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悪魔に、復讐の言葉を捧げる。  作者: 天崎 栞
第5章・娘から悪魔へ送る白詰草の花
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第55話・微かな変化




理香は手を持ち上げて開き、不意に手の平を見る。

あの時。あの躊躇いの感覚を覚えながら、

青年の肩に置いた己の手。



それを見下ろしながら、

理香は遠くを見詰める様に見てから手を下ろした。


自分自身から、誰にも触れた事はない。

この手は愛されたいと、振り向いて欲しいと思いながら、あの悪魔に尽くしていた手。

こんな穢れた自分自身の手が誰かに触れて言い訳がない。

ずっとそう思っていた。

だがあの時。



(__________どうして)



躊躇いを覚えながらも、確かに青年の肩に手を置いた。

何故、自分から手を伸ばしたのか。


理香は他人にも自分自身にも興味はない。

誰かに特別な感情を抱いた事なんて更々ない。誰かに興味を抱いた事も無い。

大人となってから、この手が誰かに触れた事も一度も無かった筈なのに。


けれど。あの時は

操り人形の様に棄てられながらも

父親から操られている青年を見ていると、まるで昔の自分自身を見ている様だった。



生まれ育った環境は違う。

けれどその幼少期から受けてきた理不尽な疎外感、あの欲望の塊の親をバックボーンに持っている。

青年の境遇を聞かされてから、理香は“親近感”という感情を持たずには居られなかった。



たった一人の青年に親近感を感じてしまったのは事実で、

ただ数分でも青年の傍に居たのは自分自身だ。

用が済んだら終わり___そんな棄てられた仔犬の様な彼を無視は出来なかった。

何故か素通り出来ずに、傍に居た。


(……………どうしたの、私は)



だが。

何故 理香は手を伸ばしたのか。そんな感情が湧いてきたのか。

自分自身でも不思議で未知な感情に苛まれ、珍しく答えが出ない。



「……ごめん。巻き込ませて。ありがとう」



あの時、最後に青年は、それだけ言って去っ行った。

一人寂しく去っていく背中が、残酷で刹那げに見えたのは

きっと気のせいじゃない。


芳久は孤独だ。ずっと父親の毒の重荷に耐えて頑張っている。

穏やかで優しい人物が、そんな重荷を背負っているなんて事は

先日の折、初めて知った事だ。


本当は兄が亡くなってから、その代わりの重荷をずっと背負い

誰にも話さず、気付かれずに孤独を隠して生きてきたのだろう。


けれど今回、青年の違う一面が伺えた。

そんな彼が人の感情を掻き立てる様な、“何か”を持っている事だけは分かった。

あの時だけだ。この見覚えのない感情を抱いた事も。



これからはきっとない。



___否、芳久(かれ)は、見せないだろう。





不思議だった。

疲れに任せて彼女に甘えてしまったこと。

人にすがる様に甘えてしまった事はいつぶりだったのだろう。

長い間、思い出せない程、遠い記憶に様に感じてしまう。


(………疲れていたからといって、

俺は何という事をしてしてしまったのだろう)


自分自身でも突然にして何をしたのか、と当時の自分自身に問いたくなる。

だが疲れ果てた果てに何かを覆し癒す様な包容力が彼女にあると感じたのは如実だった気がしてならない。

孤高の彼女には、本人も知らない何かが備わっている。


最近は緊張感から気を引き絞め続けていたせいか、

現にあの時間だけは、何年ぶりかに心が安らぐのを感じた。


そして、それは何処か、

何時でも優しかった母の温もりに似ていた気がした。

羽の様に優しく、ふわりとした温かい温情と無償に与えられる優しさ。

短い時間が永遠の様に感じられて、暫し忘れていた安堵感に包まれていたのだ。



彼女は元から優しい人物だと、知っていた。

けれど彼女は自ら誰かに触れる事も接点も持とうとする事はない。

触れようとすれば、まるで雪の様に消えて、雨の如く何も残さずに

跡形もなく消えてしまう様に感じたからだ。


知り合ってから

ずっと彼女を見てきたけれど、それは何年経っても変わらない。

それに、どれだけ足掻いて抗ったとしても、


(きっと、彼女は変わらない)


孤高の存在。

時に儚さを携えているそれが、

時に遠く、尊く感じてしまうのは気のせいではないだろう。

今にも消えてしまいそうな彼女は復讐に一途で、それ以外に興味を示さない。

そんな儚い彼女を自分自身は傍観者として、遠くで見ているしか出来ないだろう。





出社の時間より、早く理香は出勤していた。

兼任社員になってから仕事を掛け持ちする事は決して楽じゃない。

早めに出勤してプランシャホテルでの置いていた仕事を早く済ませていたかったからだ。


エールウェディング課、自分自身の担当した顧客の報告書。

それでもコメントや自分自身の覚えて覚えておきたいメモ。

それらをまとめながら理香は、悪魔の会社に居た事も紛らわせたかった。


(…………私は、プランシャホテルの社員だわ。

あの人の会社の人間ではない。単なる派遣、兼任社員だもの)


しん、と静まり返ったエールウェディング課の事務部屋。

少し早めの出勤したせいか周りには誰も居ない分、余計に集中出来る。

淡々と自分自身の思った事や現状をひたすらパソコンソフトに書き込み

手慣れた手付きでキーボードを鳴らし示していく。

………………自分自身の思いと気持ちも紛らわせたい意味でもあった。


そんな時、カチャリとドアを開ける音がした。

パソコンに置いて居た視点から余所見でドアに視線を向けた時、

部屋に入ってきた人物に、理香は少しだけ固まる。



「おはよう。理香、早いね」

「おはよう。ちょっと早めに仕事を済ませたくて」

「そっか」


昨日の事から、少しは立ち直り芳久は何時も通りの様だ。

理香はそう言うとパソコンに視点を戻し作業へと戻り、文字を打っていく。

そんな淡々としている理香に、自分自身のデスクに座った芳久は

身を乗り出し


「昨日は、ごめん」

「……何のこと?」


彼女はキーボードを触る手を止めず、そう軽くあしらった。


「とぼけないでよ。ほら、俺がさ……」

「……………別に良いの。あれからは大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ。ありがとう」





社長椅子に腰掛けて、背もたれに身を預けながら溜め息一つ。

繭子は机の上で両手を組み頬杖を突きつつ、

順一郎に言われた言葉を思い出し密かに気になっていた。


『お前に、雰囲気が似てる人を見たんだ』



何気ない事だ。

けれど自分自身と雰囲気を似ている人間がいる。

ただ順一郎は大袈裟な人間だ。単なる彼の見間違えかもしれない。


けれど。

感情を昂らせながら言う彼の言葉は、本当の様に見えてしまう。

繭子は悶々と思考を研ぎ澄ませながら、鬼の形相で事を考えていたが。



(__________もし、心菜なら?)



ふとそんな事が浮かんだ。

自分自身と娘は正反対だ。あまり自分自身にも似ている節はない。

けれど。それは自分が見てきた"あの頃"しか知らない話で今は違う。

けれども大人となった彼女は少なからずとも自分自身と似ている節でもあるのか。



繭子の中で何かが疼く。

もしも。もしも、彼女なら__________。



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