第57話・復讐者の決意、無条件の温情
小さなカフェ。
元々、今日は協力者である青年と
色々と込み入った話をゆっくりしようと予定していた。
復讐の利害関係者だが、本来は職場の同僚であり、当然ながらそれを持ち込む事は出来ない。
最近は互いに多忙なあまり、
話を出来る暇も時間も全くなかったのだから
今日は二人共に色々と自分自身の込み入った話を持ち込んで
話し合おうという事になったのだ。
奥まったところの棚に置かれた大きなカサブランカの花。
隅の方、目立たない対面式のテーブルからはその大きく咲き誇った花が伺えた。
そのテーブルに向かい合う様に座った後で、話し始める。
「……芳久。ごめんなさい。最近、疲れてるでしょう? 本当に大丈夫?」
「平気だよ。もう慣れたかな。でも、延々とお説教聞かされているみたいでさ」
最近は実父からようやく解放される時間が増えてきた様だ。
一時期の疲れ切った表情が少し和らぎを見せて、
なんだか何時も通りの青年には戻って来ている様だが、
今の会社の現状ではとても大変だろう。
慣れたと言えど
プレッシャーがかかっている話を延々と聴かされ続くのは辛くもあり負担もある。
(この表情も、もしかしたら、表向きだけなのかもしれない)
芳久は、ポーカーフェイスは特意義で、作り笑顔をよくする。
理香は芳久のポーカーフェイスを自然と見抜いていた。
(それが心内が読めない要因となっているのだけれど)
理香は芳久のポーカーフェイスを自然と見抜いている。
そのポーカーフェイスの奥にある、領域に踏み込むと
なんだか逆鱗に触れてしまいそうで、とても言えなかった。
青年を見ていると、なんだか必然的に森本心菜を思い出してしまう。
「……そう。大変、よね。
理事長になる立場なら色々とあるだろうし……」
「高城家の家系は偉大で長い上に誇りがあるからね。
理事長は挫折知らずな上にプライド高いから。熱弁を奮い出したら止まらないんだ。
おまけに自尊心が高くて、高城家に強い執着心と誇りを持ってるから」
「……それはうちも、同じだわ」
親なら似た者同士の様な人物が揃っている。
欲望の亡者とも呼べる人間が実の親なのは何処か親近感を持つと同時に
味わう苦労もほぼ同じで、こんな風に誰にも言えない経験を言えるのは良い機会。
言わばストレスの発散法と言った方が近いかもしれないが。
色々と語り合った後、
彼女が何処か意味深な表情を浮かべている事、分かっていた。
最近は表情が固く、あまり笑う機会よりも深く考え込む素振りの方が多い。
「そっちは、どう? あの社長さんは?」
本題を出されて、
理香は少し悩んだ末に気付き始めた事を口にした。
「もしかしたら、私が娘だと薄々感付いているかもしれないわ」
「……あの森本社長に?」
「……ええ」
芳久の問いに、理香はこくり頷く。
あの視線は、実娘だと疑ってまじまじと見詰めていた視線。
もしかしたら悪魔は悪魔で薄々、勘付きかけて自分自身を睨んでいるのかもしれない。
「……昨日は、私の顔を凝視していたの。まるで何かを探っていたみたいに」
「それは怪しいね。でも、それから分かる様な相手の態度に変化とかあった?」
「……それは変わって無かった。今まで通り………多分気付いてないと思う」
「だろう。あの社長さんなら、気付いたら露骨な態度で迫りそうだから」
確かにあの時、
ジロジロと顔を凝視されていた。何かを探る様に。
もしかしたら、自分自身の正体に気付かれてしまったのかと不安も覚えたが
森本繭子の態度はいつも通りで、それ以外に変化はない。
それにあのしつこく執念深い性格の悪魔が気付いたのなら
当然。執念を燃やして自分自身を引き込むに違いない。
そこまで聞いてから、芳久は兼ねてからの疑問を尋ねる。
「あのさ、理香」
「……なに?」
「もし、正体がバレてしまったら、どうするつもり?」
椎野理香が、森本心菜だと分かってしまったら。
(……彼女は、この先の見えない迷路を迷わずに進んでいるけれど
も。
ただもし)
もし。森本心菜だと、復讐相手だと分かってしまったら
彼女はどうするのか。
密かに芳久はそれが気になっていた。
そんな芳久の問いに、理香は一瞬 目を丸くしたが。
「……続けるわ」
迷わずにそう言った。
「そうなれば、今の様に穏便に済ませずには居られない。
私の正体がバレてしまった方がややこしくなるでしょう_______。
でも。もう退けないの。
もしかしたら一層の事、正体がバレた方が良いのかもしれない。
けれどね。私はとことんまで追い込むつもりよ。
証拠だって沢山、ある。
私は何があっても負ける訳には行かないわ」
もう過ちを二度と繰り返しはしない。
絶対に悪魔のお縄にかかるものか。
ずっと受け続けてきたものの仕返しを果たすのは今しかないのだ。
一時期は怯んで迷いながらも覚悟は、腹は括っている。
そんな理香の表情に、芳久は固まる。そして気付いた。
頑丈な強い意志。自分自身には持って居ない、怯まない覚悟。
「……そっか。やっぱり理香は強いな」
「……え?」
「何かあったら言ってよ。俺も何か力になるからさ」
「……ありがとう」
その刹那、ぐさり、と何かが心に突き刺さる。
じわじわと心に滲みて行くのは、相手の無条件な良心。
相手との交流、相手との会話。
殺し奥底に絞めた筈の感情が。
相手の無条件の温かさが滲みたと分かった瞬間に、気付いたのは。
________________戸惑いと、良心の交差。
理香は戸惑っていた。人の温かさが此処にある事に。
当たり前な筈なのに。けれど、殺した感情が疼き蘇りそうになる。
気付きたく無かった。相手の温かさに。無条件に与えられる情に。
孤独に冷たく凍った心。
人との交流を深めていく上で気付くと分かっていた人の温かさ。
無条件な情を知らなかった理香が、時折に知ってジレンマに堕ちる瞬間。
理香は人に打ち明けないだけで、
人との交流で与えられる情の温かさに今でも静かに戸惑っている。
良心なんてとっくの昔に、葬った筈だ。
感情なんて要らない。そう思った心が、唯一の迷いを見せた瞬間だった。




