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代死人の寺野くん  作者: 年越し蕎麦
season1
2/62

お腹がすいたよ

 昼時というのはどうやら死にたい輩が多いらしい。

 みんなで昼食を取らなければならない状況が、苦痛なのかな、と思う。ひとりで食べればいいのに、とも。

 一度苦痛を感じると周囲との喧騒の差も相まって、色々嫌なこと思い出したりしちゃって、それでどうにもならなくなって泣きそうになって、ひとりが嫌なのにひとりになれる場所を探しちゃう。

 つまり、屋上だ。


「ね、紀川さん」

 案の定、こういう時のために開け放たれている屋上のフェンス前には、膝を抱えて泣いている女生徒がいた。

 一年五組の紀川さん。それ以上の情報もこの頭にはインプットされているけれど、それを披露するほど僕は目立ちたがり屋ではない。

 彼女は泣き濡れた目を上げて、まだ中学生の名残ある幼い顔を、困ったふうに歪めた。

「代死人の、寺野くん」

「そう。代死人の寺野くんだよ」

 知ってた? と首を傾げて見せると、知ってるよと頷かれる。だって、有名じゃん、都会ならどこの学校にもいるし、中学にもいたよ、と鼻声で言われる。そうだね、僕は頷く。でも、僕がどこにでもいるわけじゃあ、ないんだけども。

 まあそんなことは置いといてだ。

「紀川さん、死にたいの?」

「……死にたくないよ」

「嘘つきだねえ」

 言いながら歩み寄って行くと、彼女は嫌そうな顔をした。

「死にたくないよ」

 目の前に立って見下ろすと、伏せた目でもう一度死にたくないと呟く。意地っ張り。僕はしゃがみこんで顔を覗き込んだ。「死にたくなくてもいいけど、僕のことは受け入れて貰わなくちゃ、困るな」彼女は目を上げた。

「私、別に、」

「こんなところに座ってどうしたの? スカート、まだ新しいじゃん。汚れるよ」

「でも、……だって、」

「お昼時間も終わっちゃうし。教室、戻った方がいいんじゃない?」

 彼女は息を忘れて泣きそうな顔をした。

「……戻りたくない」

「そう」

「別に、ひどいことされたとかじゃないの」

「うん」

「でもなんか、不安定で、ぐらぐらしちゃって」

「うん」

「それで、ちょっと、……いなくなりたかったの……」

「うん」

 僕はそっと彼女の、柔らかな長い髪に触れた。「それで、やっぱり、……ちょっと死にたい?」訊くと、幼い彼女はこっくり、首肯した。

「上出来」僕はにんまり笑いやる。

 瞠目した紀川さんの両耳を塞いで顔を近づける。あ、無意味な一音を零した唇に、自分の唇を押しつけ噛みついた。しょっぱい味。柔らかい。やっぱ男より女の方がいいなあ。あったかい。

 死んだら冷たくなっちゃうのかな。

「ひ……」

 怯えて暴れ出しそうな弱い身体を押さえつけ、強く強く唇に吸いつく。ぢゅうううう、無惨な音。僕の肩を押しやろうとしていた手がそのうちくたびれて、ぱたりと落ちた。

 ちゅぱっ。唇を離す。唇を拭う。ついでに彼女の口も拭ってやる。

「紀川さん」

 目を開けたまま眠っているみたい。事実、記憶は混濁し、感情は均され、身体は起き出すのを待っているんだろう。紀川さん、呼ぶと、彼女はぱちりと瞬きをした。僕を見る。涙は乾いている。

「おはよう。お腹すいてない?」

 不思議そうに首を傾げ、まだ状況把握できていないのか、答えない。でも僕は待ってやれない。「さあ立って、お昼ご飯食べた? もうすぐで休憩終わっちゃうんだぜ。一年からサボりはまずいよ。二年になってからしなさい」腕を引っ張って立ち上がらせる。彼女はふらつきながらも足を動かし、あ、うん、と曖昧に口を開いた。

「なんか……なんだろう、」

「お腹すいたんじゃない?」

「そうかも……」

 彼女の背を押す。行ってらっしゃい、言うと、涙の跡の残る顔が、困惑しながらも笑みを浮かべた。さっきとは違う笑い方。正常。

「なんか、ごめんなさい。行ってきます」

 そう言って屋上から出て行った。


 チャイムが鳴る。予鈴だ。あと五分で午後一の授業が始まる。

「あー……」

 僕は口の中に指を突っ込んだ。舌を掴む。掴んだところで、引っこ抜けるわけではない。口の中で味がする。死にたい味だ。死にたくなる味だ。しょっぱい、これは彼女の涙。甘い、これがいけない。誘惑。誘われている。

 僕はいつだって死にたい。

 そして、死ななければならない。

「僕の代わりにも、死んでくれる人が、いたらいいんだけど」

 フェンスを掴む。よじ登らなければ。面倒だなあと思う。死ぬことってどうしてこんなに簡単なのに、中々うまくいかないんだろう。がしゃがしゃ音を立てながら登っていくと、あと少しで向こう側というところで、足首を掴まれ後ろに引き倒された。

 落っこちる。ごん、後頭部を床に打ち付ける。痛い、僕は嘆いた。

 見上げた先、青空を背負った先生が立っている。

「ひどいよ、先生」

 頭ぱっくり割れたかも、嘯く僕に、僕を落とした先生は思いきり顔をしかめた。

「ひどいのはどっちだ。昼間には死なない。約束したよな?」

「だってあの子が昼間に死にたくなるから」

「暗くなってから死んでくれって頼んだだろうが」

「ひどい話しだ……」

 明るいうちに死んだら生徒たちにショックを受けさせるうんちゃらかんちゃら。だから代わりに死ぬのは人目のつかぬところで、放課後になるまで死ぬのは待て、ということだ。

「こんなに死にたいのに。死ぬのすら自由にさせてくれないなんて、甚だ人権の侵害だ!」拳を突き上げ悲劇を気取る。

 すると先生はその腕を掴んで引っ張り上げた。力任せにそうしたくせに、上体を起こした僕の背中の砂埃を、しゃがんでぱたぱた叩き落としてくれる。「悪いがお前に人権は適用されないんだよ」またひどいことを言う。

「……放課後までこの気分でいなくちゃいけないの」

「ああ。……どうしてもって言うなら、家庭科室の包丁借りるか」

 それを優しさで言うんだから、この人はたちが悪いんだ。

「駄目だよ」僕は諦めてフェンスを見た。「彼女は落ちたがってた。だから僕もそうしないと」先生だって知ってるくせに、どうしてそういうことを言うの。とは、優しく情を捨てきれていない彼に告げるにはあんまりひどいので、言わないでおく。

 しかしそんな僕の心情だってお見通しなんだろう、先生は溜め息を零して頭をがりがり掻いた。どうしようもないことを、受け入れるような仕草だった。

「先生はさー……」

 垂れ目のくせに剣呑な目つきをしている先生を見上げる。

 死にたくならないの、訊こうとして、やめる。だって今までそんな気は一度も感じなかったからだ。分かりきっていることを訊くのは無駄だったし、それにその質問は既に何回かして、何回も同じ答えを貰っている。ならないよ。

 だから代わりに違うことを言う。

「死にたくなったら、ぜひ僕をご贔屓にしてよ。丁寧に死んであげるし、丁寧にちゅーするよ」

 先生は虫けらを見る目をした。

「事案なこと言うな」

「やっぱり女の子がいいよねえ」

「女でも男でも一緒だ、未成年」

「おっかしいな……」けらけら笑う。ああー……死にたい……。

 そう思うのは、先生がそうやって、僕を普通の人間みたいに扱うのも、原因なんだと思うんだけど。

 僕は今日も、死ねない。

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