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代死人の寺野くん  作者: 年越し蕎麦
season1
10/62

無防備だよ寺野くん 上

 人間が一番無防備な時は食事をしている時でもトイレや風呂に入っている時でも眠っている時でもなく、死んでいる時だ。

 死んでいる間、防備などできるはずもなく、ただ無として人間はそこにある。

 寺野が一番好きな時間は、その死んでいる間、つまり無である時間だった。






 

「ワッ!」

 と横から声を上げられた僕は、見開いた目を向けて、こいつぁたまげた、と漏らした。「どーかした? 横田ちゃん」それからそう首を傾げて見せると、彼女は自分の席である僕の後ろに回りながら、「ぼうっとしてるみたいだったから、驚くかなと思って」と言いつつちょっと不服そうに唇を曲げた。

「あんまり、驚かなかったみたいだけど。ごめんね」

「そんなことないよ。心臓、もんどり打ってるよ」

 廊下側の一番後ろの席に着いたクラスメイトの横田ちゃんは、僕がそう返しながら椅子を引いて窓に背を預けるのを、目を眇めて眺めている。背もたれと彼女の机にかけて左腕を置いた僕は、そこに体重をかけながら、つまり少しばかり彼女の方へ身を乗り出しながら、また、どーかした? と訊いた。

 横田ちゃんは机の上でお弁当の包みを解きつつ、いや、と答える。

「寺野くんて、無防備に見えて、わりと防御力高いのかなって」

「……防御力高かったら、刃が皮膚突き破らないぜ。見る?」

「見ない」

 気軽に断言し、箸を持って両手を合わせる。いただきます、告げた彼女とその手元に広げられた小さなお弁当を見て、あれ、珍しいな、と思う。「お昼ひとり? いつもの友だちは?」

「さっき教室行ったら、お休みなんだって。今日はつまんない日だわ」

「だから僕にドッキリを仕掛けたのか」

「失敗したけどね」

「驚いたのになあ」

「うーん。あんまり分かんなかった」

 横田ちゃんは真面目で大人しそうに見えるが、案外ハッキリものを言うし、僕をわりかし人間側として見ている。でも先生のように罪悪感を抱えた見方ではないので、会話をするのがとびきり楽だった。

 僕も既に齧っていた惣菜パンを口に運び、もぐもぐ咀嚼する。焼きそばパン。購買、百三十二円。周りはグループで食べていたりそうでなかったり、あまり騒がしくはないが、スピーカーから流れる音楽が陽気に流れていけるほどの話し声たち。部活がどーたら、吸血事件がこーたら。

 その話し声のひとつ、横田ちゃんの声が僕に向けられる。

「寺野くんてどーいう時に驚くの?」

 その丸い瞳は純粋な好奇心に満ちている。いいね、と思った。そういう目で見られる方がよっぽど楽しい気分になる。問答は好きだ。僕と横田ちゃんはおそらく友だちという括りに入れてもいいと思う。周りと彼女自身がどう思うかは知らないけれど。

 そしてどうやら本当に先ほどの「たまげた」を信じていないらしい彼女に、僕は仕方ないなと口の中のものを飲み下す。

「そうだな。本当に心底ぶったまげるのは、目覚めて先生がいない時かな」

「紺野先生?」

「そー」

「目覚めてって、朝ってこと?」

「いんや、死んでから目が覚めた時ってこと」

「……私には分かんない感覚なのかなあ」

「たぶんね」

「死んでる時って、眠ってるの?」

 彼女は玉子焼きを口に入れた。もぐもぐ、もぐ。

 美味しそうだね、と言ったらもぐりと頷いて返事してくれる。美味しいらしい。

「死んでる時は、眠ってはいないな。夢は見ないし、何もないし、何も感じないし、休んでる感じもない。無なんだよ」

「無」もぐりもぐり。

「そう。無だし、無防備。そこから目が覚めた時には、必ず先生がいるもんだから、いなかったら……というか来なかったら驚く」

「なるほど」ごくん。「じゃー寺野くんが心底驚く顔は誰も見らんないね」

「横田ちゃん。もしや僕に興味ある?」

「かなりね」

「そーいうとこ好きだなあ」

「私も。楽で好き」

「なんだろなあ。恋愛のれの字もないな」

 残念がって焼きそばパンを食べる。横田ちゃんはまた興味深そうな顔をした。

「代死人て、恋愛できるの?」

 僕を人間寄りに見ながらも、代死人の寺野個人として見てくれている言葉。彼女のそういう寛容で知的好奇心に満ちた姿は、大人びていたし、逆にもっと子どもっぽくもあった。非常に好ましい部分だ、どうして周りがそれに中々気づかないのか、疑問でもある。前にそれを吐き出すと、先生が、きっと場が合っていないんだよと言っていたから、たぶんこれは今だけ僕の特権なんだろう。彼女のことをよく見える、一番いい席に座れているということだ。いやー悪いね、将来彼女の魅力を最大限引き出せるであろうまだ見ぬ場というやつに内心手を振りつつ、パンを飲み込んでにやりと笑って答えやる。

「それは恋愛の定義から話し合わなきゃ、正確な答えを出せないやつだ」

「浮かれトンチキになるのが恋で、バカ沈みするのが愛でしょ」

「やべーこと言うね横田ちゃん。お茶目さんか? 恋愛経験済み?」

「想像で言った」

「想像でその即答ができるなら大したもんだと思う。録音したかった」

「やだよ恥ずかしい。寺野くんは?」

「横田ちゃんの恋愛の定義でいくと、」

 僕は残りの焼きそばパンを口に放り込んだ。次いで机からメロンパンを取って袋を開ける。購買、百二円。取り出す際に落ちかけた皮の欠片を、焼きそばを飲み込んでから放り込む。甘い。それから喋るために口を開き、言う。

「僕は死にかけてる時に恋をしてるし、死んでから目覚めた時に愛を感じてるね」

 死にそうな時は今度こそ死ねるかもしれない死にたいという思いで浮かれトンチキになる。

 死から目覚めた時は、つまり生き返った時はまた死ねなかったという思いでバカ沈みする。 

「だから恋愛できるし、既に経験豊富だ」

「そーきたかあ……」

 彼女は悔しそうに梅干しが染みている部分の白米を食べた。酸っぱそうに眉根を寄せ、ううんと唸ってなどいる。僕はメロンパンに齧りついた。ソースの味が追いやられていく。

「じゃー寺野くんは、恋をして愛を感じてる間が一番無防備ってことか」

「おっと」僕は口からメロンパンを離した。「うまい具合に話がまとまったな」

「うん」

 ご飯を食べる横田ちゃんが頷く。

「つまり紺野先生は、寺野くんを一番よく見える立ち位置にいるってことよね。逆も然り。そーいうのは、ちょっと、羨ましいな」

「……きみにそれ言われると肩身が狭い」

 そうなの? と不思議そうにされたので、そーだよと返す。本当に。うまい具合に話しがまとまってしまった。早く彼女のことをよく見てよく見られる立ち位置――場に立つ人が、現れればと思う。そうしたら彼女はもっと楽しくなるだろう。「……もうすぐ昼終わるぜ。つまんない日になりそう?」訊くと、横田ちゃんは自分の発言を思い出したのか、あっという顔をしてから笑みを乗せた。

「友だちには悪いけど、わりと楽しかった」

 案外その友だちというのが、既に場を予約していたりするのかもしれない。

 まあそんなのはただの勝手な想像だけれど、僕は得意顔して笑い返した。

「僕も。今日は楽しく終われそうな気がする」




 

   

 

 楽しく終われそうな気がしていただけで実際楽しく終われるかというともちろんそれは、その後の誰それの行いに左右されるわけで、でもだって期待通り一日を終わらせてくれてもいいじゃないかと不平を漏らしたくもなってくる。こういう時、一体誰に不平を漏らせばいいのか。たとえば自分。結局のところ楽しい思いをなくしてしまったのは自分だから。そんな馬鹿な。


「……、……っ」


 とりあえず何か口汚いことを吐こうとした喉は、ひゅうひゅう虫の息を漏らすばかりでちっとも役に立たなかった。

 家庭科室、床の上。包丁で自分の腹を刺した僕。

 じわじわとシャツとブレザーが血に濡れていく感覚が肌に伝わる。猛烈に痛い。激烈に痛い。早く死にたい。どうして家庭科のおっとり宮内先生はこの方法で死にたがったのだろう。もっと優しくいい死に方があるのに。ううと呻いて額を床に擦りつける。包丁の柄が押されて更に深く肉を突き破った。ぐうと歯を食い縛る。

 まだ心臓は緩やかに動き続けている。死ぬまでもう少し時間がかかりそうで、一刻も早くあの無の時間に抱き込まれたいと意識を強くする。痛みも感情も何もない、あの死んでいる間。

 あれはきっと天国と地獄の狭間なんだろう。

 代死人の行き着く場所だ。

 本当は清らかなる天使様の腕に抱かれたいけれど、そんなことは無理なので、あの生死の停留所をお気に入りの場所にしている。早く。はく、引きつった喘鳴が漏れ出る。早く。手足が痺れて動かなくなってくる。

 流れ出る血が冷たいな、そう思ったのが最後の思考だった。

 僕は死んだ。




 そして全く見知らぬ場所で目覚めた時、心底驚いてウワッと悲鳴を上げたし、また死ねなかったと悲しくなって顔をしかめた。


 目の前に、知らない人間が立っている。

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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちは。今日も読めて嬉しいです。 寺野くんの話し方などから、彼はほぼ人間と変わらないと感じるのに「僕は死にかけてる時に恋をしてるし、死んでから目覚めた時に愛を感じてるね」というセリフに彼…
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