第92話・偶然が招いた事実
もしも。
貴女でなかったら、私は私で居られたのかも知れない。
貴女に壊されなければ_____。
______JYUERU MORIMOTO 本社。
ポケットに入れている携帯端末が何度も震えている。
普段ならば細かく確認するのだが、理香がそうする素振りは全く見せない。
休憩中に確認すると、
森本繭子からの着信がずらりが並んでいた。
数分も空かない内に何度も着信が届いている。それは何度もスクロールを繰り返す程だ。
悪魔の執着や執念深さは承知の上だ。
昔からの自身の獲物と捉えた人物に向けて、執念深いのは相変わらずらしい。
(………しつこいわね)
こんなに数分も空かない内に
着信を寄越す人間は、悪魔以外に浮かばない。
仕事の内容をまとめ、一通りに目を通してから
アイスティーを飲み終わり、席に立とうとした。
復讐は復讐。仕事は仕事。与えられた物は一通りそつなくこなして片付ければ良い。
割り切ろうと頭を切り換えた時、不意に声をかけられる。
「……あれ、貴女は……………」
「はい?」
視線を向ける。
自分自身に声をかけてきたのは、50代半ばの中年の男性だ。
何故、声をかけられたのだろうかと一瞬思い
理香は首を傾げる。
「……覚えていませんか? 以前公衆電話でぶつかった………」
「___…………(思い出したわ。あの人ね)」
以前、娘のふりをして
悪魔に電話をかけた時にぶつかった人だ。
他人には興味がない上、その時だけだったので理香はとっくの果てに忘れていた。
「……こんにちは。お久しぶりです」
「はい。あの時はすみませんでした、お怪我とかは………」
「いえ。私は大丈夫です。私こそ不注意でぶつかってしまい
申し訳ございません。ぶつかった事はお気にならないで下さい」
「そうですか」
男性は、微笑んだ。
奇偶だ。こんな場で再会するなんて。
「あ、パ……お父さん」
沈黙を突き破る声が聞こえた。
ふと視線を向けてから、理香は内心驚きを隠せない。
其処に居たのは__小野千尋。
……嘗て自分自身を虐め抜いていた因縁の相手だ。
相手に驚いた、それだけではない。
彼女は、“お父さん”と呼んでいた。
つまりは__
(___この人の、娘……?)
小野千尋、
彼女が男性の娘なら、この人は………。
「あら、椎野さん」
「____…………」
「千尋、知り合いなのか?」
「お世話になってる人よ。椎野理香さん。
開発部のリーダーで今は社長の代わりに社長代理人も務めているの。凄く素敵な人で敏腕な人なのよ」
「そんな私は……」
千尋の褒め言葉に、理香は謙虚に身を引く。
(…………気分が悪い)
しかし内心、理香の心が冷めていっていた。
小野千尋とこの目の前に居る男性が親子ならば
この人は資産家・小野有名企業の社長で、彼女は社長令嬢という事だろう。
明日は我が身。
世の中は広い様で狭い。
まさかこんな場で会い、接点があったとは。
必然なのか偶然なのかは知らないが、突然にして招かれた現実と事実に理香は驚愕して、絶句した。
「そうだったのか。
すみません、娘がお世話になっております。
私はこの子の父親でして_娘が困らせていませんか」
その瞬間、不意にいじめられた記憶が脳裏を霞んだ。
本当は当然、千尋に対して良い感情等、持ってはいないのだけれど_____。
(いいえ。昔、貴方の娘から
私はだいぶ悪党雑言な扱いを受けました)
そう冷めた心が言ったが、
全てを塗り替えた今は、口が裂けても言えない。
別の意味でいいえ、と言うしか理香はなかった。
「いいえ。小野さんは仕事熱心で
てきぱきしていて、困るだなんて事はありません。
小野さんの仕事ぶりは凄いと思います。私も尊敬しないといけないところが多いです」
褒め言葉を捧げた事で、千尋の面持ちには照れが浮かんでいる。
千尋の表情を見て単純だと理香は嘲笑う。
(貴女は、虐めに虐め抜いた相手を、純粋に誉めている。
自分自身が嫌み嫌っていた人間とも知らず……)
しかし口で言う事は、例え偽りだとしても無料だ。
内心 腸は煮えくり返っているが、おだてて置けば良い。
それに悪評をしてまた虐めが始まったら堪った物ではない。
賢く穏便に済ませておいた方が良いのだろう。
「そうですか。そうだ。挨拶が遅れましたね。
私、小野不動産の代表の小野順一郎と申します」
胸ポケットから名刺入れを出すと、丁寧に理香に向けて差し出す。
小野順一郎の名刺だ。
「………ご丁寧に、ありがとうございます」
理香は作り笑いで、頬笑む。
嗚呼。憎しみが募って仕方ないけれど__。
「今後とも娘を、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
そう一礼すると
千尋に招かれる形で理香に背を向けた。
肩を並べて歩く父娘の後ろ姿を、何故か興味が無い筈なのに
二人が消えるまで、理香は動けぬままでいる。
(父親がいれば、少しは変わっていたのかしら)
無い物ねだり。
今でも時折にして、不意に脳裏を横切る思い。
理香にとって父親の存在はないけれど、父親が居れば
少しは森本の家も、自分自身にとってもクッションの存在になっていたのかも知れない。
母親の重圧に潰される事も無く、自分自身を殺す事だって無かったのかも、とまで考えた末に
(___いや、違う)
父親が居ても居なくても
あの魔性の女は変わらない。誰か他の存在を
求めたとしても、最終的に自分自身はこうなっていた。
順一郎は、記憶を振り返っていた。
椎野理香という女性。
(__彼女が、社長代理とはどういう事だ?)
森本繭子の知り合いに、そんな人間はいない。
だがあの堅物女が誰かに自分自身の代理を任せるとはどういう事だ?
彼女はまだ若い。恐らく娘と同じくらいの年頃だろう。
けれど
以前、椎野理香の雰囲気が、
何処か森本繭子に似ていると感じ覚えた感覚は変わらなかった。
顔立ちが似ている訳でもない。繭子と違い、性格も物静かで穏やかそうだった。
しかしただ雰囲気だけが、
あの女に似ていると思ってならない違和感を覚えているのだ。
……………彼女は何者なんだろう。
理香は壁に背を預ける。
慣れない人間と対話するのは得意ではない。
しかし、どっと疲れた反面、新しい情報も手に入れた。
理香はあの時、差し出された名刺を見詰める。
小野順一郎。彼の娘は、昔、自分自身を虐めていた女。
いじめの記憶が蘇り、復讐、というワードが頭に浮かんだ。
別人となった今、じわりじわりと仕返しするのも良いが、別の方向で行くか。
しかし。
言えど理香にとって母親という悪魔を潰すのが先だ。
理香は、微笑を浮かべる。
(__自分自身が妬んで虐めていた相手とも知らずに、
貴女は単純に私にヘコヘコして居れば良いわ。
これで公平でしょう?)




