黄昏前の序章:革命家「ナベウシデンコ」
「グアアゴオアルッ! ウアアガアアッッ!!!」
五月蝿いのが、喚いている。
せっかく気分がいいから外に出て、午後の炎天下を悠々と歩いていたのに。
交差点のド真ん中でドっ叫ぶド阿呆はドこのドいつだよ。
波風の立たないウユニ塩湖のような美しい鏡面を見せていた穏やかな心も、今となっては不快。
しっかり耳の位置に合わせたオーダーメイドヘッドホンをも貫く声量とは、恐れ入る。
どれ、アタシのバンドで全力シャウトさせてあげても良くってよ。
そんなことを考えながら近くの手摺の上に立ちそちらを見ると、なかなかどうして面白い光景が広がっていた。
ちなみに軽業はアタシの得意技だ。
「……プッ、何アレ。あんなに煙って、いったいギアいくつよ……プククッ……」
人集りの輪の中央で、なんかうずくまってる。
全身真っ赤っかーの、水蒸気プシューってまるで蒸気機関。
そのまま全身の水分がなくなって死ぬのは必至な大往生だ。
まっこと面白いモノを見て、ささくれ立ったアタシのハートもざわめき立つ。
とどのつまりはチョーおもしれー光景だ。
「あははっ! アイツ死ぬのかなー! やっベー人が死ぬの初めて見るっ!」
ワクワクドキドキしながら手をかざし、陽射しを遮ってよく見ようと前屈み。
今日はミニだから後ろからパンツは丸見えだけどそんなことは気にしないし、バランスが崩れるなんてこともあり得ない。
ただ前方の楽しい光景に釘付けだ。
……あれ、今日のパンツ、クマちゃんとかじゃなかったよね。
「あ? デンデンじゃん、そんなとこに登って何してんの? ウサちゃん見えてるよ」
「アタシをデンデンって呼ぶな殺すぞ! ……ってなーんだ、アキコか」
アタシの股の下から覗き込んできたのはバンド仲間のアキコだった。
ベース担当のカッチョいい系の女の子。
髪はド赤くて、ブラッディ。
今日はオフだからパンツルックか、クソっ。
同じく股の下から覗き返すと、アキコはムスッとした顔になる。
「私のことはアマンダと呼べよ。バチ殺すぞデンデン」
「ひょーっ! アッキーの鋭い眼光かっけーねぇ! 惚れちゃいそう!」
「相変わらず意味不明なテンションだなーデンデンは。あとオレにそっちの気はねえ」
超絶美形なアッキーはいつも通りドっクールで、最高に痺れる。
もうその低音ボイスでボイパベースやればいいのにと思っちゃったり。
「で? デンデンはパンツ見せつけながら何見てんの」
「超絶やっべーの! プシューブワーって!」
「うん、意味わかんねー」
「言葉では説明しづらいんだって! アッキーも見なよ!」
「オレはやめとく。デンデンのパンツガン見するので忙しい」
「いやんエッチ〜。このヘンタイっ」
「キモい」
自分から振っといて、乙女の反応したらこれだ。
アタシがアッキーに対して羞恥心の欠片もないことを知っててこのやりとりをするのは、彼女はなんか変な性癖を持っているのかもしれない。
「つか、そんな不安定な足場に立ってらんないし。そもそもデンデンがそんなに楽しそうってことは相当エグいことでしょ。オレグロ系苦手なんだよな。実況してよ」
「もうすっごいよ! 交差点のド真ん中でスーツかな? の男が倒れてて、全身蒸発してんの! 死ぬほどっつか死ぬ直前みたいにシャウトしてて、あれ絶対死ぬと思うんだけど!」
ああ、なんて素敵な光景だろう。
死に至る経緯を生で見られるなんて、滅多なことではない。
期待に胸が膨らみ、目は爛々と輝いているのが自分で分かる。そして思考はエクスタシー。
人が死ぬって、こんなにも生命力に溢れるものなんだ。
「あー、それであの叫び声なんだ。獣でもいるのかと思ったよ」
「ケモノ! それすっごくゾクゾクすっかも! スーツを着たケモノとか……新しいフレーズ浮かんできたわ!」
アッキーの一言で、アタシの思考はフルスロットルだ。
あのほぼ死人の背景とか、なんで蒸発してんだろうとか、そういう人の本質に興味がいく。
叫び声は周囲の高層ビルに反響して耳を劈くようだけど、内臓まで揺さぶるその爆音が最高に心地いい。
「へー。久々にデンデンの新譜が聴けると思うとちょっと興味湧いたぜ」
「でっしょ!? 今ねー……んん?」
「ん? どした?」
「あれ……?」
アタシの視界の先には、異変が起きていた。
男は相変わらず死にそうで、苦しそうな唸り声が生の花火をバチバチとドっ散らしている。
なのに。
「……立った」
「立った?」
……にも関わらず蒸発男はスクっと立ち上がった。
叫びはラジカセで流していたのかと思うくらいの不一致さで、機械じみた無駄のない直立。
煙の中の眼光だけが野次馬たちを睨みつけ、何かを探している。
「ゴロジデヤルウウウゥッッ!!!」
「ッ――!!」
声だけが歪に響いて、野次馬は波打った。