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代死人の寺野くん  作者: 年越し蕎麦
season1
23/62

心配、不安

 朝の職員会議に参加していたので、ほかの生徒たちがきっともっと後日に知らされるだろうことを僕はすでに知っていたが、あえて、午後から登校してきた横田ちゃんに「その怪我どーしたの」と訊いていた。彼女の白い左頬にはもっと白いガーゼがテープで留められている。

 ひとしきりクラスメイトや他クラスの友人から同じ質問をされただろう横田ちゃんは、それでもびっくりしたように目を丸くして、次の授業で使う教科書を取り出した姿勢のまま僕を見つめ返した。僕は体ごと後ろの席に向き直って言った。

「似合わないぜ。白は似合うけど。それならカマボコとか持ってた方がまだ好きだな」

「ええと」ぱちり、瞬き。硬直からゆっくり解き放たれ、教科書を机の隅に置く。「ありがとう。私もカマボコ好きだよ」

「美味しいよな」

「うん」

「その怪我どーしたの」

「えーと、」

 横田ちゃんは明確に困った顔をした。

 下げた眉と戸惑っている目尻の下のガーゼがとびきり邪魔だなと思う。こんなに似合ってないものはない。べつにいま誰かが死にたがっているわけでもないのに心臓のあたりが気持ち悪い。この得も言われぬ感じ、何だか既視感を覚える。

「あの、……えーと」

「“近所の猫に思い切り引っ掻かれた”って言わないのか? みんなに言ったように」

「うーん」

 ちょっと意地悪だったかもしれない。僕が彼女の怪我の経緯を知っていることを、たぶん横田ちゃんも知っているだろう。それなのにどうしてわざわざ? 普段、素直な僕にしては大変珍しいことだったし横田ちゃんもそれを察しているのかやっぱり困り顔で首を傾げた。

「寺野くん何か怒ってる?」

「僕が? まさか」

「でも何か、不機嫌そうだよ」

「そうかな? 顔笑ってない?」

「いつもの表情には見えるけど」

「……きみがいつもと違って困り顔のままってことは、ぼかぁちょっといつもとは違うんだろうな。自覚してるよ。困らせてごめんね」

 僕も僕で眉を下げると、彼女はやっと少し笑って見せた。

「ううん。寺野くんどーしたの?」

「うーん」

 今度はこっちが唸る番だった。

「たぶん、前にもあったんだ。こんな感じのこと。すごく嫌な感じだよ。血が苦手ってわけでもない、死ぬこと以外は掠り傷なのに、えらく不快だ。その白い不躾なガーゼもむかつく包帯も――」――包帯? ああそうだ。そうだった。「紺野先生が怪我したときだ。あんなの、許されないよ。あのときと似たような感覚だ。エッつまり、僕は横田ちゃんのこと、バカだと思ってるってことっ?」

「混乱してるんだね寺野くん」

「そーみたいだ」

 ショッピングモールでのあの事件はいま思い出してもやっぱり苛立ってくる。横田ちゃんの頬を見ているとあのとき感じた妙な苛立ちがじわじわと湧いてくるようだった。よく怒りを火山や噴火に喩えるひとがいるけど、どうやら僕の場合は地表に僅か染み出てくる水みたいなものらしい。掘り返したらどうなるか、ゾッとする。

「その怪我どうしたのか僕知ってるんだよ」

「うん。だと思った」

 横田ちゃんはすっかり、いつもの好奇心を硝子玉に溶かして星に透かしたような丸い瞳で僕を見ていた。僕はその視線を受け止めて彼女の左頬を見つめた。胸の奥に水脈でもあるのか、水脈じゃなく血潮だ、まるで血管が切れたみたいだ。死んでもいないのに、不愉快な感覚だ。

「無事でよかったと思ってる。これは本当だよ。心の底から、だって自殺なら僕が代わりにしてあげられるけど、僕のいないところで無法者に傷つけられたんじゃ、そんなのどうにもできない。僕が代殺人だったら、」

「寺野くんが代わりに殺されちゃうのは嫌だな。紺野先生もきっと嫌がるよ」

「一緒じゃん。代わりに死ぬのも殺されるのも」

「全然一緒じゃないよ。寺野くんが、紺野先生や私が誰ぞにメッタ刺しにされたらすぐ死んじゃうかもって心配して今みたいにウワーッてなってるみたいにさ、こっちも寺野くんが誰かに殺されそうになったら、すごく嫌だよ。寺野くんは代死人じゃなきゃ駄目なんだよ」

「いま僕の目から鱗出なかった?」

「出なかった」

「心象的には出てた。そうか……」

 納得してうんと頷く。だいぶスッキリしたように思う。彼女がいまの僕の状態を的確に言い表してくれたからだ。つまり僕は横田ちゃんがものすごく心配だったし、不安だった。

「本当はこんなに前口上長くするつもりはなかったんだ。怪我、大丈夫? 痛くない?」

 ようやく本題を訊かれた横田ちゃんは笑って言った。

「平気だよ」

 平気なもんか、僕は勝手に思った。

 朝の職員室で、先生たちが言ってたんだ。女の子なのに、顔に大きな切り傷なんて、って。その時からむかむかしていた胸のざわめきの正体を、まさか本人から言い当てられるとは。

 重ねて怖かっただろとかいや痛いだろとか言うにはあんまり嘘くさすぎた。何せ僕は自分を刃物で何度も斬りつけている。その僕が言う僕なりに案じた相応しい言葉がこうだった。

「そのガーゼに嫌気がさしたら言ってよ。かまぼこ買ってくるから。一緒に食べよう」

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