ショッピングモォーール! 上
今どき人間が人間を殺すなんてナンセンスですよ。
我が国は自殺者がとことん多い国ですけどね、同時に人を殺したい人も多いわけじゃないですか。まー昔よりそういう手段が、ぐちゃぐちゃと、オカルトやサイエンス、融合してしっちゃかめっちゃかしてきましたけど。
犯罪というものは増えるものです。そして私たちは、自殺したい上に、人も殺したい欲がある。まずいと思いません? 人間は増えすぎましたけど、だからといって自分たちで減らすのは非道じゃありませんか。私は納得いきませんね。
だからね、賛成ですよ。
人間の代わりに死んでくれる、人造人間。いいと思います。これは倫理的に問題ないと思いますね。
だって、人間じゃないでしょ? いいですね。どんどん死んで貰いましょうよ。 ――いつかのニュース。太っちょなコメンテーターの言より。
※
日曜日は楽園だ。
主に外国で信仰されているキリストが復活し、ほとんどの教会で礼拝が行われる素晴らしい日。そして学校が立ち入り禁止になる日でもある!
なんて素晴らしいんだろう。僕は日曜日が大好きだ。死んだと思われていたひとが復活して喜ばれたことはちょっとかなり僕的には同情してしまうけれど、それを表に出すと街のどこぞに潜んでいる宗教過激派たちに何を洗脳されるか分かったもんじゃないので、そんな同情はおくびにも出さず日曜日の素晴らしさを堪能している。
だって一日中家にいていいんだ。家というのは僕と先生が暮らしているそれなりにセキュリティのあるアパートの一室のことで、たまに他階に出張に行くこともあるけど、基本はのんべんだらりと過ごせる。先生は死にたいと思わないタイプの人間だし、僕はいつでも死にたいが死なせてくれないと死ねないタイプの人造人間。つまり先生ひとりのそばにいれば、強制的に心臓がおかしくなることもないし、死んでから目覚めるという絶望も味わわずに済むというわけだ。ひとを狂わす恋も愛もない。概ね平穏な時間が流れてくれる。
「なのになんで僕はこんな地獄の真っただ中にいるんだ?」
僕が背筋を伸ばしながらそう声を上げると、背中を丸めて隣を歩く先生は不機嫌そうに答えた。
「もう一度最初から説明しようか」
いらないよ、僕は首を横に振って、伸ばしていた背筋を先生を真似て曲げてみせる。下から覗き込むように人差し指を彼の左胸へ突きつけた。
「心臓がおかしくなってないか? 周りをよく見てみてくれよ、先生。あんなにみんな楽しそうにしてるのに、誰かしらは少なからず死にたいと思ってるんだぜ」
「頭もおかしくなりそうだな」
「もうなってる!」おかしさを示すために僕はパーカーのフードをばさばさしながら被った。「僕が繊細な人間ならとっくに気が狂ってるね。死にたいんならみんなもっと死にたい顔をするべきだ。気味が悪い」不満たらたらを示すために思い切り眉をひそめ、しかし視線をやった前方にクレープ屋を見つけてフードを外す。「クレープ買って来ていい? げろ甘なものが食べたい。せめて死ねない代わりに」家族連れや友人同士、ひとりの買い物客、ショップの店員、賑わううちの誰々かは、薄っすら死にたいと思っていて、僕の心臓をずれた本棚のようにおかしくさせている。高校にいる時はもう慣れた鼓動の跳ね方をしているが、あんまり行かない場所に来るとこの不慣れな鼓動になって大変気持ちが悪い。
しかも日曜日、休日、この片墨町の大型ショッピングモールだ。
街中に建っているし、内も外も人間だらけ、正直心臓が胸から仰け反って出てきそうだった。
けれどそれも仕方ない。仕事である。
僕たちはこのモール内の見回りをしなければならない。変態で(僕言)くそったれな(先生言)政府の連中から任されたものは、遂行しなければならない。先生からされたそんな簡潔な仕事の説明は、先生自身ひどくげんなりしていて僕たちは一蓮托生だった。だからクレープを買うことだって許されるはずだ。
先生はいくらか同情と疲れを滲ませた声で言った。
「……死にたくなるくらい甘いもん買ってきていいよ」
「激甘だぜ先生!」僕は先生の過保護に感謝してクレープ屋へ走った。
「朝からよく食えるな」
「ものすごく美味しい」
「そりゃ良かった」と言いつつ買った珈琲を飲んでは顔をしかめている。僕の買ったチョコレートと苺とブラウニーと生クリームとウエハースがごてごて飾りつけられているクレープはげろ甘で美味いが、珈琲は苦いだけでいまいちらしい。そういう顔をしている。(珈琲に苦い以外の味があることが僕には信じられないが)
先生はスラックスのポケットから端末を取り出すと、いくつか操作して珈琲を啜った。眉間の皺が深くなる。「まー、とりあえず見回りだな。場合によって自殺者予備軍の阻止、及び代死も並行する」まるで珈琲だけに苦味を感じているわけではない渋面だ。
そんな顔をするなよ、おかしいな、僕はちょうど舌に乗ったチョコレートの塊を噛み砕きながら思った。おいしい。甘い。そして先生はおかしい。大体いつも思っていることだが、今日は更に深く切り込んで思った。先生は僕に死んでほしくないんだろうか? 代死について良く思っていないことは明らかだし、管理者としての立場と人道的な優しさでがんじがらめになっているのは知っている。その面倒見の良さも。ただ、それにしたって、死ぬことが生きることの僕に死んでほしくないと思うのは、どういうことなんだろう?
「……はーい」
僕は考えるのをやめた。心臓だけじゃなく本当に脳みそもおかしくなりそうだったから。
その脳みその思考回路より心臓の脈拍のおかしさが上回ったのは、ショッピングモールの二階、クレープを食べ終え子ども服売り場を通り過ぎたころだった。
左胸の内側が急激に跳ね上がり、全身に血液を巡らせ、そうして逆循環して異常を知らせる。けれど鼓動はすぐ通常通りの脈拍を刻み出し、体中を駆け巡る血液だけが、異常事態ですがあなたにできることは何もありませんと訴えてきている。
僕の心臓から見えない方位磁針みたいなものが伸びて、視線と意識を誘導させた。
振り返った数メートル先、子ども服売り場と隣の紳士服売り場の壁の隙間――非常口がある――に、子どもの手を引く大人の姿があった。三、四歳くらいの女の子と、三十代くらいの女性だ。
その二人の姿が見えなくなった時、心臓から向いていた矢印がやんわりと消えて血液の流れを正しくさせるのを感じた。
「……先生」
僕は首を前に戻して隣を歩く保護者に訊く。「ちょっと質問なんだけど、大人に殺されそうな子どもがいたら、どうするべき?」
「助けるべきだ」即答だった。「大人は子どもを守る義務がある」なるほどその義務感も先生を苦しめている要因だろう。
僕はうんと頷いて踵を返した。一拍遅れて先生が「なんで今そんな質問を」と僕の方を向いたが、その時にはあの二人が消えた通路へ駆け出していたので、先生の疑問には身を以て答えることになりそうだ。数メートルの距離を縮めるにつれまた心臓がおかしくなって喚き始める。“それはあなたの仕事じゃありません”
うるさい。死ぬのに違いも何もあるもんか。
代わりに死ぬんだったら、それが自殺でも他殺でも同じことだ。
非常口に繋がる通路に踏み込むと、白い壁のくせして妙に暗い奥まった非常口前に、女性の後ろ姿が見えた。彼女の体の影になって、小さい子の姿は見えない。僕はなるべくスニーカー裏が音立てないよう駆け寄り背後に近づくと、間髪容れずその肩を掴んだ。
途端に悲鳴が上がって彼女は腕を振りぬいた。
「げっ」
女の甲高い叫びに僕のしくじった呻きが混じる。なぜなら彼女は右手に刃物を持っていたし、やみくもに振ったそれが僕の二の腕に突き刺さったし、心臓がだから言ったのにと呆れたように拍動してきたし、ちくしょう腕を刺されたんじゃ死ねないよと僕が残念がったからだった。欲を言うとこのうるさい心臓を黙らせてほしかったのだ。
彼女は刺すつもりはなかったのか、というか子どもを殺そうとしていきなり背後からストップをかけられたのだ、完全にパニック状態なのだろう、僕に刺さる刃物――ハサミだ――から震える手を中々外せずにいるうちにふと気を失って床に崩れ落ちた。咄嗟にそれを支えながら床に膝をつき、ようやく見えた小さな女の子に向き合うと、その子は俯いてぶるぶる震えている。
「きみ、大丈夫? 大丈夫じゃないよな、待ってて、今この場を治める大人を呼んでくるから」
そういうことは先生が適任だ。立ち上がって戻ろうとすると、女の子が何事かを呟くのが聞えたため、更に屈み込んで身を寄せる。「どうしたの? あー、もしかしてこの人、お母さんだった?」それにしては似ていない。
女の子はスカートの裾を握っていた小さな手を解くと、こちらに伸ばして顔を上げた。櫛通りの良さそうなおさげ髪が動きに合わせて揺れる。
小さくふくふくした手が僕の腕を掴んだ。
「しょくむぼーがいよ、クソガキ」
拙い言葉遣いとともに、二の腕に刺さっていたハサミがその手によって引き抜かれた。