黄昏前の序章:狂信者「クロツチワタル」
「あははっ! アイツ死ぬのかなー! やっベー人が死ぬの初めて見るっ――!」
スクランブル交差点に響く唸り声の中に、物騒でよく通る甲高い声が聞こえてくる。
両耳に付けたイヤホンを抜けて、脳内まで直撃する。
僕は、その声の主を知っていた。
平穏無事に毎日を過ごしたい僕とは真逆の人間だ。
声のする方向を見ればやはり、同級生の「鍋牛電子」が群集の中で欄干に登って交差点の中央を眺めている。
相変わらず突拍子もない奴だし、関わりたいとも思わない。
確かあだ名があった気がする。なんと言ったか……えーと……。
「ウサギ……」
口をついて出たのは、全く違う動物の名前だ。
いけない、男子の性に意識を持っていかれた。
もっとこう、変な生き物だったはずだ。ヌメヌメしてて、名前と掛かっていて……。
「そうだ、デンデン」
あだ名を思い出せて、スッキリする。
常に竹を割ったようなハッキリした性格の鍋牛には、到底似合いそうもない異名だが。
その由来もついでに思い出した。
彼女の背後で大衆の視線を鍋牛の下半身から逸らそうとしている赤髪の女「天音璃子」が付けたんだ。
鍋牛の文字をどう読み間違えたかカタツムリと呼び、カタツムリ電子からデンデンになった。
その場で殴り合いの喧嘩に発展して以来2人は意気投合し、バンドを組むようになったとか。
今や音楽に興味のあるこの辺の高校生なら知らぬ人のいないほど有名なバンドになっている。
「不良の思考回路は分かんないな……」
不良は忌むべき存在だ。
何もしてないのに絡んでくるし、ヤケに威圧的。
時々良い奴っぽいのもいるけど、大抵オセロみたいに気分がコロコロ変わる馬鹿ばかり。
学校生活の中で、最も信用ならない相手が不良だ。
「そんなの分かってるけど……」
――1度、学園祭で鍋牛が歌っているのを見た事がある。
天音はエレキベースを弾いていて、1人で弾いて満足してる僕なんかよりも圧倒的に上手くて、力強かった。
ギターはツインで、リードを担当した女子は、サイドで正確無比な演奏をする鍋牛に圧倒されていたと思う。
2人は多分、助っ人か何かだったんだろう。
凄すぎて、学業の合間に遊びで弾いている僕や壇上のその他女子たちは大分惨めな思いをした。
だけど、僕が最も惹かれたのは、その歌声だった。
甲高くて、荒っぽくて。
上手いことには上手いのだろうけど、どこか未完成な歌声。
ただ必死に、何かを訴えかけるように歌う鍋牛から、目が離せなかった。
あんなの、現代をノウノウと生きる学生が出していい声じゃない。
あれは、物足りなさとか不満とかいうレベルではない……飢餓の声だった。
「憎い……」
そうだ、僕は憎い。
彼女の歌声が憎い。
彼女に魅了された自分が憎い。
イヤホンの中で流れているのは彼女たちの本メンバーで出したアルバムの中の一曲で、愛と飢えについての暴力的なフレーズを叩きつけてきている。
そしてあの学園祭で歌った、何年か前に流行った切ない系のラブソングが、耳の奥にこびりついて離れない。
「なんなんだよ……」
本人を前にして、何の行動もできない自分が憎い。
鍋牛のように、全力で何かを叫びたい。
この憎らしい世界を引き裂く、彼女の生声が聞きたい……!
「ゴロジデヤルウウウゥッッ!!!」
スクランブル交差点の中央で、何かが叫んだ。
人の声とは思えないから、猛獣でも解き放たれているのだろうか。
その必死さは、鍋牛のあの日の歌声にも似ている気がした。
「ん……?」
直後に揺れる。
地鳴りのようなものが響く。
鍋牛がよろめくのが見えた。
野次馬たちが、大きく波打った。