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黄昏diversion  作者: ぷぷ。
黄昏前のプロローグ
4/10

黄昏前の序章:過去視「ゴドウヨウスケ」

「ありがとうございましたー」


 客が出ていくときの、カランカランという乾いた鈴の音が聞こえる。

 入口から熱気が入り込んできて、俺は早く閉まれと願った。


 ビルのワンフロアを間借りした店内では、70年代後期のハードロックが流れていた。


 カウンターの上に置かれた砂時計の向こう側で、ペンがカタカタと歪な音を立てて転がっている。

 さっき店長が客の1人にポイントカードの契約をさせてそのままだから、キャップがない。

 落ちるだろうな……拾わないとだよな……でも落ちるところを見てみたい。


 ――と、同じような鈴の音を立てて、今度は客が入店した。


「いらっしゃいませ」


 ペンから意識を逸らして入店した客に挨拶すると、そいつはビクッと震え上がった。


「あん……?」


 明らかに挙動不審な男子高校生は、イヤホンを片耳だけ付けて俺を避けるように店の奥へ向かった。


 もっさりした前髪で表情を確認できず、怪しさ満点だ。

 うちの店は小さいが、店長が大のロック好きでインディーズのアルバムも取り揃えているため、音楽好きの若者が来ることも珍しくない。

 ただ、未だに音楽やる奴はワルという風潮があるのか、大抵がちょっとひねくれたようなガキ共ばかりだが。

 ちょっと前に出てった若いのも、髪が赤くて奇抜だったな。


「けど……今みたいな地味なのも、案外肝据わっててサラッと取ってくんだよな」


「また仕事をサボってお客様を疑っているのかい? 籠堂ゴドウ君」


「うげ……店長……」


 思わず声が漏れる。

 いつの間にか、俺の背後に店長が立っていた。

 どこかのカフェのマスターかと思うような好々爺然とした風貌で、俺のことを見上げている。


 そして、皺の多い顔をにこやかに歪めてみせた。


 この笑い方をする時の店長は、機嫌が悪い。


「ははは。うげ、はないだろう。籠堂君」


「す、すんません……」


「いやいや。君には助けられているんだよ。君が来てからこの店での盗難は急激に減ったからね。その顔付きで苦労しているとは思うが、籠堂君はうちのエースだよ」


「うちの従業員、俺と店長だけじゃないっすか……」


 そもそも、恐さでも店長に叶う気はしない。

 確かに俺の顔付きは強面で、実際に学生時代は色々と悪行を積み重ねたかもしれないが、この人はそんな俺を圧倒する恐ろしさだ。

 いつも穏やかに笑ってて何考えてるのか分からない上、立ち姿に全く隙がない。

 1度キレて殴り掛かったこともあったが、次の瞬間には視界が反転していた。


 店長目当てでくる客の中にはヤバげな人もいるし、踏み入ってはいけない何かを感じる。


「だがね。仮にもお客様だから、あまり疑わないでくれないかな。ほら籠堂君の場合、顔に出るから。じゃあ……ハイ」


「……」


 店のハタキは2種類あって、綺麗な毛バタキと汚い布バタキがある。


 笑顔で手渡されたのは、長年使ってボロボロになったピンクの布ハタキだった。

 手に取るだけで油っぽいベタベタとした感触がするうえ、布部分は年季の入った汚れから黒ずんでいる。


「さ。店内清掃頼むよ」


「くっ……。はい……」


 これを渡すということは罰に等しい。

 意味するところは店内清掃時間中の無給労働。

 店内は小さくも埃っぽく、イチャモンを付ければいくらでも清掃時間を引き延ばせるって算段だ。


 これは相当におキレでいらっしゃる。


 砂時計をひっくり返しどんぶり勘定な時間の計測を始めた店長の顔を見るこもできず、俺は薄暗い店の奥へと歩みを進めた。



 ◇



 乱暴に扱えばハタキについた汚れの重みで簡単にCDケースやレコードを壊してしまうので、それなりに気を使いながら清掃をする。


「あ?」


 棚をいくつか曲がると、一際暗いところにソイツはいた。

 完全に忘れていたが、さっき入店してきた地味なガキだ。


 黒髪に黒イヤホンに黒学ラン。

 背筋が曲がって本来よりも小さく見える、特徴のない男子高校生。

 影の薄い地味の権化みたいな男。


 俺はコイツを知っている。


黒壌クロツチワタル


「ッ……」


 黒壌は肩を震わせ、俺のことを怯えるような目で見つめた。

 店の隅っこでこの体格差だと、まるで俺が脅しているようだ。


 イヤホンからは、最近巷で流行ってるガールズバンドの曲が漏れてきている。


 なんと男勝りで欲に飢えたメロディだろうか。

 ガキ臭くて聴いちゃいられない。


「な、なんで……ぼ、僕の、名前……」


「あ? そりゃお前もウチの会員だからな」


「あ……」


 ウチにポイントカードを登録した客は、アルバム10枚買って200円引きとかいうどうしようもない利点と引き換えに、手書きで住所氏名職業その他諸々の個人情報を奪われる。

 データ管理も引き出しのファイルに綴じられるだけのホントどうしようもないズサンさで、個人情報保護法は知ったことではなかった。


「つーわけで、俺はお前が"diversion"のファンだってことも知ってる。アンケートにもクソ真面目に答えてたからな」


「じょ、情報漏洩……」


 非難がましい目で控えめに睨む黒壌を、俺は無視した。


「diversionねぇ……『憂さ晴らし』。ありふれた名前のバンドだ。ガキ共はかなりイイって言ってるが、CD聴く限りじゃどうもな……」


「お、お兄さんは……生で、聴いたことあるんですか……」


 お、意外にムキになって反論してきた。

 この俺に対してけっこーイイ目するな、コイツ。


「やっぱ俺の見立て通り、お前には万引き犯の才能があるなっ」


「な、なんですか……それ……」


「なんでもねえ。こっちの話だ」


 犯罪行為に引き込まれるとでも思っているのか、黒壌はさらに隅に向かって後ずさり。

 こんなんじゃ余計に脅しているように見えちまう。


「で、まあさっきの話だが。生で聴いたことはねえよ」


 そう言うと、黒壌は微かに口元を吊り上げて笑い声をあげた。


「あ、アイツら……直に聴くと、凄いんです……嫌に、なる……」


「ま、実際いるな。ライブのときに実力を発揮するタイプってのは」


 嫌になるってのは……演奏力のことか。

 ガキとは思えない正確で重厚な音出してるからな。

 同年代でそんな奴がいることにビビるのは……まぁ、分からなくもない。


「diversionにハマるガキ共はみんな口揃えて同じこと言うが、根本的に違うって程じゃねえだろ。これなら年間ザラにいるレベルだと思うけどな」


 diversionのアルバムを手に取る。

 如何にもって感じのよく分からねえ抽象画のジャケット。ヤツらの1stアルバムだが、インディーズにしちゃわりかし売れ行きはいい。

 手の甲で軽く叩くと、まだ剥がしていないビニールがプラスチックと共に小さく鳴いた。


「――CD制作は試行錯誤の積み重ねだ。完成度は高くなり、曲としてのノイズも減る。だが、丸くなる。奏者が若者ならライブとの振れ幅は大きいものじゃないかな? 籠堂君」


 背後から声が掛かる。

 振り向くと、完全なデジャヴがそこにあった。


「げ……店長……」


「私はいつから『げ店長』という名前になったんだろうね。君に渡す布バタキは1つしかないのだが」


 表情は変わらず、先ほどより棘のある言葉を連ねる店長。

 これは終わったかもしれない……。


「私に何か言うことは?」


「店内清掃してきます!」


 言い知れぬ恐怖に気圧された俺は、そそくさとその場を後にした。


「――時に黒壌君」


 棚を曲がろうとしたところで、店長が黒壌に声をかけた。

 何事かと、俺は足を止めて聞き耳を立てる。


「君はdiversionのライブに行ったことがあるかな?」


 店長の穏やかな問いに、黒壌はイヤホンのコードを弄びながらしばし沈黙した。

 それから、遠慮がちに口を開く。


「な、ない……です……」


 ねーのかよ!


 思わずつっこんでしまいそうになる。

 ライブに行ったこともないのに、なんだってdiversionの生音が違うって言い張れんだアイツ。


「……だろうね。君からは音楽家の匂いがしない」


 これまたツッコミを入れたくなるようなことを言う店長。

 店長も店長で、真面目くさった顔で何言ってんだ。


 しかし黒壌は何かを感じたようで、その俯きがちな面を上げ、目を僅かに見開いた。

 と同時に、片耳に付けていたイヤホンが抜け落ちて床で跳ねる。


「っ……」


 遠近感が狂い、diversionの曲はイヤホンから歪に漏れた。



 ……一瞬だけ、時が止まったようだった。



「……今度、ライブに行ってみるといい。diversionの結成ライブを聴いたことがあるが、あれは確かに魔性のモノだった。ついでに……」


「籠堂君もね」


「うっ……」


 『げ』は飲み込んだ。


「あ、あの……ぼ、僕、もう帰りますっ……!」


 黒壌はイヤホンを拾い上げ、慌てた様子で店を出ていった。

 入口のベルが、いつもより高らかに鳴る。


「……さて、籠堂君」


「……はい、店長……」


「今の子、追いかけてくれるかな」


「え? あっ……!」


 店長が指さした場所にあったはずのdiversionのシングルがひとつ無くなっている。


られた!」


 俺は咄嗟に走り出した。

 万引きについて触れたのに盗むとはとんでもない肝の据わり具合だ。


「取り返してきたら減給の件、考えてあげるからね」


「絶対に取り返します!」


 入口の扉を開ける。

 カランカランの音色と共に、熱風が顔面を撫でた。

 背後から、軽い音でペンが弾ける音がする。


 やっと落ちたのか。


 なんとなく、見たかったなと思った。


「あっちぃなぁ今日も……」


 夕暮れまではもう少し。

 今夜も熱帯夜が確定しそうだ。


「ん?」


 外に付けられた階段を降りながら、ふと違和感を覚える。

 ここは渋谷スクランブル交差点の近くで、いつだって雑踏が聞こえる。

 今も、ざわめきは聞こえていた。


 ただし、"雑踏"はない。


 皆が歩みを止めた理由を知るのは、これより少し後の出来事だった――。

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