第68話・館で、天使は悪魔に囁く
門扉から玄関ドアまで続く庭道。
理香は悟りつつも悪魔の館の姿に内心、驚きを隠せない。
あの頃、外見の雰囲気を気にして庭に花を植え、種々様々な花が咲き誇っていたが
今は根から枯れ果てて、枝の真髄が折れ乾き切った花が寂しそうにしている。
それが植えられた全ての花々、全てが全てだ。
“あの頃”の自分自身が欠かさずに手入れしていた庭。
今思えば自室と庭が、唯一自分自身らしく自由に出来る場所だったのだろう。
外見から魅せる為に、それぞれ種類の色とりどりの花を植えては愛でていた。
花にも詳しくなった代わりに成長を見せて
花開いていく姿を見るのが好きで、地獄のあの日々の中で、彼女の唯一の癒しと趣味だった。
庭の手入れや花植えが唯一の救われたのかも知れない。
それが、今や跡形もない。
この悪魔の女が枯らしてしまった。
「どうぞ」
「……お邪魔します」
何事も無かった様に靴を脱ぎ揃える。
其処には理香の想像を絶する光景が広がっていた。
広い玄関には様々な靴が散らかっている。
靴入れの扉に入り切らず、はみ出し
挙句の果てには揃えられていない靴___基本ハイヒールやピンヒールが種類問わずバラバラに散乱していた。
他もそうだ。
あの頃は怒られるからと、
こまめに掃除し部屋は小綺麗にしていたつもりだったけれど
今や部屋の床には資料や日用品の物が散乱して、足の踏み場の通りがやっと。
まるで記憶とは違う、ゴミ屋敷の有様に内心開いた口が塞がらない。
(12年ぶりとはいえ、こんなに変わり果ててしまうとは。
大体、このゴミ屋敷に人を招こうだなんてよく思ったものね)
リビングルームが
最も酷い有様だったが、空いたソファーベッドに座る。
見回しても、要るものや捨てそうなものが混同し散乱して床が見えない。
会社の書類や自分自身の衣類が混雑している現状に
理香は心で冷めた眼差しを送りながらこの悪魔の女、森本繭子という人間を回想した。
根からの仕事人間で、
自分自身の家庭を顧みず家庭の事は疎かだった。
それから後。小学校低学年になると心菜が独学で料理や掃除等の炊事洗濯を覚え、
全ての事を自立して何でも出来る様になってからだ。
それからだ。その生きていく技を習得してから
繭子は実娘に家庭の全てを丸投げして任せる様になったのは。
繭子は家庭の事は何も出来ない。
家庭人としての技もスキルも何も持っていない女。
きっと自分自身が出て行ってからゆっくりと物が散らかって行ったのだろう。
もうどれだけ回想しても 心菜の記憶にあるあの家の面影は探したって何処にもない。探していた訳ではないけれどそう思い瞬間に悟りを開いた。
そう思っていると、紅茶が運ばれて来た。
「ごめんなさいね、こんな散らかっていて〜」
「……いいえ」
心の内で理香は哀れみの目で、繭子を見る。
嗚呼。この悪魔は自分自身が実娘とも知らずに、こんな歓迎している。
そう思えば自然と嘲笑が生まれてきた。
(怖い。怖い。恐い。恐い)
不安に押し潰されそうだ。
心がズタズタに裂けて、今にも壊れそうになる。
そんな脆くなった心を奮い立たそうとしても自分自身の精神力が出来そうにない。
繭子にとって恐ろしい孤独感を埋める為だけに
誰かに居て欲しくて、心に空いた隙間という名の不安を埋める為に自分自身のお気に入りの人間を家へと招いて自分自身の手元、自分自身の近くに置いておきたかった。
椎野理香の存在感は
何故か傍に置いておくだけで安心感を得られる存在だ。
きっとそれは気のせいじゃない。
けれど何か特別なものを持っている訳でもない。
ミステリアスで何も掴めず、掴もうと身を乗り出せば、自然と存在感が遠退いていく。
一件、世の中の人混みに紛れているだけでは分からない。
けれど椎野理香の存在は人混みに紛れた中から一粒の宝石を見つけ出した様だった。
けれど出逢ってみれば、
容姿・性格と共に非の打ち所のない美人で、
敏腕なウェディングプランナーの器量を見れば、誰だって驚愕してしまうだろう。
でも何とも言えない雰囲気が何処か他者を安心させる。
だから、彼女に居て欲しかった。
安心感出来るからこそ、自分自身の傍に置いて起きたい。
「……どうしましょ……。どうしてこんなことに……」
彼女のやや斜めのソファーに腰掛けた時、そう呟きが溢れた。
両手で顔を覆い嘆きながら泣き崩れる。
紛れもない、繭子の“弱音”だった。
先が見えない。
暗闇の絶望の扉で閉ざされたまま、ただ悲観に暮れる。
そんな繭子の考え込んだ姿に、理香は心の内での嘲笑が深くなる。
ずっと見たかった顔。復讐を誓ってからずっと求めていた表情。
それが目の前にある。
なんとも言えない達成感に満ちた感情が心の中に溢れていき
心の奥底に存在する"復讐者の自分自身"が影を見せて、彼女は心で呟く。
(___________とても良い顔よ。お似合いだわ。どう?
この何事にも変えられない絶望の味は…………)
けれど。
此処で終わる訳にはいかない。本当はこれからだ。
嘲笑いを続けていく心の感情に内で忠実になりながら、
理香は立ち上がると静かに繭子の前に跪き、ずっと震えているその手に自分自身の手を重ねる。
表に浮かんだのは、穏やかな微笑。
裏に浮かんだのは、悪魔への喜びの嘲笑。
「大丈夫です。森本社長」
「_______え」
涙の浮かんだ瞳。
その目が映したのは、天使の柔らかな微笑み。
「このままで終わるおつもりですか?
そんなの『ジュエリー界の女王』と呼ばれる貴女には似合いません。
このまま、有耶無耶のまま、終わるなんてとても残念です」
心にもない上辺の言葉を並べる。
けれどこれは悪魔を、誘う術の言葉。
「でも、これからどうしたらいいの……!!」
感情的に言う繭子とは反対に、理香は冷静沈着なままだ。
だって、理香の作戦は、思惑は______。
「全てを受け入れて、やり直しましょう?
今なら間に合います。全てを明らかにしてまた歩んでいくんですよ。
きっと森本社長なら出来ると思います。それに______」
復讐者の言葉。
「私が、支えになります」
もう止められない。
動き始めた針の秒針が戻せない様に。
絶望に浸された悪魔の女に下す、理香の術は目標は。
(これで終わりではないわ、貴女はこれから跳躍するの……“悪い意味”でね)
理香の復讐は、まだ終わらない。
今度は、
自分自身が、悪魔を地獄の底へと突き落とす事だ。




