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代死人の寺野くん  作者: 年越し蕎麦
season1
24/62

数式瓦解者 一

 この国にはあらゆる宗教や魔術や科学なんかが蔓延っていて独自のルールがあってお互い偏見にまみれていて、その中でも一等厄介な無法者がいて、世間的に名称が必要になるくらいには犯罪者として存在が多くなってきたその無法者たちをいつしか世間は“数式瓦解者”と呼ぶようになった。

 それは“物質を形作る数式の一片を崩し、秩序をなくす者”の意である。 ――『クレバーな犯罪者辞典 数式瓦解者』より引用




 

「浮かれトンチキな犯罪者もたくさん、バカ沈みしちゃう自殺者もたくさん。これで人口が減らないんだから人間てやっぱり神に裁かれるべくして増え続ける生き物なんだね。早く僕も裁かれて絶命したい」

「……代死人は人間じゃねーから裁かれないんじゃないか」

「こういう時ばっか酷いこと言うなよ先生」


 いやこういう時じゃなくても酷いな先生は、余計なことをつけ加えた寺野は理科室の床からゆっくりと体を起こした。そのまま床に胡坐をかき、天井を見上げて蛍光灯の灯りに目を細める。「いま、何時?」

「二十一時半とちょっと」

「結構死んでたな……放課後からだから、それでも三時間くらいか。うえ、とりあえずで色んなもん飲んだからまだ口の中不味いよ。びりびりする。最悪だ」

 口許を拭う寺野の顔は蒼白く、唇すらまだ青っぽかった。今回の代死は理科室で行われていたが、代死人に備わる配慮のおかげで劇薬や毒物が床に散乱していることもない。とにかく死ねるようなものを飲んだと言ったが飲んでから死ぬまでの間に瓶や薬を元あった場所に戻していたかと思うと胸糞が悪くなる。知らずと眉が動いた。

 目敏く寺野が「そんな顔するなよ先生」と色のない唇でにやりと笑う。

「そんなおっかない顔で夕飯作られても味が美味しいだけで今夜もぐっすり眠れそうだよいつもありがとう先生」

「おい、貶す流れだったろ今のは。何食いたい? 好きなもん作ってやる」

「ひゅー! ちょろいぜ先生!」

 下手くそな口笛を吹いた寺野の顔に血の気が戻ってくる。ちょろいのはどっちか、寺野の腹がぐうと鳴った。

「腹と背中がくっつきそうだぜ」

 と確実に空腹のせいではないふらつきで立ち上がろうとする寺野の肘を、家の冷蔵庫の中身と近くで開いているスーパーとを考えながら、掴んで立ち上がらせる。その際わずかに薬品の刺激臭が鼻を突きまた眉間に皺が寄った。飯の前に風呂の方がいいかもしれない。

「なに作ってもらおーかな。先生は何食べたい?」

「なんで俺に訊くんだよ」

「先生の作るご飯は何でも美味いからな、ぶっちゃけ作ってもらえるなら何でも喜んで食べるよ僕は」

「……お前ってほんと。食わせ甲斐のあるやつだよ」

 こいつが食に(だけというわけではないが)素直なのは充分知っているし本当に俺の作る飯を美味いと思っていることは日頃から分かっているのでこちらも素直にありがとなと礼を言う。ひとりで立つことに成功した寺野は「よし、需要と供給を確かめ合ったところで早いとこ戸締りして帰ろう。腹ペコだよ」と悪戯気に笑って制服についていた埃を叩き落とした。

「ほんとにリクエストとかねーのか。このままだと肉焼くだけになるぞ」

「お肉大好きだよ! 生姜焼きがいい。ちょっと甘めの」

「りょーかい」

 とは言ったものの校内から完全に人間がいなくなるまでにはまだ時間があったため、俺たちが帰路につけるのはそれから更に一時間ほど経ってからだった。







「くそー空腹に耐えかねてコンビニに寄らせちまうなんて僕は自分が情けないよ。めちゃくちゃ生姜焼きの口になってたのに」

「そんなもんいつでも作ってやるって」

「明日でも?」

「今日みたいに遅くならなかったらな」

「全然いつでもじゃないじゃんかあ」

 明日も今日みたいに誰か遅くまで残ってるかもしれないじゃん、残業反対! 助手席で喚く寺野を無視して途中寄ったコンビニで買った珈琲を啜る。美味くはない。「コンビニのご飯も好きだけどさー……」

「はいはい」青信号になったので大通りを真っ直ぐ発進する。飲み屋街が近いため平日とは言え歩道はわりかし人通りがあった。いきなり眼前に躍り出てくる輩がいないとは限らないので大体の車は走りが遅いし余所見は禁物だ。珈琲をホルダーに置く。「おにぎり剥いてくれ。辛子明太子」

 ぶつくさ言いながらもコンビニのからあげ棒を頬張っていた寺野はわかったと言いガサゴソ袋を漁った。

「辛子明太子って辛い?」

「全く」

「信じないぞ僕は」

 先生の舌って辛みと苦みにバグってるくせして料理上手いの何なんだろうな、寺野が失礼なことを言う。うるせーよ、お前の舌も甘味に関してバグってるだろーが。

「はいよ先生」

「ん」

 口許まで差し出されたおにぎりをちらりと見、開けかけていた口を閉じた。再び開ける。「……お前さ。毎回思うけどどーやったらそんな下手に巻けんの。その海苔ってそんなボロボロになるもんなんか」

「僕は必死に親切な説明書き通りやってるんだよ。なのにさ。誰も悪くない」

「いやお前の手つきが悪いんだよそれは。はは。面白いぐらい下手だな」

「笑ってないで早く食べてくれよ。米がまろび落ちる」

「海苔がボロボロだからだろ。あはは」

 

 前を見ながら肩を震わせ笑っていると先生! と呼ばれる。

 その呼び方が瞬時にげんなりするいつもの(・・・・)呼び方だったのでああこの近くで車に轢かれたいやつでもいるのかもしれないと当たりをつけて、げんなりしたわりには職業病みたいなものですぐ気が引き締まり声が低くなる。「どこだ?」

 しかし微妙にいつものとは違ったらしい。訊かれた寺野はきょとんとした顔つきで窓の外を指さした。


「横田ちゃんだ」


「は?」

「あそこ。歩道橋の下。……こんな時間に危なすぎないか? まだガーゼだって取れてないのに」


 珍しくこちらも低めに言った寺野の手から米がほろりと崩れて落ちた。

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