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よく行く喫茶店で紅茶を飲んでいたら、向かいの席に誰かが座った。
顔を上げると視界に入ったのは白い道化の仮面。
「ヤあ」
片手を上げて多分朗らかにそんなことを言ってくる。
「何の用だ」
「キミのスガタがミえたから、なんとなく、キた。ヨウジはトクにナい」
「そんな理由でいちいちくんなよ……」
「まあ、イいじゃないか。スコしおシャベりでもしよう。キミとはあまりハナしたコトがナいからね」
「あんたと話すことなんてない」
「まあ、そうイわずに……ケーキとかパフェでもタノむかい? モチロン、ワタクシのオゴりだ」
と、言いながら奴はメニューを開いた。
「食い物につられるほどあたしはガキじゃ……」
「ほら、このハルゲンテイのスペシャルパフェとかでどうかい?」
「……む」
示されたのは期間限定でこの店で一番高いパフェ。
情けないことに心がぐらぐらと揺れた。
「よし、ではタノもうか。ウェイトレスさん、このキカンゲンテイのいちごパフェを一つ」
一瞬の躊躇いの間にクラウンはさっさと店員を呼んでパフェを頼んでしまった。
「……あ」
「ふふふ。それじゃあナニをハナそうか?」
仮面のせいで顔なんて見えないけど多分、今奴はきっとしてやったりという顔で笑っているんだろう。
「……あんたは何も頼まなくてよかったのか?」
「まあ、このジョウタイじゃムリだからね」
「……外す気はないわけか。何でずっとそんなんしてるんだよあんた」
「だって、ハズカしいじゃないか」
飄々とした口調だった。
絶対嘘だ。
「……は。そんなにその面を見られたくないのかよ? 傷でもあるのか? それとも不細工なのか?」
不躾な質問であることはわかっていた。
それでも今なら別にいいだろう。
「まあ、そんなトコロだねえ」
「ふーん」
なんかまたはぐらかされた気がする。
「で? あんたはあたしに何を聞きたいんだ?」
「まあ、そんなミガマえないでくれ。ただのセケンバナシさ」
「ふーん」
それで一体どんな世間話をしようというんだと相手の動向を伺っていたのだが、奴はこちらの顔を見て黙っていた。
「……」
「……」
話題でも考えているんだろうかと、とりあえず待つ。
「……」
「……」
ひょっとしてこっちが話題を振るのを待っているんだろうかと思ったが、それでも待った。
「……」
「……」
そろそろ口を開こうか、と変な沈黙に痺れを切らしたその時に。
「お待たせしました〜。こちら期間限定スペシャルいちごパフェになりま〜す」
「あっ、はい」
特盛のパフェが来た。
一言で言ってしまえば、でかい、そして素晴らしい。
サイズは普通のいちごパフェのおよそ2倍、アイスクリームといちごがこれでもかとよそわれたそれは一種の芸術品だ。
「……タべないのかい」
様子を伺っていたクラウンがそう言うまであたしはパフェを見つめていた。
「た、食べる。いただきます」
「ふふふ、メしアがれ」
握りしめたスプーンでアイスクリームをすくい取り、口に運んだ。
美味い。
あたしはただそれだけを考えてひたすら手と口を動かしていた。
「キミはイマ、シアワせかい?」
だからそんな問いかけをされたことに気付いたのは、その声を聞いて少し経ってからだった。
「あん? なんだって?」
幸せかどうかとか聞かれたような気はするけど、パフェに集中していたため定かではないので問い返す。
聞き間違えかもしれないし。
「イマ、キミはシアワせかい、とキいたんだ」
聞き間違えじゃなかった。
「……うーん」
今この時に関してだけならまあ幸せといっていいだろう 、けど。
多分そういう刹那的な問いかけではないのだろう。
「幸せって、なんでいきなりそんなことを?」
「……ナンとなく、ね。サビしくはないのか、とか。ツラくはないのか、とか。スコしギモンにオモっただけなんだ」
「……はあ? なんでそう思ったんだよお前」
あたしのどこを見てそんな事を思ったのか。
そんな素振りをあからさまにした覚えはないんだけど。
「だって、キミにはチチオヤがいないだろう? ……だから」
ああ、なんだそういう発想か。
「……その手の質問は今までなんどもされてきたけど……答えは否だ。寂しくも辛くもねーよ。だって初めからいなかったんだから。いない存在の事を寂しいと思う方がおかしい」
「……そうか。ハジめからいなかった、ってことは……」
「ああ。あたしが生まれる前にくたばったんだと。どんなクソ野郎かはよくは知らねーよ? 母さん曰く、自分勝手で、我儘で、自分のことばかり考えてる最低野郎だったらしい。けど知ってるのはそれだけ。それ以上は聞いてない」
それは例えば名前とか、素性とか、そういう死んでいるとはいえ教えてもらっていても良さそうな情報だ。
そういう父親に関する情報をあたしは一切知らない。
それでもその解はぼんやりとだけ。
全くもってありえないだろう、あまりにも突拍子もないその可能性の事は結構前から気付いていたけどあえて黙っていた。
お母さんは昔、城で働く侍女だった。
だけど、17年前のある日突然城仕えを辞めて、同じく城仕えを辞めた料理長とオーナーと一緒に、この町にやってきた。
その頃に何があったかはすぐに調べがついた。
……ちょうどその頃、前王が死んで王都ではクーデターが起こった。
遠い国に留学していた第一王子が戻ってきた後、すぐにクーデターを起こした下手人達は粛清されて、その王子が即位してから平和に戻った。
けど。
王族の一人。第一王子、現王の弟であった第二王子が、クーデターを引き起こした首謀者によって処刑されていた。
その第二王子の特徴。
美しい少年だったのだという。
だけどそれはあまり関係なくて。
黒髪に黒目だったらしいのだ。
あたしと同じ、漆黒の目だったのだと。
……もちろん、おそらくなんの関係もない、黒い目の人なんてどこにでもいる。
だけど……
一般的に、黒目と言われているのは濃いブラウンの事を指す。
光に当てればよくわかるが、一般的な黒い目を見てみると、確かに黒ではなく濃いブラウンなのだ。
けど、あたしは違った。
濃いブラウンではなく、本当に黒いのだ。
光を当てても真っ黒なのだ。
噂で聞いた話、誇張もあるんだろうけど、その第二王子の目も……
……なんて、な。
ただのくだらない妄想だ。
ありえない想像だ。
だけど、この解が正解だとしたら。
あの黒い幻覚の正体は?
こんなの、とても聞けるような話じゃない。
蛇が出てくるとわかっている藪をつつくようなものだ。
「ふうん……とんでもないヤロウだったみたいだねえ……カワイソウに……」
「まーね。それでも、母さんはその人と生きていたかったんだってさ……それだけでよかった、って昔言ってたよ……あたしが知ってるのはこれくらい。これ以上のことは何も知らないし、知ろうとも思ってない」
「……そうか」
と、クラウンは何かを考え込むような姿勢で黙る。
「……だから、あたしにとっちゃ父親の存在なんざどうでもいい。皆には当たり前にいる存在がいないってのはそんなに不幸か? あたしはちっともそうは思わない。だって、ただいないだけで、それだけだから」
それだけなら害はないから。
寂しいとか、そんな事は思ったことがなかった。
お母さんもいたし、お母さんだけじゃなくオーナーも料理長も皆もいたし。
父親一人欠けていた程度じゃ、寂しいなんて思うわけもない。
「ソッカ……」
ならよかった。
という小さな声が聞こえた気がした。
「だけど幸せか、っていう問いの答えは残念ながら否だ。是とするにはあたしは失ったものが多すぎる」
「……それは」
どういう事だとクラウンは顔を上げてこちらを見る。
「家族関係じゃねーよ。昔、あたしには友達が6人いた。けど……ここ何年かで半分になっちまった」
「……それは、タンジュンにケンカしてトモダチではなくなった、っていうことでは……ナいんだな……」
「ああ。そうだよ」
一人目は今から6年前、あたしが10歳だった頃。
リーダーと呼ばれていたガキ大将が、アル中の父親から受けた暴力によって殺された。
打撲まみれの体のあの色を、今でも時々夢に見る。
二人目は今から4年前、あたしが12歳だった頃。
皆より少しだけ年上だった少女が、たった一人の肉親によって花街に売られて、一週間後、遺体となって帰って来た。
あの時、あたしは自分の無力さに気が狂いそうになった。
3人目は今から2年前、あたしが14歳だった頃。
少しだけ魔法の才能を持っていた少年が、家族からの過度な期待と重圧に耐えきれずに首を吊った。
遺書には、家族への言葉は一切無く、ただ、あたし達への謝罪の言葉で埋め尽くされていた。
「……それは、ツラかったな」
「……あったりまえだ」
「すまない」
「なんであんたが謝る」
「ワタクシのシツモンで……ツラいコトをオモいダさせてしまったから」
「別にいいよ……しょっちゅうだから」
こんなのはいつもの事だ、ふとした事からあいつらの事を思い出す事なんて。
その後は大した会話もなく、あたしはただひたすらパフェを食べ続けて、クラウンはぼんやりとそれを眺めていた。
あたしがパフェを食べ終えて、クラウンが会計を済ませた。
クラウンは何故か先に飲んでいた紅茶代まで払った、そっちは自分で払うと言ったのに。
それで、喫茶店を出た直後、叫び声が聞こえてきた。
「暴れウナギだ!! 暴れウナギが出たぞ!!」
あんだって?