第36話・それぞれの身辺
【氏名:椎野理香
生年月日:19xx年 2月12日 血液型:A(Rh+)
身長:163cm 出身地:東京都 〇〇市
本籍地:東京都 ◯◯市 〇〇村 子守唄の園 (養護施設)
養母:椎野 舞夏
参考:養母とは19XX年 7月31日に養子縁組。
身元保証人及び後見人である。椎野理香が21歳時に病死。
(20XX年 6月23日、53歳没)
補足コメント:申し訳ございません。
椎野理香に関する情報は驚くほどに少ないものでした。
上記が椎野理香に関する、全て分かった情報類です】
自分自身の息のかかった者に、椎野理香の調査を願い出た。
徹底的に洗いざらい調べて欲しいと頼んだ探人から、来た資料は
此方の予想とは大違いに少なく、全てが考え違いなものばかり。
繭子の考えでは、
穏やかな家の娘で優雅に育った身だと思っていた。
だが事実は真っ当から違い、全て時計の針が逆になる様な人生。
田舎の長閑な孤児院で育った天涯孤独の身。
生まれて間も無くして孤児院の玄関先に置き去りにされていたらしく、
それ以降はそのまま置き去りにされた孤児院で育てられた。
父の顔も、母の顔も知らない。
本当の生年月日も分からない。置き去りにされていた当初、
その赤ん坊の大きさから計算して修道女ーから生年月日、
そして一生涯に背負う「理香」という名前を与えられたという。
「理香」という名前は、“理知的で明晰な人である様に”という由来から名付けられたらしい。
10歳になった時、彼女は養女に出されたが、
彼女に待っていたのは、その養父母からのは虐待だった。
虐待は身体的、精神的な虐待で、思わず目を背けてしまう様な内容ばかりだ。
助けも呼ぶ事のない現実が続いて一年。
近隣住民からの虐待の通報を受け、再び生まれ育った孤児院に戻ってきた。
それからは自分自身が養女になる恐怖心を抱き続け、
孤児院長の計らいもあり18歳になるまで孤児院で暮らしていた、という経緯が記されていた。
理香は名前の由来の通り、
昔から謙虚で控えめな、賢い少女だったらしい。
自分自身は薄幸な人生を歩んできたにも関わらず、
彼女は心優しく成績も優秀、名の通りに頭脳明晰の人物だった。
軈て、それを見初め理香を最初に見つけた、
天涯孤独の孤児院の夫人の養女となっている。
養子縁組を結んだのは、
椎野理香が施設に帰ってきた後の事だ。
椎野姓は養子縁組を結び、軈て亡くなった孤児院長のものらしい。
しかし理香自身、写真を撮られるのが苦手で、
彼女は写真撮影の際は神隠しの様に姿を消していたらしく、
故に彼女が写真に写っているものは、一枚もない。
だから椎野理香の姿は伺えず、現に椎野理香の写真は一枚もない。
ネット検索で調べてみると
今では彼女の育った孤児院は老朽化、僻地にある事も拍車をかけて閉鎖され建物は取り壊されていた。
今から5年前の事だ。
ちょうど孤児院長の亡くなった時期と重なりつつある。
薄幸な人生。身寄りのない天涯孤独の人物。
椎野理香を引き取った養父母は逮捕され、
出所した現在は蒸発して行方知れずになっている。
孤児院長も天涯孤独であり、彼女が亡くなった後に
自分自身の育った孤児院から出た後の彼女の経歴は不明だった。
一体、何処にいたのか。
何処で、何をしていたのか。
だが
若くしてあれだけの華やかで、高らかな
名声という名のキャリアを色濃く残しているのだから
よぼどの優秀な才能と実力を秘めた人間には変わりない。
(………椎野理香。貴女は、一体何者なの…………)
心は、酷く張り詰めていた。
年々、心が静かに冷たく凍っていき、同時に感受性が乏しくなっていく。
自分自身でも価値観や心情がかなり変わっていくのは分かっていた。
けれど、止める気も止まぬ気配もない。
(今までの感情を棄てなければ、冷酷になれない。
“あの人”への、復讐なんて出来ないわ)
心ごと暴走すればいい。
良心や躊躇い等を一切合切、棄てて冷酷非道な人間になってしまえ。
あの悪魔に、自分自身が受けた同じ苦しみを与えていく
自分自身の人格が二人に分離していくのを、理香は知りながら見て見ぬふりをした。
たったと少し小走りに地を蹴り走る。
ウェディングプランの計画表を作ったももの、自分自身の身に持ち忘れてしまった。
エールウェディング課の部署の机に置いてきてしまった企画書を取りに理香は向かっていたが_____
ふと扉の前で足を止めて急に四角になる影へ、小さく身を隠す。
その理由は、中に誰か居たからだ。
その相手は、芳久と____滅多に姿を現さない理事長。
二人だけ向かい合わせに、そして雰囲気も深く重い空気が漂っている。
空気を読む事、大人の怪しげな雰囲気。
その他者の空間には、他者が入ってはいけないのだと、
それらは幼少期から植え付けられ、痛い程に知っている。
だから咄嗟に身を隠した。
スライド式のドアの前に佇み、自分自身はいない振りをしたが
プランシャホテル、エールウェディング部署の部屋の中では、神妙な話をしている様だった。
しかし中の部屋の会話の内容の話は、微かに理香の耳に届いていた。
「_______エールウェディング課の業績は、上がっている。
このまま順調にいけば良いだろうな。それにまだ上がる予知があるだろう」
「…………そうでしょうね」
身を潜める中で、理香はその声に心当たりがあった。
両者とも自身の聞いた事がある声音。
しかし誰にも言えぬ、個人的な話をしている事は、すぐに理香は察し解る。
その会話を交わしている相手すらも。
(芳久と、理事長……?)
「提携経営は上手く行っている。移籍も兼任も決まった事だ。
そろそろ、お前も覚悟を決めて潮時だろう。
そしてこれから、自分自身を上昇させるんだ。
その為にそろそろ腹を括れ。
私はもうお前の次の順序を考えている」
「そのつもりです。早とちりはしません。
必ず理事長の望む相応の結果を出しますから」
「なら良い。お前は昔から物分かりが早いからな。期待しているよ」
(________どういうこと?)
理香は不思議と、脳裏に疑問符が浮かんだ。
お互い全てを知っている様な会話だった。
だが、その二人共に他人の様な、だが何処かとも取れる様な会話している。
あんな企みを浮かべる理事長の表情も初めて伺えた。
それに対して何よりも真剣ながらも艶のない冷たい同僚の声音。
そして何より青年が浮かべる表情は
時折に理事長に向けるあの悟った様な表情と眼差し浮かべていた。
企みのある表情の理事長、何処か冷めた表情をした同僚の姿。
どれらも見たのない事に理香は、少しばかり驚いていた。
そ意味有りげな会話の内容は、
あの話は一体、何なのだろうか?
そしてどうして、二人が二人きりで会い神妙な会話をしているのか。
(…………バレない様に、聞かないふりをしなくては)
そう思いながら、
理香は更に身を縮めて理事長や同僚に気付かれない様に努める。
ひっそりと中の様子を伺いながら、身を潜め隠していると、
話が終わったのか、理事長が自分自身の横を通った。
理香は静かに理事長の背中を見送った後、
数秒間だけ屈んだ姿勢を続けた後、ゆっくりと立ち上がった。
(………あの話は一体、何を意味するのかしら……)
そう疑問符を浮かべた。
何故、同僚が理事長と他人行儀ながら
親しく意味有りげな話をしていたのだろう。
芳久は出てこない。
部屋に入る事を少し迷ったが、
企画書が無ければ基も子もないだろう。
何事もない振りをして部屋に入って来て、凛とした態度で自分自身の机に回った。
青年はデスクに持たれかかりながら、
窓の外からの景色を遥か彼方、遠い眼差しで見詰めている。
しかし隣のデスクに現れた彼女を見た瞬間、我に返った様だ。
「理香? お客様との相談は?」
「…………終わったわ。今日の夜は披露宴でしょう?
そのプランの計画表を忘れてしまったから、それを取りに来たのを気に、此処でもう少しプランの確認をして色々と考えようかしら」
「そっか」
知らない振りをした。この話には触らない方が良い。
それに相手に気付かれていない様でで何よりだ。
気付かれて居なければ、そのまま何事もない振りをすれば良い。
今の知った事はそれはそれで割り切り、
今夜プランシャホテルと交流の深い人物の盛大な結婚式と披露宴が行われる。
計画書を確認し、少し加筆する事にした。
今夜、行われる披露宴はその担当者は自分自身だ。
ミスは一つも許されない。
デスクに座り計画書を確認しながら、
向き合い始めた彼女に青年は後ろでパソコンを見ながら
「俺も貸して」
「……………?」
「俺も共同担当者だし。良いかな」
「勿論。私、視野が狭いから、何かアドバイスでもあったら」
「……って、完璧じゃないか。ミス一つない。
でも。強いて言うなら、此処の欄を____」
この夜。
先に結婚式を挙げ、その後での披露宴が行われた。
流石、プランシャホテルの交流の深い人物の結婚披露宴とあって
プランシャホテルも相手側の会社もかなり力んでおり、
会場内は祝福の熱気に包まれ溢れている。
ミスもなく無事に終了した事に
安堵を浮かべて、肩の荷が下りた後で控え室へと戻る。
控え室には、ちょうど同僚である芳久が居て、
高層ビルから伺える夜景を、呆然と見詰めていた。
窓に持たれかかりながら腕を組み合わせて、
夜景を見詰めている長身の端正な顔立ちをしている姿は
まるではドラマのワンシーンの様だった。
芳久が自分自身の存在に気付くと
彼は此方の方へ向いて、僅かに手を振って見せた。
「他の人達は………?」
「皆、帰ったよ。それより重役お疲れ様」
「そちらこそお疲れ様。今日はどちらの会社も張り詰めていた様に思う」
そういつも通りの労いを見せてから、
放った言葉に少し青年の面持ちが変わった気がした。