな声が上がった。

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