第39話・人形師とマリオネット
暗黒の部屋。プランシャホテル、理事長室。
明かりを拒んだこの部屋の主は、ただ微笑を浮かべていた。
その闇の中で煌々と光るモニターを芳久は、見詰めて眼を静かに伏せる。
憂鬱な気分を心に仕舞い込んで、英俊に視線を送る。
「時はもうすぐだ。腹は括っているな?」
「そのつもりだと言った筈です。覚悟も据えています」
息子の決意の言葉に満足が行ったのか
英俊は手を持ち上げて、そうかと呟いた後に微笑する。
対して芳久は真剣で熱の無い言葉でそう返事を返して、
心の中で溜め息を付く。
喜んでいるのはこの男一人だけだ。
自分自身は特に何も思わない。ただ冷めた瞳で無情を見詰めていた。
もう時間も、猶予もない。
時は来ている。自分自身は次期理事長として公の場に姿を現わす。
そうなればもう普通では居られなくなる。
『高城英俊の息子』として『次期理事長』として、
今後、自分自身は見られていくのだろう。
それは理事長である父親が全て決めた事だ。
それに抗う事は愚か、そんな気持ちは芳久には無かった。
(どうせ抗ったところで、
この人に逆らえば、潰されるのだから)
心の中に佇むのは、諦観。それだけだ。
「次の会議の最後で、お前を次期理事長として発表する。
周りの者は知らないから驚くだろうな。だがな、お前の実力では
皆、お前を次期理事長として認めるであろう。私も楽しみだ。鼻が高い」
(_________早とちりし過ぎだ)
芳久は心の中で溜め息を付きつつ、そう思う。
次期理事長に拘ってはいるが自分自身は辞任する気はない癖に。
この理事長は、父親は、理事長の座を譲らず、死ぬまで玉座にしがみつくであろう。
芳久が理事長に為る時は、英俊が死んだ場合に、
後継者として、芳久は正式に理事長として就任する。
たが英俊が、こんな時期に息子を発表したがるのは
気分が乗った気紛れと"自慢の息子"を初めて会社の社員達に晒し
次期理事長として成すというのを公にしたい。
そんな身勝手な理由だ。
それだけ。
ただの利己的で自分勝手な理由。
それに、英俊は操り手で、芳久は操り人形。
人形師は自分自身の手によって動く事を、そして見せるマリオネットみたいだ。
マリオネットならまだ良い。時に人に感動を与えて、喜ばせる事も出来る。
人形師の操り方にも委ねられるが、流石に自分自身と父親、
これはとても悪い例でしかない。
(気が乗らないな)
兄の和久が亡くなった為に、急遽自分自身が後継ぎされたが
全てに諦観を抱いている芳久にとって、野心や欲望等は全く在りやしない。
高城家にも、プランシャホテルにも、一粒の執着もない。
ただ父親のマリオネットのふりをして操り人形として
操られているだけだ。
(こんな会社も、この男も、潰れてしまえば良いのに)
そう思った事は何度かあったが、
それを実行しようとは思う事は無かった。
一人の男如きにそんな抗う姿勢も意欲も、馬鹿馬鹿しいとさえ感じたからだ。
高城英俊は、性根が腐った自分勝手な男だ。
そんな腐り果てた男に抗うだけ無駄と思っていた。
だから表向きはご機嫌を取って自己満足させていれば良い。
その間は自分自身が
ただ高城家に、プランシャホテルに執着する無様で
身の程知らずの人間だとは気付かないのだから。
この会社も単なる高城家の、無様な砂のお城。
けれど。
ふと芳久に考えが浮かんだ。
自分自身が理事長に就任すれば、
高城家やプランシャホテルの権利や何かも自分自身の自由になる。
一層の事、自分自身が主導権を手に入れたら
こんなこの男の積み上げた砂のお城を、潰してしまおうか_____?
でも、それは当分願うだけで叶いもしなさそうだ。
この自己満足に溢れた男が、理事長の座を去るとしたらかなり先になりそうだから。
もし叶うとしたら彼が理事長の職を退き、自分自身が理事長に就任した瞬間だろう。
表に明らかにされていないだけで、高城家の犠牲者はいる。
芳久が知るだけで、歴代の秘書、実母、実兄_____。
歴代の秘書は全て女性。英俊によって関係を持たされているし、
実母と実兄は報われぬ、若くして無念の死を遂げた。
英俊は自分自身にそぐわぬ、反発し抗う者、
高城家、プランシャホテルを否定する者は容赦なく潰した。
芳久が耐えられなかったのは、
実母や実兄が苦労し英俊の犠牲になる姿だった。
ならば犠牲になるのは自分だけで良いのだ。自分自身は理事長の操り人形になってところで何も感じないのだから。
プランシャホテルは、
ホテル業界では最高峰のホテルとされているが、
実際はどす黒い、闇に包まれた穢れた砂の会社でしかない。
だから、“彼女”にあんな評価を下して欲しく無かった。
これ以上もう、他の社員も
彼女も洗脳したくない。巻き込みたくない。
「________"父さん"」
父さん、と呼んだのは何時ぶりくらいだろう。
父親という認識もないから、目の前にいる男が父親だと思えない。
何かにつけて後継者だからと上から目線で返してくる男に
芳久は、長らく疑問に思っていた言葉を尋ねてみる。
それを告げれば
もし、言えばどういう反応するかの言葉を問いてみた。
「もし、俺が死んだらどうしますか_______?」
そう聞いた途端、
英俊は一瞬だけ、眼を丸くしたが、刹那に眉と目尻を吊り上げた。
「何を馬鹿げた事を言っている。お前は、私の跡を継ぐんだ。
それは決まっている事だ。絶対に許さんぞ。まさかお前、自殺する気か!?」
息子の“もしも”の話に血相を変えて、
だん、と机を叩き、熱の籠った声で、英俊は声を荒げた。
眉間には皺を寄せて瞳は血走り充血している。
英俊は息子を心配している訳ではない。
プランシャホテル理事長を継ぐ人間が居なくなる事を恐怖を覚えているのだ。
(僕は、貴方の道具だ)
それはまるで、
怒りを表した七つの大罪に出てくる“強欲”の様だった。
しかし血相を変えている父親に反し、冷めた感情を覚えながら
芳久は冷静沈着なまま表情を変えないままだ。
「……まさか?
“もしも”の事でで言ってみただけですよ。何を焦っているんです?
家は何方かと言えば早死する家系でしょう?
だから、例えで言ってみただけです」
そう言って、芳久は微笑して見せた。
翌日、_______エールウェディング課の会議。
何時も通りで何事もなく進んで行く中で、理香は一つ気になって居た。
同僚が居ない。会議前まで普段通りに居たのに、
部屋に目線を配って何処を捜してもこの場には姿すら見えない。
高城芳久という、あの青年は何処に行ったのだろう。
『_________それが、なに?
俺がこの会社と、理事長と関係があったらどうだって言うのさ。
理香、理香が思うこの会社の観念は否定しないし、それで良いんじゃないか。
けれどね言っておくよ。これは忠告だ。この会社も理事長も、
君のお母さんと同じくらいのグルでどす黒いよ。気をつけな』
ふと、芳久の言葉が浮かんだ。
あの言葉の意味は、何だったのだろう?
理香には気になっていたが、如何しても解けない問題だった。
初めて冷たい眼と表情、そしてあの冷たく怜悧な言葉。
(……まるで、別人みたいに)
けれど、あれは土足で踏み込み
遠慮知らずに言った自分が悪かった。自分自身に非があるだろう。
けれど何かあるのか。
どうしてあんな言葉を、かけたりしたのだろう。
耳に入ってくる言葉も、色々と渦巻く中で考えても、答えがでない。
そんな中で会議で終わった。
結局、芳久は最後まで姿を現さなかったままだ。
そのまま帰ろうかと思った時に、主任に変わって理事長が姿を現した。
「______やあ。
エールウェディング課の担当者さん。お疲れ様です。
この課の評判や業績はとても良く、何時もプランシャホテルのトップですよ。
理事長として誇らしい限りです。
そして突然でありますが、
理事長である私から、“ある発表”があります」
理事長が出てくるなんて、よっぽどの事があるのだろう。
提携経営も協同ブランドの発表も終わった今、次は何の発表だと?
会議室の空間が硬い緊張と、張り詰めた静寂と沈黙に包まれる。
「私は理事長として
このプランシャホテルを創り上げて来ました。
ですが私も長々と続ける不可能です。今回は私の後継者である人を発表します。
______さあ、入ってきてくれ」
(後継者?)
今になって何故だと思っていた理香は、次の瞬間に唖然とする。
理事長の合図によって出てきた人物は__________。
明るい色に整えられた髪。
端正に整った顔立ちと、切れ長の灰色の双眸。
長身痩躯のすらりとした出で立ちの青年は、紛れもなく
先程まで自分自身が捜していた、高城芳久だった。
(……………芳久……?)
どうして、彼が_______?
「彼が、私の後継者であり、実の息子です。
次世代のプランシャホテルの頂点を担う人材。跡を継ぐ高城芳久」
「…………!!!!」
皆、同様と驚きが広がる。
呆然としている中、ふと青年と、眼が合った。
あの時と同じ怜悧な眼差しは、まるで貫かれそうだ。
ようやく理香の中で渦巻いていた疑問の答えが出た。
(だから、芳久はあんな複雑な眼差しを………)
理事長に向ける理事長の複雑な眼差しの意味が理解出来た。
どうして気付かなかったのだろう。
今考えてみれば名字だって一緒だった。雰囲気だって似ている。
なのに何故、今更にならないと気付けなかったのだろう。
理香は、ただ言葉を失ったまま。発表は終わった。
理香は呆然と佇んでいる。
そんな帰り際、丁度 青年と場が合った。
視線が絡んだ時、理香はようやく言葉を出す事が出来た。
「…………貴方が、言っていた事は、これだったのね……」
青年は普段通りの表情ながらに無言だったが、
彼はそっと微笑むと、ゆっくりと理香に近付いて
「そうだよ」
そう耳打ちした。




