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代死人の寺野くん  作者: 年越し蕎麦
season1
30/62

数式瓦解者 四

 登校してすぐ自分のクラスの一組ではなく隣のクラスの二組へと足を向ける。廊下側の窓が開いていたのでクラスに入ることなくすぐに目当ての人物へ声をかけることができた。

「横田さん」

 廊下側の一番後ろの席で、ほかの女子みたくメイク道具を広げたり爪を弄ったりせず何やら真剣に本を読んでいた彼女は、数秒して、ぱちっと顔を上げた。きょろりと周りを見渡し、すぐ真横、俺の視線に行き着く。

「後藤くん」

 彼女はぱちぱちと瞬きをし、読んでいた本を閉じた。タイトルは『茄子のすべて』。「ごめんね、集中してた。おはよう」

「おはよ。茄子?」

「あ、えと。弟が茄子嫌いで。でもご近所さんにいっぱい貰っちゃったから、どうにかできないかと」

「料理上手いもんな。奈津美が言ってた」

「なっちゃんが? へへ」

 見上げていた顔を照れたように俯かせ、短い前髪のかかる額を手の甲で擦っている。その仕草は弓道部副部長の奈津美と仲良さそうに喋っているときなんかによく見る。副部長経由で話には多く出ていても実際には何度か会っている程度だ、こっちのことを覚えていてくれたのは素直に嬉しい。

「怪我はもう平気なのか? 奈津美がずっと怒ってるんだ。ガーゼは小さくなったみたいだけど」

「なっちゃんが大袈裟なんだよ。大丈夫。もうほとんど塞がってるし、お医者さんも『綺麗な切り傷ですねー、若いから痕も残りませんよ』って言ってたもの」

「そっか。良かった」

「何か用事? なっちゃんに伝言なら、お昼休みに伝えとくよ」

「いや。寺野は?」

「寺野くん?」

 彼女は自分の前の席を見、俺に視線を戻す。「まだ来てないよ。朝の見回りだと思うけど」

「そっか」 

 出直しても良かったけど俺は少し考え、窓枠に肘をついてしゃがみ込んだ。彼女と目線の高さが同じになったところで、声を潜める。

「横田さんを襲ったやつって、赤茶けたローブで背の高い男だったよな?」

 彼女は丸い硝子玉みたいな目をきょとんとさせたのち、僅かばかり俺の方へ身を寄せて「うん」とやはり声を潜めて頷いた。「ニュースで言ってた通りだよ。どうしたの?」

「そんで顔が分からない?」

「うん。不思議なの。砂場から……出て来たんだけど。その時に顔を見たはずなのに、ちっとも分かんなくて」

「関西弁?」

「三重弁らしいよ」

「弟がいるって言ってた?」

「うん。……後藤くん、それはニュースになってないよ」彼女は眉を下げた。「会ったのね?」

 俺は頷いた。

「警察には連絡したけど、場所が場所だけに不安でさ。気になることも言ってたから、共有しときたくて。今日の放課後、時間ある? 寺野と紺野先生にも教えときたい」







 放課後、幸い利用者のいない保健室に集まって今朝のことをかいつまんで話したところ、真っ先に口を開いたのは窓際のソファに座っていた寺野だった。


「絶対()()()()()の兄さんじゃん。どうして気づかなかったんだろう? たとえDNAが違っていたとしても兄弟なのは明白だよ」


 それを聞いた検温スペースのパイプ椅子に座る俺と横田さんは顔を見合わせ、次いで自分のデスクにいる紺野先生を見やった。

 紺野先生は苦虫を嚙み潰したような顔をして、まず俺に声をかけた。

「確認なんだが、何もされてないんだな?」

「はい。話をしただけです。っても言語が同じだけで、不気味すぎてあんまり会話してる感じなかったですけど」

「分かる、それ」隣の横田さんがこっくり同意する。「同じ日本語を喋ってるはずなのに、なんて言うか、価値観が違いすぎて……」そしてその価値観の違いすぎる輩に襲われたことをまざまざ思い出したのか、「後藤くん本当に大丈夫? 怖くない?」と心配そうに眉を下げる。

「俺はほんとに大丈夫」

 ただ話をしただけだから。

 話をして、それで、もしかすると彼女の言うような価値観があいつとほんの少し似ているかもしくはベクトルが同じなのかもしれなくて、そのせいで不気味だとは思ってもあまり恐怖を感じることはなかったけれど。それって本当に大丈夫なのか? ふと気になってまた寺野を見ると、俺の軽い殺人欲求を知っている彼はいつも通り飄々とした顔つきでこっちを見ていた。視線が絡み合う。

 横田さんの手前、山に動物の変死体が転がっていることは話してもあのローブ男に「きみも誰かを殺してみたいんじゃない? (※意訳。あの日本語をもっと嚙み砕いた日本語に翻訳したら大体こういう意味だろう、たぶん)」と言われたことは話さなかったのだが、俺の視線を受けた機微に敏い代死人寺野は「大丈夫だよ」とあたかも全て分かっているふうに言い切った。

「後藤の心臓はいつも通り極めてなだらか。特に悪い影響は受けていない。さすが冷静沈着、弓道部部長」

 そうなんだろうか。でも、代死人の寺野が言うならそうなんだろう。

 あんな輩に遭って影響が何もないのも考えものな気がしたが、俺は黙って頷くに留める。そんな隣に座っている俺について何も知らない横田さんは安心したふうに笑った。「すごいね、後藤くん。私なんて怖くて腰抜けちゃったのに」

「いや、俺は横田さんみたいに襲われなかったから。怪我させられて気丈に振る舞える横田さんの方がよっぽどすごいよ」

「いやいや、わりと、そのう。怖いよ。私のこと探してるんでしょ? 寺野くんのことも」

 保健室内に重い沈黙が漂う。

 確かにあのローブ野郎は横田さんの名前を出したし、この高校の代死人のことを気にしていた。そしてその寺野がやっぱり沈黙を破って口を開く。「どう思う? 先生。僕はいいとして、横田ちゃんがこれ以上変質者に好かれたり後藤たち生徒に接触されるのはもっと酷い犯罪を呼ぶぜきっと」

「分かってる」

「何せ相手はあのトチ狂い血液マニアの兄さんだぜ」

「暫定な」

「確定でいいと思うけどなあ」

「はい、紺野先生」横田さんが控えめに挙手をする。彼女は紺野先生にはい、横田ちゃんと促されてから続ける。「あの、血液マニアって、いつぞや寺野くんを襲ったひとのことですか。ニュースにもなった吸血事件の」

「……あんまり不安を煽るようなこと言いたくないんだが」と凛々しい眉が困り眉になった。「そうだよ。人を傷つけて血液を蒐集するような倫理観のないクソガキだった。後藤くんの話を聞く限り、まあ、そうだな。確定だろうな。そのクソガキの兄貴じゃなきゃむしろおかしい」

「お口がちょっとお悪いぜ先生」

「すまん」

 先生は誤魔化すように咳払いをし、俺と横田さんはまた顔を見合わせる。“紺野先生って意外と口悪いのか?”“普段は丁寧なひとなのに”おそらく似たようなことを考えているに違いない。

 紺野先生は見た目わりかし体育会系のがっしりした男前なのに言動は優しいちぐはぐ保険医として有名だ。だが見た目も中身もいいんじゃちょっと逆に人間味がないししかもあの代死人の管理者だから何か怖いと言う生徒もいたりして、けど、こうして寺野といるところを見るとぐんと親しみやすさが上がるように俺は感じる。人造人間でよく死ぬ寺野がいることで紺野先生の人間味と生が際立つんだろうか? おかしな二人組だな、俺は思った。ほかの代死人と管理者もこうなんだろうか。


「後藤くん、警察には連絡したって言ったけど場所は橙ノ山なんだよな?」

 咳払いで普段ない口の悪さを誤魔化した(誤魔化されてはいないが)紺野先生は念のためといったふうに訊いてきた。

「はい、そうです。ここ最近山に動物の変死体がよく落ちてて、それ自体はまあ、みんなご存じの通り――」

 その言葉の続きは寺野が幼い子供でも教わることを高校の授業内容そのままに、いつもの上がった口角で言う。

「山なんて観光地除けばほぼ治外法権、禁足地だらけ。何かが起こっても特に問題じゃない」

 それから肩を竦めて見せた。「だから警察は当てにできないね」

「うん。街に下りてひとを襲えば別だろうけど、」言ってしまってから不謹慎だったかと隣の彼女を見ると彼女は意を決した顔で「わたし囮になろうか?」などと訊いてきたので面食らって「待って。話が飛躍し過ぎてるそれは」と突っ込む。奈津美が言っていたが“キヨはたくさん物事を考えるくせに覚悟を決めるのは早い”だそうだ。確かにこれは早いってか早すぎて飛んでる。

「おいおいおい、囮になるなら僕だろ」寺野が即座にソファから身を乗り出して言った。「僕以上の適任なんていないよ。賞レースならとっくに殿堂入りして額縁に飾られてるからな」

「ううんダメだよ寺野くん、殿堂入りしてるならそこで大人しく私が勝ち抜いていくとこを見てて。私きっとやれるわ」

「ダメだよきみは正常な生者だから参加資格がない。家で大人しくデスぺでも飲んでゆっくりしてろよ」

「そんなの駄目よ。参加資格は誰にでも平等にあるべきだもん。デスぺは飲まない」

「許されないぜそんなの。デスぺの何が悪いって言うんだ」

「待てってお前ら、追いつけないって。話が飛んでるんだよ、飛行機レベルで。俺は歩いてんだから勝手に飛んでくなよ。誰も誰かが囮になれなんて言ってないよ」

「後藤も飛んだらいいよ、案外簡単だぜ? 囮になって襲われるの待って、そんで紺野先生の助けを待つだけ。人造人間の僕にとったら朝飯前だね。ただの人間には三食食べたって土台無理」

「頼むから会話してくれ。いま日本語喋ってたよな? そりゃー簡単だろうけどさ」

「だろ。これで街も山も平和になるじゃないか。めでたしめでたし」

「めでたしか……?」


「後藤くん流されるな。そいつ激流みたいなもんだから。近づいたらあっという間だぞ。横田ちゃんもな」


 紺野先生の冷静な制止に、寺野が真っ先にちぇーと口で言ってソファに座り直す。「先生は流されてくんないんだもんな。でも実際いいアイデアじゃないか? 血液マニアのときはそうしたくせにさ」

 寺野は何気なく言ったふうだったが紺野先生はそこで一度ぐっと眉間に皺を寄せ何かを堪える顔つきをした。口を開いて何事かを言いそうにしたものの、やはり堪えて言葉を紡ぐ。「今回はまだ何も下準備をしていない。前みたいに上手くいくとは限らない」と頭をがりがり言う。

「じゃあ下準備しようぜ」

「簡単に言うな。前回は野郎が街で人間相手に好き勝手したから警察や方々とも協力できて容易かったんだ。山じゃそうもいかない」

「じゃあ僕らも山で好き勝手しようぜ。治外法権なんだろ? もとより人権のない代死人にとっちゃ何の恩恵もないけど、犯罪者を自由に捕まえる分には打ってつけじゃないか」

「簡単に言うな。三度は言わせるなよ。寺野、あのな、それは俺たちの仕事じゃあない。お前が一番よく分かってるよな? いいから落ち着け。今すぐには決められないことがほとんどだ、だから今だけは不貞腐れた顔で黙って頷いて仕方ないなあとでも思っとけ」

「……。オッケー」

 寺野は絵に描いたように不貞腐れた顔をつくると口を閉じて肘置きにもたれかかった。

 この場で圧倒的に大人な紺野先生は大人らしく俺たちに向き合うと報告をしてくれた礼と今日は保護者に迎えに来てもらうよう言った。警察に知らせたのなら、街にいる間はそれなりに安全なはずだ。このことはまた職員会議にでもなるだろうし、やることはきっと多いだろう、でも先生は俺と横田さんの迎えが来るまで(先に素っ飛んで来たのは横田さんの兄だった。全然似ておらず、なぜか睨まれた)保健室で自由に過ごさせてくれた。

 その間寺野は律儀にずっと黙り込んで反省の色を示していたが、俺にはただ頭の中で抗議の言葉を探している悪ガキにしか見えなかった。 

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