第33話・後には退けない暴走
『私はこのホテルで働く事が好きなのです。
この先もプランシャホテルのウェディングプランナーとして
お客様に誠心誠意込めて働きたいと思っております。
大変光栄で有難いお話ですが、申し訳ありません。私にはお受け出来ません』
角が立たないように、そう断った。
チャンスとしては良いが、それではべったりという様な関係に
思えてあの頃に戻ってしまうのでは、という思いが余儀った為だ。
それは避けたい。
着かず離れずの今の距離で、復讐を果たしていけば良い。
(あの人とは、復讐目的以外では近付きたくないわ)
そうやんわりとしながらも、しっかりと断ったものの
だが、理事長はそれでも惜しいと言った感じで、
ならばと定期的な派遣社員ならばどうか、という話を持ち出してきた。
(…………兼任社員ね)
プランシャホテルからは移籍はしない。
あくまでも提携経営での、両方の会社として働く、
兼任社員としてならどうかと。そんな話を持ち出された。
兼任社員ならば
プランシャホテルで働くのが本分で、
時折に定期的に派遣社員として提携経営先で働く、
そんなスタンスになるだろう。そんな付かず離れずの距離ならば。
(…………それならば、いいのかも知れない)
暫し迷ってしまったが
理香は、兼任社員としている事を、快諾したのだ。
その夜。
お風呂上がりに一息着いていると、芳久から電話がかかってきた。
申し訳なさそうな気持ちで、『遅くにごめん』と言いながら。
メールが頻繁であり、電話なんて珍しい。
そう思っていると、例の移籍の話を青年は持ち出してきた。
きっと青年は
心配性だから気遣って尋ねてきたんだろう。
それに理事長の件に関しては、かなり神経質だ。
「…………移籍の件なら断ったわ。
私はあまり深く関わるのは好きじゃないし。
けれど理事長は、それなら兼任の派遣社員ならどうかって。
それなら付かず離れず距離感になると思う。
それなら都合が良いと思った」
『……そっか。それは理香らしいね。
それは俺も良いと思う。
でさ、理事長から何かされてないよね?』
「……何かって? 何もされてないわ」
『なら良いけど』
(どういう事かしら?)
理事長に何かされたか? 何も無くて良かった?
それはどういう事だろうか。青年の言葉の意図が読めない。
何を言っているんだろうかと思ったが、
問いかける前に、青年の方から今の疑問を掻き消す様に
打ち消され、本題を切り出してきた。
この話は二人しか聞いて居ないから、
この際がきっと、ちょうど良いのだろう。
壁に持たれかかりカーテンの隙間から伺える控えめな
夜景を眺めながら理香は協力者である同僚に、話を持ち出す。
「…………早とちりは、いけない気がするの」
『………?』
「この提携経営とブランドが立ち上がったのは良い機会だわ。
だからこそ、やるならじっくりと、思惑を見据えて
壊しながら復讐しようと思う。
その方が、相手へのダメージも大きくなるでしょう?」
『そうだね。相手は気付きにくいだろう。
俺もそれに賛成するよ。上手く行きそうだ』
この復讐を実行に移すのなら
じわりじわりと相手を責め込む方が良いだろう。
炙り出すように、計画の思惑やあの悪魔を潰して行けば良い。
時間をかけながら復讐は長くなりそうだが、
その分の相手へのダメージをゆっくりと染み渡らせる。
(………それにあの人は一筋縄ではいかない。
だから時間をかけて潰し壊して行った方が良いわね)
そんな会話をした後、多少の雑談を交え終わって通話を切る。
携帯端末を置いた後、机にある辞典のような資料の束に視線を向けて触れた。
これは、あのJYUERU MORIMOTOと、PURANNSYA JYUERUの資料。
協同ブランドが
立ち上がったのを気に、青年の話を思い出しながら
JYUERU MORIMOTOの会社の詳細を、理香は徹底的に調べ上げていた。
色々と探り過ぎてしまい情報量が
分厚くなってしまったというのもあるが、
全て自分自身の自力でこれだけの概念を全てかき集めるた結果だという事だ。
元の会社の概念。会社の業績や、側から見る社長や会社の評判。
それらは当然ながら、どれも奥が深くどれも興味深いもの達ばかりだ。
理香は、“社長としての”森本繭子を知らない。
あの牢獄にも等しい劣悪な家庭の中での、
謂わば母親としての森本繭子しか知らない。
だからこそ理香にとって
この辞典と同等の重みのある情報は、とても貴重なものであり
これから復讐の利用として使う大切な道具だった。
(…………決して下手な真似はしないわ、
華やかな名誉しか手に入れて来なかった貴女を、突き落としてやる)
まだ前章に過ぎない。
これから深く調べて探れば、情報は山ほど出てくるだろう。
それはとても有難い。この情報化社会に発展した今、探れば幾らでも情報は出てくる。
それは本物でも、偽りでも。
便利な時代と世の中になったと思いながら
ノートパソコンを開くと独学の調査を再開し始めた。
パソコンの画面に表示された、JYUERU MORIMOTOのホームページ。
そこに写された仮面の微笑みを浮かべる悪魔の女。
それに向かって理香も微笑する。
森本繭子の顔写真とプロフィールが刻まれた紙を取ると
目の前にある女の顔をカッターで突き刺した。切り裂かれた女の顔。
この様に潰す事が出来たのなら、
どれだけ自分自身の気が晴れていくのだろう。
無表情に見詰めて、その裂いた紙を
傍らにあったシュレッダーの入口に垂直に立てた。
紙はそのまま引き込まれていき、ザーッと吸い込まれて刻まれていく。
その表情に浮かぶのは、
憂鬱を帯びた無情な表情、熱のない冷酷な瞳。
「貴女は、忘れただろうけれど、私はちゃんと覚えているのよ。
貴女にされた仕打ちはそのまま全て返して、貴女を潰してあげるわ。
覚えてなさい? 貴女を潰す事が出来る人間は……………」
たった一人。私だけなの。
それは誰にも、聞こえない声。
やるなら徹底的に。奥深くまで浸透させて潰す。
悪魔よ。全てを潰されていくのが、自分自身の娘とも知らずに……。
そう思って見れば、ますます口許の端が持ち上がる。
森本心菜は死んだ。生まれ変わりとして復讐の為に存在するのが椎野理香だ。
明かりの失せた部屋。
微かな夜空の光りが、復讐の彼女の絶望を露にする。
その刹那の瞬間に
ぽたりと濡れた髪から、一筋の雫が静かに床へ堕ちた。




