1
あたしのお母さんは口が悪くて気が強くてぶっきらぼうだけど、それでも優しくて、強い。
とてつもなく正直に言うとあたしは母が大好きだ。
女手一人であたしを――こんなクソ生意気なガキを根気よく育ててくれた。
当然衝突はあった、もちろん喧嘩もたくさんした。
それでも最後には必ず仲直りしていた。
多分、あたしは恵まれているんだろう。
大昔、理不尽な怒りを親から受けて死んでしまった友人がいた。
昔、たった一人の肉親に売られた友人がいた。
ついこの間、家族の歪んだ愛情に壊された友人がいた。
そんな事が当たり前ではないけど、いつ起こっても不思議ではない状況で、こんなあたしがそこそこ幸せに生きていらっれるのは母のおかげなのだ。
だからあたしは、黒い幻覚を捕まえることにした。
もう二度と、母はその幻覚を見ないように。
そして多分、あたしが知りたいことを知る為に。
その先はまるで別世界のようだった。
真っ暗ではないものの、真昼間の今の時間帯に日当たりの悪い室内でもないくせに薄暗くて先がよく見えない。
いっその事真っ暗で全く何も見えなかったのならまだ覚悟がついた。
中途半端にその先が――ゴミが溜まってそのゴミを漁っていたのであろうネズミの死骸にハエがブンブンと飛び交う、その狭っ苦しい空間を見て――あたしはごくりと唾を飲んだ。
生ゴミの腐った臭いと、カビの匂いと、その他にも形容しがたい何か嫌な臭いが混ざった腐臭が鼻について、目眩がする。
――今日はやっぱり、やめておこうか。
弱気な自分がそう怖気付くが、あたしは首を振ってそれを否定する。
覚悟はしてきたはずだった、それでも、ここはこんなにも恐ろしげな空間だったか?
前見た時は――恐れ知らずの子供だった頃、同じように恐れ知らずの仲間達とこの中に入り込んだ時は、ここまで怖く感じなかったのに。
いつの間にか身体が震えていた、吐き気がする、頭がガンガンと殴られたかのように痛くてたまらない。
……そうだ、なんでこんなにも怖いのか、理由がわかった。
室内か屋外かの違いはあるけど、この腐りきった空気と、薄暗い様子は、あいつが死んでいたあの部屋と似て……
うっかり思い出してしまったそれに思わず口を手で押さえる。
――あの日、あたし達は何も言えずに、ただその壊れた身体を見て、立ちすくんでいた。
悲鳴すらあげられなかった、大きすぎる喪失を受け入れる事ができずに、ただ呆然としていた。
そうだ、だから怖いんだ。
呼吸がうまくできなくなる、息をしっかりとしているはずなのに苦しい。
しゃがみ込みそうになったけど……それでも口を押さえていない方の手で壁に手をついて体を支えた。
この先には、行きたくない。
……でも、行かないと。
方法は多分他にもある、それでも一番手っ取り早いのはこの方法しか思い浮かばない。
あの黒い幻覚を誘き寄せるには。
だから一歩、あたしはその別世界に足を踏み込んで――
肩を掴まれた。