戦鬼の剣
「《烈光刃》!」
男が叫び声とともに振り下ろした剣から、光の刃が飛んできた。
かなりの闘気が練り込まれている。
受けるのは危険だと感じ、盾で擦り上げるようにして躱した。
「《瞬光》!」
直後、再び男の声が響き、目の前で凄まじい光の爆発が起きた。
魔術の発動を感知した瞬間に片目を閉じていなければ、視界を封じられていただろう。
敵が魔術を発動させたとき、片目を薄く瞑るのは戦鬼の戦士として基礎中の基礎だ。
今回は眩しいだけの光魔術だったが、炎魔術などでも目を灼かれる場合がある。
「《守護光盾》! 《双光刃》!」
薄く閉じていた目を開き、走り寄る男の姿を捉えた。
体の周りに、光る円形の盾。
あれはおそらく、こちらの攻撃を防ぐ為のものだろう。
そしてもう一つ。
男の剣が、二重に見えた。
どのような動きをするのかは分からないが、先ほど飛んできた光の刃と同じように、危険なものであるのは間違いない。
男が間合いに踏み込んできた。
首めがけて放たれた斬撃を受け流し、刀身を盾で弾く。
空いた胴体に剣を叩き込んだが、やはり、光る盾によって防がれた。
そのまま、盾を砕いて男を両断しようと力を込める。
だが、直ぐに体を仰け反らせた。
体がなにかを感じとったからだ。
肩に、鋭い痛みが走った。
斬られていた。
骨までは達していないが、深く、肉を断たれている。
男の剣を見た。
光の刃が、刀身に寄り添っている。
男の剣が動く。
光の刃は、一拍遅れて動き出した。
────そういうことか。
左から迫る男の剣を受け流す。
男の剣は直ぐに反転し、逆袈裟に斬り上げてきた。
同時に、左から光の刃が襲ってくる。
剣が上から下に疾る。
光の刃が、右から逆袈裟に剣を追う。
剣が足元を払おうとするのと同時に、光の刃が頭を割ろうと落ちてくる。
厄介な技だった。
熟練の戦士を、二人同時に相手取っているようなものだ。
男の剣を捌ききれず、傷が増えていく。
だが、後ろに退くわけにはいかなかった。
退がろうとすれば、その隙に致命的な一撃を受けるだろう。
その場で耐え続けるしかない。
「おおぉぉぉぉっ!」
男の剣が、さらに速さを増した。
一撃に込められる重さもだ。
傷が深くなり、流れ出る血の量も増える。
二度、三度と際どい深さまで達した傷もあった。
反撃をする隙を見い出せない、嵐のような剣撃。
一瞬でも気を抜けば、ヴォルクの首は瞬きするよりも速く胴体を離れるだろう。
────まさに死地だ。
全身を斬り刻まれながら、ヴォルクは口角が上がるのを抑えられなかった。
これこそ、ヴォルクの求めたものだったからだ。
男の放つ斬撃に、軽いものは一つもない。
一度でも対応を誤れば、即座に死が訪れる。
願ってもないことだ。
一つ死を乗り越える度に、戦鬼は強くなる。
この男との戦いだけで、この一瞬だけで、一体どれだけの死線を越えたのか。
それを思うと、笑わずにはいられなかった。
男と、目が合った。
全身血まみれのヴォルクが笑みを浮かべているのに対し、優勢にあるはずの男の目に浮かんでいるのは焦りだった。
いつまでも決定打が入らないことに対する焦燥だろう。
どれだけ鍛えていようと、人間は人間。無限に動き続けられるわけはない。
止まれば、動けなくなった体の上に、ヴォルクの剛剣が落ちてくる。
男もまた、ヴォルクと同じ死地にいるのだ。
「……っ、オォアッ!」
分かれていた剣が一つに重なり、ヴォルクの剣をかち上げた。
凄まじい衝撃に、右手が大きく後ろに弾かれ、仰け反るように上体も崩れる。
────見事だ!
ヴォルクは、心の中で男の技を賞賛した。
先天的に備わった特殊能力や魔術しか扱えない魔族と違い、人間は後天的にいくらでも武技や魔術を習得できる。
この若い男がこれだけの技量を得るために払った努力は、並大抵のものではないはずだ。
男が勝利を確信し、止めを刺そうと剣を振りかぶった。
ヴォルクもそれに応え、自分が唯一扱える武技を発動させた。
始祖【戦神】より受け継ぐ武技、《剛力》。
その効果は、瞬間的に筋力を増強するという、ただそれだけのもの。
もともと膂力に優れた戦鬼族には、使い勝手の悪い武技だ。
《剛力》によって増強された筋力は、戦鬼ですら持て余す。
だが、ヴォルクは迷うことなく《剛力》を発動させた。
まず、後ろに引いた右脚に。
次に、体を支える腰に。
仰け反った上体を引き戻すための腹筋に。
剣に加速を付けるための背筋に。
その力を伝えるための肩に、腕に。
一瞬にも満たない刹那、剣を振るという動作に必要な全ての筋肉に、《剛力》を多重発動させた。
そして…………
《剛力》を発動させた右脚を踏み込む。
《剛力》を発動させた腰を捻る。
《剛力》を発動させた腹を、背中を、肩を、腕を。
その全ての筋肉を振り絞り、連動させる。
音すら容易く置き去りにして、【戦鬼の剣】が疾った。
男の身を守る光の盾を紙切れのように引き裂き、剣が地面を叩く。
落雷のような衝撃に、大地が揺れた。
半ば以上埋まった剣を引き抜き、体を起こすとヴォルクは男と顔を合わせた。
男は、『信じられない』とでも言うような表情を浮かべ、剣を振りかぶった体勢のままで固まっている。
男の肩から脇腹にかけて、一本の線が入る。
その線が、しだいに赤く滲んでいった。
ヴォルクが見つめるなか、男の体は赤い線に沿ってずれ、地面に落ちた。
周囲から、息を呑むような悲鳴が上がる。
男の死を見届けたヴォルクは、静かに目を瞑ると始祖たる【戦神】に祈りを捧げた。
男の魂が、【常在戦場の地】に旅立った後も良き戦いに恵まれるように、と。
そして目を開くと、立ちすくむ雑兵たちには目もくれずに背を向けた。
この場には、もはやヴォルクに立ち向かおうという気概を持ったものは存在しない。
感じるのは、怯えた山犬ような情けない気配ばかりだ。
怯懦な者たちの血で、この素晴らしい死合の余韻を汚したくなかった。
先ほどの斬撃で芯がダメになった曲刀を投げ捨てると、ヴォルクはその場からゆっくりと歩み去っていく。
後を追う者は、誰もいなかった。