第75話・知らない者を追う者
森本 佳代子の資料をコピーして、
履歴書と写真を理香に渡し、自分自身の手元に置いた所で原本は元に戻しておいた。
まだ当時は理事長ではなくコンシェルジュだった父親と勤務していた時期が被る事を良い事に
芳久は英俊から色々と聞いておこうと考えたのだ。
『森本姓だから、家の家系と関係があると思うけれど………』
椎野理香の、本名、否、捨てた名前は森本心菜。
彼女佳代子も森本姓を名乗っている以上、元は森本家の人間だから何らかの関係がある事は芳久は承知の上だ。
きっと心菜、否、理香と深い関わりのある人物なのだろう、と。
_____プランシャホテル、理事長室。
「理事長、お聞きしたい事があるのですが。
“森本佳代子”さんという人にまだ覚えはありますか?」
「なにかね。急に? 誰の事かな?」
書類に目を通している英俊に芳久は、
「先日、勉強も兼ねて
資料室で歴代の社員の人を調べていたんです。
これから理事長の跡を継いで、僕自身が理事長なる立場なので
今のうちに理事長の経験や思い出を心得えを構えて置きたくて」
心にもない事を。
けれど相手は誰にしろ、口と言葉は上手く利用すればいい。
嘘八百を並べて、嘘を口にするのは今や芳久の特意義だ。
相手を敬う様な微笑みと物腰で尋ねてみれば、
相手は機嫌が良くなり返事を返す。
現に理事長は笑みを浮かべ、息子の言葉を聞いて上機嫌なのだから。
「そうか。
お前も、そろそろそんな気持ちが出てきたのか。良い事だ。
で………森本佳代子? どうしてその人を私に聞いて来たのか?」
「当時、コンシェルジュでは理事長の次に成績評価トップの方と知り少し気になったので………年を数えればで言えば理事長と
勤務していた時期が一緒ですし何かをお知りであれば、
その方の事をお聞きしたいのです」
この人を知りませんか?と森本佳代子の顔写真を見せる。
英俊は写真を取って凝視、顎元に指先を組み立て、
暫し考え込んでから何かが脳裏の中に浮かんだ。
昔の若き頃の記憶が脳裏に宿り、この写真の人物に見覚えがある事を思い出す。
そう言えば…………この人物は………。
「嗚呼、思い出した。
お前の言う通り、彼女は優秀なコンシェルジュだったね。
同じコンシェルジュの立場で私と同い年だったから、よく覚えている」
「少し教えて頂けます?」
英俊が言うには、
人望の厚い優秀なコンシェルジュで、周りからも一目置かれていたそうだ。
浮わついた話も一つもなく勤務態度も真面目一筋で、なんでも器用にこなしていたらしい。
彼女の評価を良く言う者は居ても、悪く言う者なんて一人もいない。
父親からそう話を聞いて、芳久は理香と深いデジャブに襲われていた。
嗚呼、外見だけではない。中身までそっくりだ。
それはまるで違う時代に居る理香の話を聞かされている様だった。
そんな話を聞いて最後に実父から言われたのは
5年間、プランシャホテルに勤めた森本佳代子は
ある日 突然、事情を伝えないまま、自ら辞表届を出して
何事もなく消えてしまったらしい。その後の消息は分からないままだという。
「皆、残念がっていた。
人望も業績も優秀だったし何より慕われていたからな。
けれど辞めた理由は全く誰も知らないままさ」
「そうですか。……ありがとうございます」
大体の話は聞く事が出来た。
けれど素性なんてものは未だに分からないままだ。
未だに分からない森本佳代子という人物は、椎野理香と同等に謎が多過ぎる。
どうして何も言わないまま、辞めてしまったのだろうか?
そしてその先は、どうなっている?
検討が付かない。
けれど何かを抱えているというのは薄々、感じる。
理事長室を後にしてから、芳久は携帯端末を出す。
彼がかけた先は。
______JYUERU MORIMOTO、社長室。
あの謝罪会見から数時間。
締め切ったカーテンの隙間から見えた外の景色。
未だに報道陣は居座っているままであり、辺りはざわざわとしている。
謝罪会見を終えてから、繭子は腑抜けになっていた。
以前の威圧感は何処に行ったのやら、今は凍える仔犬様に震えている。
まるで魂が抜けた人形、とすら時折に思える。
(意外だったわ)
あのしぶとい悪女だから、簡単には諦めないと思っていたのに
彼女が執着している物を奪い取って壊しただけで悪魔は壊れた。
悪魔を捩じ伏せる事は簡単じゃないと思っていたが、
流石にこれらは予想外の効力を発揮したらしい。
緊張と疲れからか眠り始めた繭子を
見下ろしながら心の中で理香は悪魔を嘲笑っていた。
心に生まれた自分自身の“悪”の笑いが止まらない。
テーブルに置かれた花瓶。
恐らく水もやって居ないのだろう。薔薇は枯れ始めていた。
そっと枯れかけた薔薇の一輪取って見下ろし冷ややかに見詰める。
まるで自分自身のようだ。
純粋無垢な花も水を与えられなければ、やがて枯れてしまう。
理香の心も水も潤いも与えられる事もなく花の様に枯れ続けた。
否。理香の場合、花の水遣りの潤いは『愛情』というべきか。
ちらり、と疲れた様に眠る実母を同じ眼差しで見遣る。
(________そうよ、もっと苦しめば良いのよ。
嘗て私を悪党雑言に苦しめ追い詰めたみたいに。
今度は私がそのまま返してあげるわ。貴女が私を壊した様に)
ぐしゃり、と手のひらで握った花は千切れて掌から溢れて落ちて行った。
けれど、一つ疑問が残る。
自分自身にそっくりな人間、森本佳代子とは誰なんだろう。
そして自分自身に、この悪魔とは一体、何の関係性があるのだろう。
ボロボロになった心菜から生まれた自分自身は、その人物の背中を追っている。
芳久から貰った森本佳代子の履歴書のコピー、理香はその顔と略歴を見詰めた。
顔立ちも容姿も自分自身と瓜二つ。まるで自分自身がそこに存在しているかの様だ。
この人物と瓜二つだった故にそれが気に入らなかった悪魔に
自分自身は心を壊されるまで精神的虐待をし続けられていた。
(…………この人が、全ての元凶?)
だが別にこの人物に、恨み等の感情は生まれない。
全ては悪魔___繭子の自分勝手な行動が悪いのだから。
彼女は関係ない。
けれど、彼女となんの関係性があるのかだけは、知りたい。
社長室から離れて、屋上に出る。
謝罪会見から数時間が経つ。ニュース等の報道番組は
森本繭子の記者会見の論争等で荒れているが、報道陣の姿はもう見えない。
淡い風が吹いて、頰を撫でる髪を払った後で、電話の着信が入った。
……………芳久からだ。
「はい」
『理香、今大丈夫?』
「ええ。どうしたの?」
『あのさ。父さんに聞いてきたんだ。森本佳代子って人のこと。
父さんと勤務時期が一緒で、一緒に仕事をしていた時期もあったんだってさ。……でね』
芳久は、言う。
決定的な言葉を。
『その人、何もかも理香にそっくりだったよ』
理香は驚く。
なんだ容姿の事でも言ってるのかと思ったが、彼は違うという。
聞いたところによれば、性格も、身のこなしも全て自分自身に瓜二つだとか。
(…………そんな偶然ってある?)
そんな事もあるのかと思いながら
それを聞いて、ますます森本佳代子への興味と疑問が浮かんできた。




