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代死人の寺野くん  作者: 年越し蕎麦
season1
21/62

やきもちさ、醜いね

 教室に向かっていると突如後ろから突き飛ばされ、激しくたたらを踏んだところで胸倉を掴まれ首を上げさせられた。上げさせられたというか、首を絞められた。奇襲、しかも三限目の移動教室帰り、校内という安全地帯のはずの場所で、僕は少なからず驚愕して、即座に痛覚を切った。

 首の骨がみしりと軋む。相当強い力で絞められている。内臓が冷や汗を掻き、循環しづらくなった血液が惑って沸騰した。

 僕の首を掴んだ茶髪の男子生徒は、そのまま僕の口に噛みついてきた。文字通りだ。また驚いて目を見開くと、睥睨してくる黒目は強い怒りに煮えてぎらついていた。廊下を行く周りの生徒は、あーまた代死人の寺野が代死をしているのだなと思って素通りしていく。代死人はそういう役割の存在だから、代死以外で目立った行動をすると思われていない。その通りだ。テレビと一緒だ。テレビは、テレビでしかない。

 ガリッ、噛まれた下唇からそんな音が聞こえてきそうだった。

 ようやく、突き飛ばす勢いで首を解放される。

 離れた唇から血が落ちてカッターシャツの襟元を汚した。男子生徒は僕の血で汚れた自分の唇を乱雑に、それはもう汚らわしいものでも触れるように拭うと、憎しみを具現化した中指を突き立てて言った。

「死ね」

 そして大股で踵を返して行った。

 僕は唇から血を滲ませながら、ええー、と言った。途方に暮れて。

「死ねるもんなら……死んでるって……」




「なあ先生、人間が口をくっつけ合うのって人工呼吸以外でどういう時があるのかな」

 昼休み、先生手製の弁当をそれぞれ食べる僕たちは、保健室に相応しい応答をしている気分になった。ところが(まあ、やっぱり!)そんな気分になったのは僕だけのようで、先生は薄気味悪そうに眉をひそめたが、しかし訝しんだところで無駄だと思ったのだろう、真面目に答えてくれた。

「つまり、キスだろ。相手のことを愛しいと思った時」

「分かるぜ」

 と訳知り顔で頷いたものの僕の感覚としてはそれは分からなかった。人間はそういうものだろうという理解の頷きだ。「それで、その愛しいと思った相手にするキスってどんなのなの」

「……優しくするだろ」

「優しく? どんなふうな? どういう種類の優しさ?」

「俺はいまセクハラを受けてんのか?」

「学術的探究心だよ、お願いだ先生、血の滲むようなキスってどういう感情のものなのか教えて」

「血の? そりゃお前、よっぽど興奮したか、征服欲か、加虐欲か……、」

「食欲か、殺意か?」

「……あー、お前……あークソ、そういうことか」

 先生は弁当を置いて、玉子焼きを咀嚼している僕の顎を掴み検分すると、脱力した。きっと僕の唇の、注視しないと分からない治りかけの皮膚のへこみと、シャツの襟についた僅かな赤色の染みに気づいたことだろう。がりがりと黒い癖毛頭を掻いた。

「お前もっと分かりやすく報告しろよ……いや、いい、忘れろ。酷なことを言った。大丈夫か? 誰に何された? ゆっくりでいいよ。俺もまさか代死人に欲情するタイプの人間がこの学校にいるとは思わなかった。驚いたよな。平気か? 平気じゃないよな」

「驚いたぁ」僕は笑って頷く。「まさか先生は僕が性的な被害に遭ったと思ってらっしゃる?」確かに誤解されるような流れだったかもしれないけれど。

 先生は垂れがちな目を眇めて一寸考えると、盛大に溜め息を吐き出した。再度、脱力。「おっまえ……紛らわしい言い方すんなよボケカス……」ちょっとお口がお悪いぜ先生。

 自分の早とちりだと正しく理解した先生は、水筒からお茶を飲み、一息ついてから「で?」と促した。「キスされたのか、血の滲むような」

 僕はうんと頷いて答える。

「相手は知らない男子生徒だったよ。スリッパの色が赤だったから二年かな。突然だった。噛みつかれて、首がぐえってなった」

「お前……お前なァ」

「なんだい紺野先生。顔が怖いぜ」

「俺が怖いよ。いいか寺野、やっぱそりゃ普通に性被害だろ。同意なくキスだろ。代死でもなんでもないんだろ? さっきの質問から察するに、愛のあるキスじゃなかったんだろーが」

「先生。僕は代死人の寺野だぜ」

「分かってるよ。それがどうした」

「僕はテレビや人形と同じだ。人間の法律は適用されない。人間は人間がテレビにキスしたからって性被害だーって怒るのか?」

 僕は自分が意地の悪いことを言っていると自覚していた。

 人間みたいな代死人に肩入れして苦しんでいる先生には酷な言葉だったからだ。

 僕がそう自覚していることを更に自覚しているはずの先生は、隠しもせず、苦虫を嚙み潰したような顔をして僕を睨んだ。

「俺はお前の管理者だ、保護者でもある」

「僕だって死にたい輩に同意なくキスしてるぜ」

「それは代死行為だろ」

「ほらね。僕のキスはそうやって片づけられる。なら、僕にされたキスも同等だよ。一方的な被害には決してならない。な? 先生。怒るのやめてよ。それに男子高校生だぜ。キスのひとつやふたつ、馬鹿騒ぎでしたくなるもんだろ」

「馬鹿騒ぎでしたのか?」

「いんや。突然首絞められて噛みつかれた。殺意かとも思ったんだけど、ちょっと違う感じだったんだ。だから、キスにはどんな種類があるのかなって」

 一拍置いて付け加える。「でも、死ねって言われた」

 先生は眉間に深く皺を刻んで黙りこくり、自分の感情や理屈と折り合いをつけているふうだったが、どうやら諦めたようだった。いくらかただの仏頂面に戻して、機嫌悪く言う。

「俺には相手の死を望みながら血の滲むキスをしたことがないからサッパリ分からん。したいとも思わねえ」

「やっぱりかー」

 僕は白米をもぐもぐした。「分かんないよなあ。僕もだ。あれはどういうことだったんだろう、死にたいとも思ってないようだったし、分からな過ぎて気になるなー。ただの嫌がらせだったのかな?」

「それはそれで問題だろ」

「代死人に嫌がらせって機械に文句言ってる人なみに面倒なタイプだよな」

 僕の言いように先生はまた顔をしかめ、口を開くが、そこから言葉が出てくるよりも保健室のドアがノックされる音の方が早かった。コンコン。先生の開いたままの口が「どうぞ」と言い、ドアがスライドされる。

「し、失礼します。二年四組の天崎です。すみません、代死人の寺野さん、いますか」

 入って来たのは慌てた様子の女子生徒だった。

 赤いスリッパ。髪の色素は薄く、ふわふわとカーブを描いていて、生徒指導の先生にチェックされそうな見た目の子。けれど化粧はしていないし、制服も真面目に着こなしている。天然パーマかもしれない、僕は思った。僕のことをさん付けするあたり、事実、真面目な子だ。僕はそれを知っているし、髪が天パなのかもしれないと思ったのも今日は二回目だった。

 何せ彼女、今日の一時間目が始まる前に僕が代わりに死んであげた生徒である。

 お手軽簡単、手首をカッターですっぱり。ちなみに一時間目は死んでいたので二時間目から授業には行った。

「どうしたの、また死にたくなった?」

 お弁当を置いて、のんびり振り返った僕に、彼女はいきなりガバッと頭を下げた。

「ごめんなさい寺野さん! さっき瀬奈があなたに突っかかったみたいで……!」

 セナ。せな。瀬奈? 「誰?」

「あっあの茶髪の、あたしと同じ二年で、態度が悪くて……」

「ああ」僕は先生とちらりと視線を合わせてから、彼女へと戻す。「オッケー思い出した。うん。だいぶ……悪かったな。態度。遺憾なく」

「ほんとに……ごめんなさい」彼女は絶望しきった表情を浮かべた。軽く死にそうだ。それは困る。さっき死んだばかりなんだから。

「なぜきみが謝るの?」

 腰の低さを宥めて、完全に顔を上げさせ不思議がって見せると、彼女はあの、と言い淀んだ。

「その……あたしと瀬奈は……つまり……」

 それから紺野先生へと視線をやる。視線を受けた先生は得心して両手を上げた。「耳塞いでようか、俺。言いにくい? なんなら出てくよ」

 彼女は首を振ってそれを拒んだ。

「紺野先生も……すみません。代死人に危害を加えようとしたわけじゃなくて、あいつ……あの……あたしが代死をされたこと知って……その、」

 僕はピンときた。

「きみたちもしやアベックだった?」

「アベック!」僕の古くさい表現に天崎さんは復唱したあと「違います!」と息せき切った。「よく勘違いされるけど! あたしと瀬奈はそんなんじゃないんです」同じことを何度も言っているであろう慣れた言い方だった。

「でも、僕が代死……つまりきみにキスしたことを知って、その瀬奈くんとやらは僕に突っかかってきたわけだろ。えッちょっと待って……それってつまり……エエッ! 僕、嫉妬されたってことっ?」

 素っ頓狂な声が出た。

「すげえや! 嫉妬なんてされたの初めてだ、愛されてんね、天崎さん! でも人間じゃない生き物に嫉妬するのはちょっとやばめなんじゃないかなそいつ……」

 次いで先生を見やる。「恋人がテレビじみた人造人間とキスもどきの行為をしてさ、嫉妬心でその相手にするキスだから、あんな敵意こもってたんだね。万事解決。どうしよう。分からな過ぎてトチ狂いそう」

「違うんですって!」

 天崎さんは叫ぶ。

「あたしと、瀬奈は! ……彼氏彼女とか、そういう……そんな簡単な言葉で収まる関係じゃなくって……あいつは……」唇を湿らして、俯いた。「あたしが死にたがってるのも、気づいてて……それで、あいつなりに、もうずっと、どうにかしようと必死になってくれてたんです。でも……代死ひとつであたしが救われたから……」

「……嫉妬と、腹いせと、やるせなさ。八つ当たりみたいなものか、じゃあ。なるほど。ちょっと分かってきた」でもやばめなやつってことは変わらなそうだ。それを知りながら一緒にいるらしい彼女も、こう見えてやばめだ。

「ほんとごめんなさい。あの、怪我とか」

「なーんにも。きみは? 調子はどう?」

「とってもいいです」彼女は嬉しそうに笑った。「今までが、嘘みたいで。でも死にたい原因は残ってるから、」きゅっと拳を握る。「瀬奈と、頑張って生きようって」

 僕はまた意味もなく先生を見てから、彼女を見つめ返した。

「きみらほんとにアベックじゃないの?」

「違います! 誓って!」彼女はわっと叫んで否定した。


 お礼と謝罪を何度も述べた彼女を帰して、再び僕と先生だけに戻った保健室で、僕は「と言うわけでさ」とお弁当箱の蓋を閉じた。

「あの血の滲むキスは、嫉妬のキスだって。先生分かった?」

「正直分からん」

「だよなあ。ま、いいじゃん。僕やきもち焼かれたの初めてだよ」

「やきもちとか言う可愛いもんだったか?」

「高校生にもなれば、子どもじみたドロドロを発揮するもんだぜ。先生はある?」

「何が」

「嫉妬のキスをしたことは」

 先生は僕の頭をスパンと叩いた。

「セクハラだ、ガキ」

 僕はけらっと笑った。結局先生にとって、僕はテレビや人形じゃいられないらしい。やばめな人だ。

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