光の中の約束
宮城県北東の町に、ナナとユキというふたりの少女がいた。
ふたりは、同じ時期に、同じ施設で出会った。
施設の名は「ひまわり」という。海を一望できる小高い丘の上に建てられた、児童養護施設である。
そして、時期は、1978年6月。
先日発生した宮城県沖地震により、身寄りを亡くした彼女たちはこの施設に預けられることとなったのだった。
ナナの名は、相田菜々緒。7つの誕生日を迎えたばかりだった。
ユキの名は、斎藤小雪。まだ6歳だった。
ふたりは、しばらくは広い施設の中をひとりで過ごしていた。
職員が声をかけても、他の子供たちが遊びに誘っても、部屋の片隅にうずくまり、ただただ時を過ごす。ぼうっと宙を仰いだかと思えば、じっと地を見つめたりしていた。
そんなある日のこと。少女たちに変化が起きた。
部屋の隅で体操座りをしたままじっと動かないユキのもとへと、ナナが歩み寄る。そして、その小さな手を差し伸べたのだ。
それまで誰にも心を開かなかったユキは、そんなナナの手をそっと握った。
こうして、この日からふたりは親友となったのだ。
「ナナちゃん。もうすぐ、ばらばらさなっちゃうな」
ユキが残念そうに言った。
ふたりは、もうじき中学校を卒業する。義務教育を終えたら、ユキは「ひまわり」の職員となり、ナナは東京の高校に通うことが決まっていた。
「これ行がねか?」
ユキは1枚のチラシを見せた。
「『杜の都』から『光の都』へ……? 仙台のお祭りか?」
「うん。なんかな、街がライトアップされるんだと。綺麗だろうなあ」
「いづからだ?」
「来月。12月2日からだよ。なあ、行こうよ、ナナちゃん」
「そうだな。きっと、いい思い出になっちゃな」
こうして、ナナとユキは、仙台市のお祭りに参加することになったのだった。
「光のページェント」とは、「仙台市の冬を明るくしよう」というコンセプトのもとに、1986年より開催された光の祭典である。仙台市都心部の定禅寺通と青葉通のケヤキ並木に、数十万にものぼる数の電球を取りつけて点灯する、イルミネーションイベントであった。
ナナとユキは、初回点灯日の1986年12月2日、電車に1時間ほども揺られながら仙台市にやってきた。そこからさらに30分も歩き、最もケヤキ並木が見事だという定禅寺通に辿り着いたのである。
「うわあ、すっげえ人だなあ」
仙台市に着いた時から人の多さには驚いたものだが、定禅寺通に入った途端、堪らずにナナの口から感嘆の声が漏れた。ユキはそれを聞きながら、ナナの隣でこくこくとうなずいている。
「同じ宮城とは思えねえな」
「そだなあ」
「なあ、ユキ。今、何時だ?」
「5時すぎ。あと30分ぐらいで始まるんじゃねえがな?」
たくさんの人で賑わう定禅寺通のケヤキ並木には、すでに数多の電球が取りつけられている。5時半を回ると、これらが一斉に点灯するというのだ。
「ナナちゃん、もうすぐだよ」
腕時計に目を向けていたユキが、高らかな声でナナに伝える。
「うん!」
いつもクールなナナも、この時ばかりは、幼い子供のように目を輝かせてケヤキ並木を見つめていた。
そして、ついにその時を迎える。
「ナナちゃん……ナナちゃん……っ!」
時刻になると同時に空を見上げたユキが、隣にいたナナの手を握りしめながら呼びかける。
「……降ってくる……!」
ユキの言葉に、ナナは、
「……うん!」
そううなずくと、
「光が、降ってくる……!」
ユキの言葉を補うようにつぶやいたのだった。
それからふたりは、人と光で賑わう定禅寺通を青葉通に向かって歩く。その後、予約していたビジネスホテルに泊まった。
「ひまわり」の規定によれば、本来、施設の子供たちが外泊をすることは認められていない。しかし今回は、特例として許可されていたのだった。
年が明け、降り積もった雪も溶け始めた3月のこと。
ナナは、ユキと、これまで育んでくれた「ひまわり」のみんなに別れを告げた。
「ナナちゃん、手紙、待っでるからね」
「うん。住所がわかっだら、必ず連絡すっから」
「うん。あと、あの時の約束も……」
「……うん」
「……ナナちゃん」
「泣くでねえ、ユキ。また会うべ!」
こうして、ナナは単身、東京へと旅立って行ったのだった。
東京の高校に通い始めたナナは、「ひまわり」での長閑な生活が嘘のように、忙しい毎日を送っていた。
体を動かすことの好きなナナは、硬式テニス部に入った。
それまでテニスなどしたことのなかったナナだが、人一倍勝気で負けず嫌いな性格のためか、1年生にしてレギュラーに選ばれるほどに上達していた。学業においても常に上位の成績だった。また、その人あたりのよさから、ナナの周りにはいつも人の輪ができていた。
学業に部活、初めてのひとり暮らし、アルバイト、そして友人たちとの付き合い。そういった忙しさの中で、ナナはユキとの約束を忘れていたことに気がついた。
「あ……そういえば、住所を知らせていない」
そうつぶやいたのは、高校生活が始まって3ヶ月がとうに過ぎ、そろそろ4ヶ月が経とうとする夏休みを目前に控えた日のことだ。
この時、ナナは自分の気持ちに違和感を覚えた。それは、ユキとの約束を忘れていたというのに、まったく焦りを感じていないことにである。
「ひまわり」にいた時は、ナナにとってユキは、紛れもなく誰よりも大切な存在だった。
だが、今となっては、その時の気持ちを思い出すことができなくなっていたのだ。
高校を卒業すると、ナナはアルバイトで稼いだお金で大学へと進んだ。
大学を卒業すると、今度はアルバイト先に仕事ぶりを認められ、正規社員として働くことになった。
そして、職場の先輩と恋に落ち、25歳で結婚した。
順調すぎる毎日。そんな中で、ユキのことを思い出すことは、もうなくなっていた。
――そう……あの日、あのニュースを目にするまでは……。
それは、ナナが東京に出てきてからちょうど24年が経った、39歳のある日だった。
家にいたナナは、地底から響くような揺れを感じた。
――東日本大震災である。
ナナは、アドレス帳を引っ張り出すと、「ひまわり」の番号を押した。東京に出てきて以来、「ひまわり」に電話をかけたのは初めてだった。しかし……つながらなかった。
回線が混雑しているためだろうと、公衆電話に走った。だが、こちらも結果は同じだ。呼び出し音すらも鳴らない。翌日も、翌々日も、同じだった。
ある日、ナナは宮城に帰る決心をした。
宮城を離れてから実に31年の年月が経ち、ナナは47歳になっていた。
東日本大震災より7年が過ぎ、あと数ヶ月で8年目を迎えようとしている。
「福島の問題もあるようだけど、東北もだいぶ復興したらしいな」
ナナの夫が、ニュースを観ながら言う。
「福島の原発事故なんて、本当はたいしたことないのよ。今では、あれは風評被害だったという人もいるんだから」
ナナは、それに答えて言った。
「原発事故で漏れた放射能より、病院の検診を受ける時に浴びる放射能の方がずっと強いのよ。それに、あの震災で、日本の原発の優秀さが、世界的にも注目を集めたの。実際に、あの震災以来、日本の原発はたくさん海外に出ていっているわ。原発をなくせという政治家もいるけれど、とんでもない! 原発は日本の大きな産業のひとつよ。だいたい、震度7なんて地震が起きたら、風力だろうが火力だろうが、何かしらの事故を起こすわよ」
熱のこもった話しぶりに、夫は含み笑いをもらす。
「ずっと、気にかけていたんだね」
続けて言う。
「家のことなら気にしなくていいよ。行っておいで。故郷に」
その言葉にあと押しされるように、ナナは宮城へと旅立ったのだった。
仙台に着いたナナは驚いた。
31年ぶりに見る仙台は、あの頃とはまるで活気が違う。
「そういえば、仙台は政令指定都市に登録されたのよね」
つぶやきながら、ナナは人混みをかき分け、電車に乗り込んだ。
1時間ほども揺られ、「ひまわり」のあった地に辿り着いた。だが、今、そこには何もない。
「ひまわり」だけではない。周囲にあった建物が、すっかりなくなっていたのだ。
ガードレールは平らに伸ばしたように倒れ、電信柱も倒れかけながらかろうじて立っている状態だ。
それは、津波の凄まじさを物語っていた。
震災の日、何度電話をかけてもつながらなかった。呼び出し音すら鳴らなかった。
だから、予想はしていた。
海に臨む場所に建つ「ひまわり」が、無事であるはずがないと。
だが、それでも、「ひまわり」は丘の上に建っている。
――もしかしたら、津波が起こったにしても、「ひまわり」は無事なのではないか。
――津波は、「ひまわり」を避けていったのではないか。
一時期、そんな勝手な妄想に縋りついた。
「……あるわけ、ないじゃない……っ」
ナナは、その場に膝をつく。
戦後最悪の震災と言われた東日本大震災では、1万9千もの死者・行方不明者を出したのだ。津波が、「ひまわり」だけを避けて通ることなどありえない。
両手で地面をつかみ、地につこうかというほどに頭を垂れた。
その時、
「……あの」
背後から声をかけられた。ナナは、驚きとともにそちらを向く。50代と思われる男性が心配そうにこちらを見つめていた。
「どうかしましたか?」
「……いえ」
ナナはおもむろに立ち上がると、男性から目を背けたままにその場を立ち去ろうとした。しかし、
「もしかして、ナナさんでねえべか?」
そう言われ、ナナは立ち止まって男性を見やる。……見覚えはない。
「相田菜々緒さん。……違ったべか?」
「……あなたは?」
「小雪の夫です」
「……ユキの?」
ナナは、食い入るようにその男性を見た。目尻の皺が優し気な印象を与えている。
「ユキは、今どこに?」
「……死にました」
想像はしていたが、はっきりと告げられると、目の前が途端に真っ暗になるようだった。
「震災の日に、津波で」
しばらく呆然としていると、
「おらいにきてけさい。そう遠くねえから」
ユキの夫がそう言った。
「見せたいもんもあるし」
見せたいものというのが気になったナナは、ついて行くことにしたのだった。
そこは、「ひまわり」から車で30分ほどのところにあった。
ナナを居間へ通すと、ユキの夫は奥の部屋から1冊の本を持ってきた。それは、水に濡れたのか膨張してしまっている。
「小雪の日記帳です」
ナナは、思わずそれを受け取った。
「……見ても?」
「ぜひ、見てやってけさい」
そこで、ナナはごわごわとしたページをめくる。
日記は、毎日書かれているわけではなかった。
最初は3日間続けて書かれていたが、その後1週間ごとになり、1ヶ月、3ヶ月、半年と伸びていた。
――ユキらしいわ。
思わずくすりと笑った。
読み進めるうち、ナナはあることに気がつく。
ずぼらなユキが、毎年欠かさずに書いている日付があったのだ。
それは、12月2日だ。
「毎年、初日に欠かさず行ってたんですよ」
「……光のページェント」
「ええ。毎年、ひとりでねえ」
「ひとりで?」
「一緒に行くべって誘ったんだども、断られました」
「……どうして?」
「約束があるからって」
「……」
「毎年、初日に見に行く約束をした人がいるからって」
ナナの脳裏に、31年前の光景が浮かぶ。
光が降り注ぐ中で、ユキが言った。
――来年の今日も、ふたりで光のページェントを見よう……と。
ナナはうなずいて答えた。
――毎年、その日に必ず帰ってくる……と。
ぽたりと、日記帳の上に滴が落ち、ナナは慌ててそれをふきとった。そして、熱をもった目頭を押さえる。
「最後のページさ見てけさい」
言われるままに、ナナはページをめくった。
走り書きのような字が書かれていた。
「小雪の、最後のメッセージです」
死ぬ間際に書いたのだろう。
そこには、「ひまわり」のこと、夫への感謝、子供への母親らしい言葉などが綴られていた。そして、最後に、ナナにあてたと思われるメッセージもあった。
――生涯最高の親友へ。
会えない時間がどんだけ長かっだども、おれん中の友情は決して色褪せるごだねえよ。またな――
「さよならで、終わらせたぐなかったんだべなあ」
「もっと、早くくるべきでした」
「まあ、事情があったんだべ?」
「……怖かったんです。私は、宮城県沖地震で両親を亡くしました。それが、また……それ以上の震災に遭うなんて……」
「宮城には、つらい思い出がいっぺえあったんだないや」
「でも、『ひまわり』の思い出だけは違う。私にとって『ひまわり』は、ユキとの思い出は……輝いていたはずだったのに……」
ナナは日記帳を閉じる。
「……私、行ってきます」
「行ぐって、どこさ?」
「ユキとの約束の場所」
「ああ。光のページェントは今日からだからな」
「え? 今日は14日ですよ?」
「んだ。年々、金が集まらなぐなってるみてえでな。今年は今日からなんだど。だから、今日『ひまわり』さ行ったんだべ」
「どういうことです?」
「小雪との約束を思い出したナナさんがくるとしたら、ページェントの初日だべ? そんで、その時には、きっと『ひまわり』に顔を出すんじゃねえかと思ってな」
「もしかして、待っていたんですか? 毎年、ページェントの初日に『ひまわり』で……?」
ユキの夫はこくりとうなずくと、微笑んだ。その笑顔は、長い間手がけていた仕事を終えたあとのように、晴々としたものだった。
ナナは、定禅寺通にきた。
陽が沈み、辺りには暗闇が押し迫る。
点灯まで5分を切っていた。
点灯を待つ人々がケヤキ並木を見つめている。
仙台は百万人都市となり、人口も増えた。だが、31年前に見た時の方が賑わっていた気がする。
そんなことを思っていると、隣で子供が、腕時計を見ながらカウントダウンを始めた。それにつられるように、周囲の何人かも子供の声に重ねる。そして、声がゼロを告げた時、一斉にケヤキ並木に光が灯った。
――なんでだろう。あの時の方が、ずっと綺麗だった気がする……。
そう思いながら空を仰ぐ。まるで、闇夜を照らす光の柱が立っているかのようだった。
――あの時は、光が降り注いでいるように見えたな……。
その時、何かが降ってきた。
頬に触れたそれは、ひやりと冷たかった。
「雪だ!」
隣で子供のはしゃぎ声が上がる。
光の中を、白い雪が舞い降りる。
「初雪かな」
「今年は早いね」
恋人同士の会話が聞こえてくる。
この時、ナナの脳裏に「またな」という言葉がよみがえった。
ナナの頬を滴が伝う。
「ユキだ……ユキが、舞い降りてくる……」
ナナは、ユキに恨まれても仕方がないと思っていた。だが、日記帳を読んで知った。ユキは、決してナナを恨んでなどいなかった。
「またな」……そう、ユキは言った。
「……ただいま、ユキ」
あれから、31年という年月が経った。
理想の形ではなかったかもしれない。
だがナナは、光の中でかわした約束を、ようやく遂げることができたことに感じ入っていたのだった。
2019年5月31日
イデッチ様主催「ご当地になろうコン」に参加しておりましたが、本日結果が発表されました。
本作は、なんと、大賞を受賞致しました!!
大賞特典ということで、審査員をつとめて下さった方々より賞品を頂きましたので、ご紹介致します。
まずは、ひょろ様。
有名な方なので、ご存知の方も多いと思います。
なろう界におけるカリスマ的読み専、そう、あのひょろ様です♪
このたび、審査員をつとめて下さいました。
驚くことに、本作、ひょろ様より最高得点を頂きました!
そして、賞品としてレビューを書いて頂いたのです。
素敵なレビューなので、ぜひご覧下さいね(*^^*)
それから、AiR様。
企業のイメージなどを手がけていらっしゃる、プロの方のようです。
審査員をつとめて下さいました。
大賞賞品として、ブックカバーを頂きました!
まるで、ナナかユキにでもなったみたい。
光が降りそそぐイメージが素敵ですね。
本作の表紙を飾らせて頂いております♪
そして、はとり様。
プロの絵師様と伺っております。
審査員をつとめて下さいました。
大賞賞品として、挿絵を描いて下さいました!
かわいいですね♪
表情豊かなナナとユキ。
いつまで見てても飽きないです♪
最後に、コハ様。
沖縄の書道家様です。
審査員をつとめて下さいました。
大賞賞品として、タイトルを書いて頂きました。
しかも、3枚も!!
その中から、一番のお気に入りを挿入させて頂きました(*^^*)
コハ様には、以前、拙作『はつと鵺〜天正伊賀物語〜』と『おかえりなさい』のタイトルも書いて頂いております。
書には詳しくありませんが、私はコハ様の書が大好きです♪
みなさま、このたびは、本当にありがとうございました♪♪