第34話・抗う者を、知らない者
『どうも、彼女は我が社に強い愛着があるようです。
それは私としては誇らしくもあり、とても嬉しいのですが。
彼女は断りましたが、兼任なら携わるという結果に落ち着きました』
「……………そうなの」
椎野理香は、提携兼任という事という結果に落ち着いた。
それは即ち、プランシャホテル勤務重視の派遣社員ということだ。
高城英俊の返事に、繭子はそう返して電話を切った。
電話を切った後、思いのままに、ダンと机を叩く。
机に置いてある書物や電話、その他が揺れる程に強い力だった。
叩いた痛みよりも、繭子の中では怒りが勝っていて腹の虫が収まらない。
「…………どうしてなの……!?」
どうして、思う様にならない。
こんな好条件に恵まれた事はないのに、無礼にもそれを断るなんて。
自分自身は優秀だと図に乗っているのだろうか。
(…………本当に無礼な娘)
それは、身のほど知らずとも思える。
思う様に嵌まらないのは、あの小娘に似ている気がした。
自分自身の誘いと計画を立てているのを、見事に綺麗に壊していく。
自分自身の娘と椎野理香は、其処が似ているという共通点を感じてしまう。
全くの別の人物であるはずなのに、
自分自身の計画を壊したあの憎い小娘を思い出して
椎野理香でさえも憎く思ってしまい、其処らにある物を所構わず
感情のまま、投げ出してしまった。
バラバラ、と音を立てながら
放り投げられ、宙を舞い落下し床に打ち付けられ落書類やファイルに電話機。
再度、悔しさを噛み締めながら繭子は野獣の如く、叫んだ。
けれど気は晴れない。
(………椎野理香、あたしになんという屈辱を……)
ただでは、済まさない。
この受けた屈辱を、相手に晴らさなければ…………。
『はい』
凛と澄んだ声が、耳元に届いた。
椎野理香の低姿勢の物腰と声音は何時でも変わることはない。
心地の良い声音と育ちの良さを感じられるものは微塵も崩れてはいなかった。
平常心でいる相手に、憎しみが沸いたのは気のせいじゃない。
「椎野さん。これから時間はあるかしら」
『これからですか? 大丈夫ですよ。何かありますか?』
「兼任としての話を聞きたいのよ。貴女はどう思っているのか。
電話で言うのは容易いことだけれど、あたしはそういうのは嫌いなの。
直接、向き合って会って話がしたいの。いいでしょ?」
『……はい。分かりました。お時間は何時になりますか_____?』
(………のうのうと罠にかかって来たわね)
理香は、冷めた心情でそう思う。
自分自身が下した決意に悪魔が納得する筈はない。
だから罠を仕掛けて、悪魔が血相を変えて乗り込んでくる事を待っていた。
繭子が直談判してくるであろう事は、
想定内だったので理香は、すぐに返事を返す。
繭子のムシャクシャとして感情は、多少は落ち着いていたので
相手に食って掛らずになるべく冷静を保って話す事は、出来ただろう。
電話の向こうから聞こえる、ただ悪びれた風のない様子にまた別の意味で腹が立ったが。
電話を切ってから、
社長椅子に腰掛けるとパソコンと向き合った。
煌々と光る画面に、表示されているのはこの会社の暫くの業績グラフ。
机の上で腕を組んで、鬼の形相でグラフを凝視しながら見詰めた。
(…………なんて惨めなの)
昔に戻りたい。
昔、最も繁盛していたピークの時期____華やかな栄光を浴びた時代に。
あの頃は真ん中よりも下に留まっているグラフなんて一度も見た事なかった。
だがここ数年、この真ん中の線を越すのも、上昇を表すグラフすらも見た事がない。
プランシャホテルと提携経営を結んだ今、
プランシャホテルとの協同ブランドに頼るしかない。
ブランドを展開した事でやっとこの結果だが提携経営が無しなら見るにも堪えないどん底の惨めな業績グラフだろう。
もうJYUERU MORIMOTOの業績の回復は難しいだろう。
_________けれど。
こんなどん底の惨めなグラフを、晒す訳には行かない。
全盛期の頃にあった高層の業績のグラフだったのに、
低迷した現状を見せるのは社長である自分自身のプライドが許せなかった。
繭子は、キーボードへ指先を伸ばす。
根元である元のグラフを基本にしつつ、それをコピーして
低迷しているグラフを手元の操作によって真ん中以上に随分と伸ばした。
解っている。
こんな行為は、不正だと。
けれどいけない事だと知りつつも、繭子の私利私欲の欲望が勝っていた。
こうでもしないと自分自身のプライドが治まらない。
これは、立派なデータ改竄だ。
けれどこんな無様な業績グラフデータを社員に晒すなんて出来ない。
繭子は度々、低迷したグラフデータを全盛期と同じように改ざんしていた。
ここ数年、不景気も重なってからこんな事を繰り返しては嘘と偽りを重ねる。
それしかできないのだ。
JYUERU MORIMOTOの評判を下げる事は許さない。
この改竄は社員も、この業界の者も、知らないままだ。
このままバレずに行けば良い。存在するのは全盛期だった
あの頃の様な輝かしい栄光のままのJYUERU MORIMOTOだけで良い。
そうすれば、華やかな女社長としての評価も、会社の評価も落ちぶれる事はないのだから……………。
今やどん底のJYUERU MORIMOTOも、森本繭子も
そんな不景気に飲まれた会社と社長というレッテルを貼られるのは嫌だ。
例え人の道に外れているとしても、善悪の判断なんてどうでも良い。
自分自身を良く見せて光らすものの輝きを曇られる訳には行かない。
どんな手を使ってでも、JYUERU MORIMOTOは、
宝石会社の業界の中で頂点に輝き続ける存在なのだ。
(ジュエリー界の最高峰に立つのは、あたしなの。
誰にもこの席を譲りはしないわ)
執念の社長は、悪へと落ちていくばかりだ。
だがそれで良いのだ。会社も名声も全ては
自分自身を輝かせるお飾りであり、装飾品に過ぎないのだから。
それが無くなってしまったら、自分自身は生きて行けない。
どうしても、必要なもの。
それを奪われたら、自分自身は壊れてしまうだろう。
その華やかなキャリアも、装飾品の輝きも奪わせも、変わらせるなんて絶対にさせない。
そんな人物が現れたら全力で、息の根も止めて抹殺し隠蔽させる。
(最近は頭に来るばかりね)
タバコを一つ出すと、それを吸った。
今月分の改竄も済んだ。今月もそれで問題はないだろう。
心の底から笑いながら、窓の景色を見詰めた後、静かに息を吐く。
タバコの煙はゆらゆらと現れて、そのまま揺れて消えていく。
そろそろ行かないと。
そう思った時、電話の着信が届いた。
知らない番号に少し躊躇を覚えたが、そのまま電話を取る。
「________はい?」
『…………繭子か?』
その声に、繭子は目を見開いてしまった。