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成る程、確かにそれは暴れウナギだった。
それも普通のウナギじゃない、八つの頭に八つの尾を持つ全長2メートルほどのそいつは、七界迷宮の極狭い範囲にしか生息しないと言われているあの幻の高級食材の八岐ウナギで間違いないだろう。
何故そんなものがこんな町中で暴れているのか?
きっと何処かの誰かが運よく捕獲したそれが逃げ出したのだろう。
高級食材なだけあってすごく美味しいんだよな、一回だけ一口食べた事あるけど確かにとても美味しかった。
何てことを考えていたせいで、反応がだいぶ遅れた。
「そこの嬢ちゃん!! 逃げろ!!」
その叫び声で思考が現実に引き戻される。
逃げなければ、そこまで思考が現実に追いついた時点で、グネグネと暴れながら逃げる八岐ウナギがもう目前に迫っていた。
暴れウナギは逃げることに必死なのか、ちょうど進行方向に立っていたあたしのことを敵認識したらしい。
暴れてウナギの首の一本があたしの顔面めがけて鞭の様にしなる。
あ、これはやばい。
さすがにウナギにやられてご臨終、とか馬鹿馬鹿しすぎてあいつらに申し訳なさすぎる。
と、棒立ちになっていたあたしの体を、誰かが後ろに強く引っ張って放り投げた。
「……!!?」
数歩あたしが後ろに下がった分、誰かがあたしの前に出る。
誰かっていうか、クラウンだけど。
あたしの体を放ったのも奴だろう。
そして。
あたしと立ち位置を変える形で前に出たクラウンの顔面に、暴れウナギの首がクリティカルヒットした。
あたしはそれを尻餅をつきながらただ見ていることしかできない。
何かが割れる音と、肉が打たれる嫌な音が聞こえてきた。
「――っ!」
かなりの衝撃だっただろうに、クラウンはその場で何と持ちこたえていた。
あたしだったら多分数メートルは軽く吹っ飛ばされていただろう。
それなのに奴は、その場でふらつくこともなく、よろめくこともなくそこに立っていた。
「お、おい……」
大丈夫か、そう叫ぼうとしたところで、先ほどよりも大きな何かが割れる音が響いた。
見ると、クラウンの足元に奴が今まで頑なに外さなかった白い道化の仮面が落ちていた。
その仮面は落ちた衝撃なのか、それとも先ほどの一撃のせいなのか、見るも無残に砕けてしまっている。
「……不届き者め」
怒りに震えている様な低い声が聞こえてきた。
聞いたことのない声だった。
しかしその声を発したのは聞こえてきた位置からどう考えても自分の目の前に立つ男でしかありえない。
「……死ね」
クラウンはいつの間にか手に握っていたメイスを振り上げーー。
闇色の霧が八岐ウナギを覆ったかと思うと、八岐ウナギは突如何かに押しつぶされたかの様に鎌首をもたげてじたばたともがいていたが、すぐに動かなくなった。
クラウンが勢いよくこちらに振り返る。
「おい!! 大丈夫か!? 怪我は無いか!!?」
「ああ……うん大丈夫……って」
そこであたしの思考は一瞬だけ止まってしまった。
振り返ったその額から薄く血が流れているからか――否。
何故なら振り返ったクラウンの顔、仮面の無いその素顔は――鏡越しに見る自分の顔に少しだけ似ていて。
「……あ」
あたしのそれとほとんど同じ色の目が、あたしの顔を見て、しまったという風に見開いていたからだ。